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今を忘れない。  [新卒・転職]

2020.1.12

こんばんは。いい感じで寒い日が続く。

昨日も書いたがオーストラリアの問題はもはやオーストラリアだけの問題ではなく、地球全体の問題になりつつある。依然として、温暖化の影響がある「らしい」という表現しかできないマスコミ各社は「馬鹿じゃないの」と言っておきたい。間違いなく我々経済最優先の生活態度にあることは疑いのないところだ。災害の当事者になり、身内に犠牲者を出して初めてそれに気づく、地球上で最もあわれな生き物が人間ということになりつつあることは秒読みだ。ついつい言い方は過激になってしまうが、現実だから仕方がない。

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今日の本題は「今を忘れない」ということだ。日本に生まれ、日本に育ったこと。これはすばらしい財産でラッキーなことだ。もし私が、あなたが北朝鮮に生まれたらどうなっているんだろう。自由、金、食料もなく、毎日風呂に入ることもままならず、飲み水だって川の濁り切った水を飲まなければならない。言いたいことも言えず、こんなブログで言いたいを言ったが最後、監獄に送り込まれ、運が悪ければ政府転覆を企てたとばかりに銃殺されてしまう。周りの人間は政府に対する不穏分子がいないかを探し回り、少しでも政府に媚びる生活をし、密告・通報によって自分の生活の糧を得るなんていう世界が現実にある。中国だって同様だろう。イラン、イラクだって同様で、絶えず戦時下に置かれ、不自由な生活を強いられる。女・子どもは絶えず身の危険を感じ、男の目にさらされることを避け続ける生活をしなければならない。男女同権、働き方改革なんて露ほどもない。それは我々日本人からすれば想像を絶する世界だろう。その平和な自由な日本にあって、その体制を崩れないように、崩さないように生きることの重要性を考えなければならないのが現役世代の役目だろう。誰にでも今いる現状に不満はある。が、しかし、不完全ながらも民主主義を標榜し、それを目指している国にいることに目を向けなければならない。若い人ほど政治に無関心ではあるが、今ある自由は、その政治体制であるが故ということも現実であり、その「今を忘れてはいけない」。絶望も、俯瞰もしてはいけない。現実を見て、その現実に参画し、改善していく勇気を持たなければ若者である価値はない・・・・・と思う。

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基礎を固める。 [新卒・転職]

2019.12.8

こんばんは。

今日も寒い。足元にはガスストーブ。洗面所にはデロンギと防寒対策は怠りない。

NHKでは連日防災の話があった。我が家ではまだ防災対策はやっていない。都度、防災グッズは買ったりはしているが、それを家のどこに、どのように保管しておけばいいのかは、なかなか難しいところだ。押入れの隅っこに仕舞ったのでは、いざというとき取り出せないだろう。グッズの総量は結構な量で、リック一つで納まるわけもない。何事も経験がないものだから、ついつい回答を見つけられずに、いつの間にか、そのまま放置となる。それの繰り返しだ。リビングの物入れにラップと手袋、マスクにマウスウォッシュ、懐中電灯、トイレグッズ。納戸には寝袋、玄関には水、テレビ台のラックには手回しラジオ・・・・あっち少し、こっちに少し。こんな状態で自分たちが生き延びる方法は、地震が治まった段階で家に戻り、それらのグッズを拾い集める方法しかないと想像はつく。それで大丈夫かと言えば、大丈夫なはずは・・・・・多分ない。

そんな万が一の備えの回答も見つからない。お恥ずかしい話だ。

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今日、家人と車で移動中、今の人たちはどうして結婚しないんだろうという話になった。仲人?草食?機会?・・・といろいろあるだろうけど、やはり、生活の基盤である職業じゃないかという話になった。正社員にならない、なれない。いや、「ならない」より「なれない」ほうが勝っているんじゃないか。「ならない」人もいることはいるが、そう多くはないだろう。自由に働きたいときだけ働くと思うのは学生時代までだ。幾ら私のようなアンポンタンであっても、将来は何となく企業に勤めてお金を稼いで好きなものを買うと考えるのが大方の道筋だ・・・と思う。しかし、企業は正社員ではなく、派遣社員、アルバイトの採用での妙味を知ってしまったが故、それを今更、正社員に置き換えて人件費を圧迫したくないと思ってしまったのは企業にしてみれば、当然の帰結かもしれない。

