2017.6.9
今日一月ぶりに姉が来る。今、駅着の電話を待っているのだが、まだ来ない。携帯も持っていない変わり者だから連絡の方法がない。
まあ、一般庶民なんていうのは、はなから携帯なんか持たないほうが賢いのかもしれない。
どうでもいい話をするだけで1万円以上を支払っているのは馬鹿げている。「公衆電話があるじゃん」と彼女は思っているんだろ。しかし、ちょっとしたステータスなのだろうか。電話を独り占めできるという独占欲を満たせるからだろうか。老人も最近はこぞって携帯をもっている。たしかに便利は必要ではあるけれど・・・かなり高い。
私たちは買い物をすれば消費税を払い、家を持てば固定資産税と取得税を払い、車を買えば取得税・重量税を払い、死んで行けば相続税を払う。そんな私たちのお金で国家の運営を幾人かの人に委ねている。
それは市区町村であり、都道府県であり、国であることはご存じのとおり。
それぞれの代表が、マットウに、真っ正直に、私利私欲なく、私たち国民のために動いてくれると思ってみんなが投票する。
今までは、私たちのために動いてくれた?んだと思っていた----ほぼ国民の大多数の人が。
しかしながら、ちょっと雲行きが怪しくなってきた。ある行政手法を駆使して、お試しにいろいろなことをやってみる。それが「特区」構想だ。それはとってもいいことで、これからも多くの政治家がやっていくだろう。
いいと思ったことをすぐ全体でやってみたら、とんでもないことになってしまっては困るから、小さいエリアでお試しでやってみる。誰が見てもこれは正解。
しかし、それを幅広に運用してしまうと利益誘導になったという例が今回の件だ。それが「国家戦略特区」だ。
市区町村「タクシーの値段を下げたいんですが、いいですかね。」
国「うん、いいよ、やってみたらいい それってどんな効果を生むの」
市区町村「高齢者とか、弱者に当たる方が対象で、私の地域はバス便が少ないもんで、タクシーをバス代わりと・・・」
国「いいじゃない。やってやって、これでみんなが便利になって、財政的にも潤えば結構なことだ」
こんな感じで今までの「特区」はなされていた。
「国家戦略特区」は
国「今度ここに保育園をつくったほうがいい。ここは半径10キロ以上ないところだから」
国「しかし、ほかの市区町村とのバランスもあるし、全体数はもう満たしていますけど」
国「いいんだ、ここはホントにエアポケットになってしまって、3万人しかいないけど、若い人たちが多いんだ。みんな子どもを預けられなくて困っている。国の基準、市区町村の基準ばっかり考えていては政はいけないよ。普通申請から1年かかるけど、3か月でできるようにしよう」
これなら〇、花マルでしょう。
「特区」は市区町村から国へ。「国家戦略特区」は国から市区町村へ。動きが遅い地方もあるから、国が率先して決め打ちすれば、早く事が進むことは確か。
しかし、国が特区を指定するのはいいのだが、そこに気持ちの緩み、奢りが出てくると、
友人「新しく学部を申請したいな、でも、いろいろと規制があるからね」
国「よく知っているね。君のところは既にあるからね、そう簡単には申請しても許可は下りないよ」
友人「だよね、困っちゃったな、あきらめるか。もう10年以上申請しているけどね」
国「・・・、じゃ、いいよ。国家戦略特区を使えば、こっちの思いのまま動けるから、手を回しておくよ」
友人「本当に? 悪いな、でも問題ないの」
国「大丈夫、大丈夫、付帯事項とか、ほかに条件を加えたり、変更すれば、できるよ」
という会話があったかどうかは定かではないが、時の為政者が個人(友人)に心づもりをしてしまう。
これは我々民間の世界では大いにあること。しかし、我々の税金で働いている方(公人)にあってはならないこと。
森友学園、加計学園、両方とも、ちょっとおごってしまった。しかも昭恵さんを初め、かなりおごってしまった。
奢るのは飲み代だけにしてほしいな。残念な結末になりそうな気配だ。