じゃ、どうすればいい?ということなる。

自分を含め、自分の同窓の人生を顧みてみると、大きく努力をした人は、それなりに人生が開けているということだ。私たちの時代の1970年代半ばは日本は成長期であった。しかし、常道から外れた人生をスタートした人たちは、なかなか元に戻ることは叶わない人たちが多く、決してその良き時代が我々すべてをすくい上げてくれるセーフティネットになっているわけではなかった。しかしながら、大学(高校)を卒業した者が就職活動をすれば、それは正社員しかなかったのは事実だ。全く企業の知識、社会人としての知識がなくても、突如として正社員として社会の一員になれたことも事実。つまり、就活に2~30社を受けることなど、その時代にはあり得ないことで、せいぜい3社ぐらいで内定してしまった。しかし、今は違う。決してえり好みをしているわけではないのに内定がとれない。これは事実だ。じゃどうする?その対抗策は、もっと時間を遡って仕事についての勉強するしかないということだ。それは自分だけでは限界があるので、学校で、授業で、先生が仕事の必要性、仕事は何のために選び、働くのかということをきめ細かく学校で教えることが必要な時代になったということだと思う。日本は余りにも学生と社会とをつなげて考える回路がない。学校を卒業したと同時に社会人になる、ならなければいけないのに、その学習をしない学校はおかしいというか、その存在価値がない。三角関数を誰よりも早く解くことも必要だが、それよりも、三角関数が社会にどのように役に立つのかを教える先生が何よりも学生には必要な時代になったんだと思う。

資格をとる。これもありかと思う。大分前に資格を5つも6つもとっている人がいると聞いたことがあるが、それは意味がない。テレビゲームではないのだがらアイテムを増やしたから、自分を守ってくれると思ったら大きな間違いだ。司法試験をとったばかりの人間と、弁護士資格を持っていない弁護士事務所に働く20年事務職員、どちらが法律的に正しい判断がつくのかといったら、新人弁護士ではなく、弁護士資格のない弁護士事務所勤務の事務員20年選手だということが往々にしてある。資格はその道のスタートラインに立っただけだということを忘れてはいけない。

何はともかく、生活力の基礎を固める。生きる糧を稼ぐ。そのやり方を見つけることが大切だと思うのだが・・・・・。

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メモをとる [新卒・転職]

2019.11.22

こんばんは。

いい感じで寒くなってきた。冬に向かっては、こうでなければいけない。

腰痛も大分回復してきている。しかし、寝床に入るとき、寝返りをうつときなどは、やはり痛みを感じる。一昨日施術(マッサージ)をしてくれた人は若いお姉ちゃんだった。以前、別の整形では若いお兄ちゃんだった。別に若いから下手とか言うつもりはサラサラないのだけど、お兄ちゃんは極め付きの下手だった。「そこじゃないよ。もうちょっと下かな」と何回言っても違うところをもんでくれた。痛いところ、ツボをもんでくれないことほど馬鹿げた、陳腐な整体師はない。今回はそういうことはないだろうと思っていたが、やはり予想どおり下手であった。何であんなに下手なのか。これなら我が愚息のほうがどれほどましかと思ってしまった。よくこれで商売をしているものだと思ってしまう。しかし、一応礼儀として世間話をしながら、その方の実力を見抜いておいた。見抜くということは、次回1週間後という予約をしたのだけれど、一応、もう一回は行ってみるが、前回同様だったら、きっと次々回は行かないことになる。お金も結構かかるしね。


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昨日、若い人はメモをとらないという話をテレビでしていた。中高年の先輩諸氏は皆皆「今の若者はメモをとらない」と嘆いておいでだった。果たして、自分は研修時代とか、見習い期間はどうだったんだろうと考えたが、あんまりメモをとった記憶はない。仕事内容はデスクワークではなかったので、先輩から教わるといっても見て覚える感が強かったものだから、その場その場でメモをとっていると先輩の実践を見過ごしてしまうことになるので、メモをとる習慣は皆無だったと思う。後で、自分でメモ書きをしたことはしたが、先輩の目の前でメモをとった記憶はない。

いろんな職場があるから一慨には言えないが、先輩諸氏が「えっ」と思うポイントは、教えたことができないことに腹立たしさを感じるのだと思う。「あれは教えた。なのにできない。当然だ、メモらないからね」ということになるわけで、失敗しなければ、わからないことがなければ、メモをとらなくても怒られることはない。一言も怒られないと保証する。まあ、完璧にできる人間などいないから、そんな方は少ないかもしれないが、どんな形であれ、先輩を怒らせない受け手としての姿勢が大切なのだと思った。

教わるほうはメモをし、聞き逃さずすればいいわけだが、もう一つ大切なことがある。それは教えるほうにうまさが必要だということだ。教える方法は、大体の企業は、そうしっかりしたマニュアルがあるわけではあるまい。ほとんどが自己流と言っては言い過ぎかもしれないが、大多数が教えるほうの個人技が物をいうところが多分にあったのではないかと思う。だから、うまい上司のもとで教われば、結構いい感じで習得できるであろうが、あまりに下手な教え方だったりすると、それは大問題で、教わるほうは混乱してしまうことが多くなるだけになってしまう。いずれにせよ、新人諸氏は、よく見、よく聞き、よく質問。これが十分に行われれば、おいそれとは落ちこぼれにならずに済むことになると思う。

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レールから外れる生き方(3) [新卒・転職]

2019.10.31

寒くなってきたが、素足で過ごす過ごし方はいいかもしれない。体全体の気温に対する感じ方がかなり違うように思う。寒いのだが、そう寒くはない自分に気がつく。

そう言えば、秋の夜と言えばコオロギだが、今年はまだ鳴き声を聞いていない気がする。自然界は本当に大丈夫なんだろうか。


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昨今、稼ぎ方が変わってきたのは理解している。簡単に何十万、何百万のお金がIT経営者以外の一般の国民にも、その恩恵を浴せるようになってきたことは確かだ。どの世界でもそうだが、成功者の影には不成功者がいることも確かだし、三十代のころまでは、その成功者の成功にばかり目が向いてしまうのも重々わかる気がする。しかし、大人になってからの時間は長い。小学生の時代、長いと感じた人はどれぐらいいるだろうか。もし、その6年間をいじめぬかれていたのなら、長かったという感想に理解もできるが、普通の学校生活を送れていたのなら、その時間が長かったと思う人はそう多くはいるわけもなく、ほとんどの人たちは「あっという間」だったと思っているに違いない。

もう一度言うが、大人になってからの時間は長い。人生がうまくいっていようが、つまずいていようが、どういうわけか大人になってからの時間は長い。それは時代も世代も超越して、誰もが感じていることだ。それはなぜか。それは大人の時間は楽しくないからだ。子どものときのように楽しくはないからだ。大人の時間は、1つの楽しいことに対して10個の辛いことがある。たった1個だけど、10個の辛いことがあるからこそ、1つの楽しいことが輝いて存在する。辛そうに聞こえるが、全くそのとおり辛いことばかりだ。それが大人の変な世界だ。

そんな辛い世界には行きたくないから私はユーチューバーになる・・・・・・・・・としたら。

いいね!が1つ幾らかになるらしいが幾らかは知らない。が、それを職業にしている方がいる以上、多分、値段に換算されているのだろう。例えば、「いいね」1個が5円としたら、100個「いいね」があったら500円ということになる。1,000個「いいね」があったら5,000円になる。1万個「いいね」があったら、5万円になる。一日平均5,000個「いいね」があったら2万5,000円となり、1月75万円となる計算だ。確かにそれで稼いでいる方もいるようだし、テレビに出て有名になった方もいる。今年はクリア。2年目もクリア・・・・・・・それが10年後、20年後、毎年毎年5,000個/日をいただくことは可能なのだろうか。なんの組織にも属さず、年金もちゃんと納め、健康保険税もちゃんと納め続けることができるのだろうかと心配してしまう。

先ほど言ったが、大人の時間は長く苦しい。そんな長く苦しい時間に対応するのは楽しく儲けるユーチューバーだと思えるのは、やはり若気の至りだと思う。

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十人十色の挨拶 [新卒・転職]

2019.10.30

こんばんは。

今日は今秋初めての冷え冷えとした室温を感じている。シンシンと外は冷え始めているのだろう。とはいえ、千葉あたりの気候だから大口はたたけない。標高の高い山里はかなり冷え込んでいるのだろう。

今日(0時を回ったから昨日になった)は毎週恒例の愚息宅のフォローに行ってきた。やはり、3人の子育てはハードだ。愚息の週2日の休みと私たちの1日で週7日のうちの3日は嫁一人にはならないで済むが残り4日は一人で3人の子どもの相手をしなければならない。辛抱強く「よくやっているね」と言わざるを得ないが、自分の子どもだからできることなのか。やはり、母は強し。


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挨拶にもいろいろ言い方がある。

・相手の目を見て、無表情で行う挨拶。

・相手の目を見て、笑顔で 行う挨拶。

・相手の目を見て、仏頂面で行う挨拶。

・相手の目を見ず、挨拶の声だけで行う挨拶。

・相手の目を見ず、笑顔で行う挨拶。

・相手の目を見ず、無表情で行う挨拶。

・相手の目を見ず、仏頂面で行う挨拶。

・相手の挨拶を待ってからする挨拶。

・相手が挨拶をする前にこちらからする挨拶。

職場でも、ご近所でも、誰もがこのどれかに当てはまる。

あなたはどの挨拶を他人様にしているであろう。

私は上の3つのどれかだ。

どんな状況下であっても、共通して言えることは「相手の目を見て」だろうか。

私は人の名前を覚えるのは苦手だが、人の顔を一度見ると大体覚えていることができる人間なので、ついつい相手の顔を見ることになる。だから、そのスキルもあってか、自然と相手の顔を見ることを苦痛なく行える。

もちろん、それがベストであるとも思えないが、挨拶で大切なのは、相手に不快な思いをさせないという目的があるはず。挨拶は潤滑油だ。挨拶を気持ちよく行えることで、今後の仕事がスムーズにいくかいかないかが決まってくると言っても過言ではない。

私の周りに、いつも大層不機嫌そうに挨拶をする方がいる。その方の顔を見ていると、何か自分(私)に落ち度があるよう思えるような雰囲気を醸し出す挨拶をしてくる。悪いこととか、不機嫌な思いを、自分たちからその方にしてしまったのだろうかと思ってしまうほどのご挨拶だ。それを何回か面と向かってされ続けると、流石に笑顔で挨拶はできなくなってくる。10回ほど続けて不機嫌な顔をしながら挨拶をされ続けたものだから、私自身かなり自信がなくなりかけ、「そんなに嫌なら挨拶をするのをやめるしかない」と思い始めた矢先、今朝、その方にばったりと会ってしまったので、反射的に挨拶をしてしまった。まさに「してしまった」というやつだ。今回も案の定、朝から不機嫌そうに「おはようございます」と返してきた。今回、その方は出会い頭に顔を合わせたが、瞬間的に私の存在を無視した。しかしながら、私はひるまず、その後ろ姿を追うように「おはようございます」と挨拶をぶつけてみた。当然、今回も仏頂面の横顔を見つつ、彼女は私と目を合わすこともなく目の前を過ぎていった。何が彼女に朝から仏頂面をさせる原因をつくっているのだろうかと思ってみたが、やはり原因は自分にあるのか・・・・・・とも思ってしまうのだが、その方と顔を合わせるようになってから、たったの10か月程度。当然、挨拶程度のお付き合いなので、仏頂面の原因は当方には心当たりが全くない。これ以上、詰まらぬことで詮索しても1円にもなる話ではないので考えてはいないが、その方は職場で一体どんな挨拶をしているのだろうか。自分にしているような仏頂面の挨拶をしているのだろうか。そこはかなり興味があるところだ。もし、そうならば、もう既に社会人としての常識は全くのゼロだろう。


そんな詰まらぬ話をすること自体、既にジジイの域に達していると言われそうだが、現役の社会人にとっては、「挨拶」は重要なアイテムだ。挨拶をなおざりにすれば、一挙に、そして簡単に人間関係は悪くなる。上司であろうが、部下であろうが、人間は感情の動物だ。「あいつはいつも気持ちのいい挨拶をするな」と思われるだけで印象は随分と変わる。もちろん、挨拶だけですべてがクリアされるわけではないが、最低限の社会人としてのマナーであることは、10年経とうが20年経とうが、AIの時代になろうが永遠に不滅なんだろうと思う。


少々固いことを言えば、挨は「押す」で拶は「迫る」という意味があるらしい。つまり、押して迫る。押して近づくということか?


そう言えば、回転寿司「はま寿司」にも案内人はロボットだ。たしか名前はペッパー??

その物言いが結構かわいい。入店すると「いらっしゃいませ~~~」と高らかに言ってくれる。無愛想な社員さんより、かなり癒される声だ。

仕事帰り、行ってみるといい。

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自分の立ち位置 [新卒・転職]

2019.10.9

こんばんは。

台風は外国で騒ぐぐらい強烈なmonsterになっているらしい。本当に太刀打ちできるのだろうか。

太刀打ちと言っても対峙するわけではない。ただ頭を下げて通りすぎるのを待つ。それだけだ。何とか速く立ち去ってほしい。本当に気象条件はこの2~3年で大きく変わってしまった。トランプさんはそれでも温暖化にシラを切るのだろうか。全くのミスリードで、その罪は深い。


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仕事を覚え、自分なりにこなしていく。それが日々働く人間の繰り返しだ。そこには新人とベテランとでは大きく違っている。その違いは何か。それは仕事を完全に自分のものにしているか、していないかの違いなのだろう。新人さんに覚えたての仕事を自分のものにしろと社会は、あなたの会社は要求してくる。それに時間的な余裕を持ってくれるか、くれないかで、あなたにとってはいい会社と思えるか思えないかが決まってしまう。しかし、社会の仕事はそう単純ではないし、あなたのような新人さんが、どれぐらい消化しているかは外から全くわからないから、その判断は上司、先輩は容赦なく、消化しているものと見て指示を出すのが普通だ。それを理不尽と思うか、思わないかは微妙なところだが、教育カリキュラムが充実していようが、していまいが、余りそれは関係ない。仕事先相手があってのことだから、やはり、相手に不快、不安、お待たせをさせてはいけない。だから、ついつい乱暴な言葉を発する先輩諸氏も多い。

そんな状況を理解しろというほうが無理があるかもしれないが、新人は、そこもある意味余裕をもって先輩に対処しなければいけない。「あれっ、それって聞いたことないな。」「教わったことないな」と思ったら、すぐ確認だ。知っていることでも確認だ。知らなければ尚更質問しなければいけない。知らなければ、「ふぅ~ん、知らないだ」と思い、丁寧に仕切り直して教えてくれる先輩もいれば、「ふぅ~んと」と言った切り、さっさと自分で仕切ってしまう先輩もいる。それはそれで、その先輩諸氏のキャパシティの問題だから仕方がない。ただ、「えっ、それって知らないから教えてよ~~」と思ったら、絶対に忘れずにメモることだ。それを後でその先輩に聞くか、別の先輩とか、同僚に確認し、それをマスターする。そこには「ホウ・レン・ソウ」、この言葉はきっと耳蛸だと思うけど、別の言葉で言ってしまえばコミュニケーションということだ。言葉を交わして、意思疎通を図る。今の若者が一番不得手なことだ。しかし、このコミュニケーションは大切だ。かなりのアイテムだ。疎かにしてはいけないツールの一つだ。

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ほっと一息している違いない [新卒・転職]

2019.9.21

こんばんは。

今日は久々に本業の仕事を朝からやった。大体、グウタラな私のエネルギーは午前中には切れる。

午後は大体眠くなる。パソコンで打ち込みをやっていると結構「舟をこぐ」ことが多い。一応、言っておくが、これは若いころからだ。年をとったという訳ではない・・・・・・・・・・・・・・・と思っている。


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普通、サービス業以外の方々は今日から三連休のはず。この三連休に呼び出しを食らって出社しなければならない御仁はよほど重要なポストなのか、自分しかこのポストにはいないのか、自分が社長兼掃除婦なのか。まあ、事情はどうあれ、出勤しなければならない方は日曜も平日もない。

自分も現役のころはこの手の人間であった。だから育休などしたこともないし、イクメンなどという言葉も意味もよくわからない。しかし、家庭内の仕事に対する理解は十二分にあったつもりだ。そこは昭和一桁の人間とは違い、家事は女、仕事を男などとは露ほども思っていない。つまり、現役のころは家事がする暇がなかっただけだ。

人は他人に認められてナンボの人生を歩むわけで、認められないことは自分の存在がないに等しいということになる。それは男として、社会人として、人間として自分をも許せないし、認めてくれない上司も許せない?というか、なぜ?なんで?という気持ちが沸いてくる。

何が自分に足りないのか。自分は嫌われているのだろうか。どこをどう変えればほかの人間と同等の扱いを受け、同等の評価をいただけるのだろうかと考える。それはまともに仕事をしていればしているだけ大きくなって自分に帰ってくる。真面目な人間ほど倍になって帰ってくる。

新人さんは大方、そのような思考回路で仕事をしているわけで、その疑問を上司に、研修担当者に聞ける環境があるならば、それは十分に対処できるし、吸収・消化していくことはできる。しかしながら、そういうことをしたがらない上司、研修担当者が時としている。つまり、新人嫌いの上司・研修担当者だ。そういう上司は大体愛想が悪い。自分が挨拶をしても大概その挨拶は、その上司を通り抜け、部屋の壁に虚しく響いていく。しかし、その上司は同僚、上司には頗る機嫌よく挨拶をする。自分に見せつけているがのごとく愛嬌よくだ。

しかし、仕事は覚えなければいけない。自分がその仕事がわからないとき、ほかの上司に「えっ、これ知らないの?」と言われる。私「はい。教えていただければ助かります」、上司「これはね、こうして、ああして、そうするとこうなるわけで、本当に教えられていないの?」とくる。私「はあ、多分」。私も新人とは言え、教わっていないと言うことは、自分の担当上司・研修担当者の立場が悪くなる?というのは何となくわかるので、そこははっきり答えられないので、しどろもどろになる。

真面目な人間であれば、ノートをとったり、今だったらICで録音を録ったりして復習をしながら仕事を覚える。それは常識の範疇だ。しかし、担当上司・研修担当者も人間。抜けもあれば、記憶違いもある。しかし、そこをはっきりさせなければならない必要は一向にないわけで、裁判でもないわけだから、それの判断によって一生涯、自分が不利益を被るわけでもない。

大切なことは、担当上司・研修担当者に教えを請うているときも、別の部署で自分が仕事をするときも、知っていることは近くにいる上司に確認をしてからやる。知らないことは近くにいる上司にちょっとわからないのだけれどと一言言って教えを請う。それを続けると、最初は笑われたり、馬鹿にされたり、不審がられたりするけれど、馬耳東風でやり続けることで、自分に対する信認がだんだんと生まれてくるものだ。もし、あなたが一を知って百を知るような逸材であれば、何ら問題はないのだが、平々凡々たる私のような鈍臭い人間であったらば、そこは平身低頭教えを請い続けなければいけない。

職場において信認をいただけない人間は、大体知らないことを知っていると言い、間違ったやり方を平気でやってしまい、そしてそれを謝らないことだ。そういう人種はたまにいる。出会うことも多々あったことを思い出す。そういう方は大体直ぐに退出(退社)してしまう方たちだ。

「実るほど頭を垂れる稲穂かな」という諺があるけれど、実ってもいない自分なら、それは益々頭を垂れて人に聞くしかないだろう。

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極める(究める) [新卒・転職]

2019.9.19

こんばんは。

今日は庭仕事、思った以上にはかどらなかったがやれた。日中は日差しはあるものの夏のそれとは全く別物となった。

台風が来ない穏やかな日があってもバチは当たるまい。でも、停電の地域が同じ県内にあると思うと心は余り晴れず、心のピーカンには程遠い。


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こんなことを言うと「年寄りの冷や水」だと言われそうだが、こんなことぐらいしか老人である私には言えないのだから、一応、思いつくままに書く(言う)ことにしよう。


人は何かの生業で生きていく。

生業(なりわい)とは生活の糧だ。腹が減ったからコンビニにおにぎりを買う。それで腹が満ちれば、元気が出る。しかし、そのおにぎりを買う金がないこととなると、それは困りものだ。

小学生なら、中学生なら、高校生なら親にねだればいい。しかし、社会人と言われる22歳以上(18歳かも)なら、親のスネをかじって生活することは余り大声で威張れる行為ではない。だから働いてお金を稼ごうと誰もが思う。しかし、お金を稼ぐには自分の体、頭を提供し、その交換物としてお金をいただかなければいけない。頭のいい人間はその頭脳を提供し、お金を得ればいい。それは弁護士かもしれないし、大学教授の先生かもしれない。自分の頭脳を売る。これは効率がいい。稼ぐにはもってこいだ。

残念ながら、その頭脳、売れるような、買ってくれるような頭脳でない場合はどうするか。

自分の体を提供する。それはコンビニの店員かもしれないし、新聞配達かもしれない。ビルの保安員かもしれないし、高速道路の清掃員かもしれない。電車の運転手もあれば、牛丼屋の店員もいれば、ラーメン屋もいる、スーパーのレジ打ちもいるだろうし、電車の運転手もいる。不動産屋もいれば、宅配便の運転手もいる、飛行機のパイロット、ゴミ収集車の運転手もそうだろう。どの職業にしても、それはすべて自分の体を提供することで対価を得る。世の中のほとんどの人たちが自分の体を提供し対価を得ている。

「職業に貴賤なし」と言う言葉がある。「貴賤」とは身分の高い人と低い人を指す。つまり、「職業には身分の高い・低いはないんだよ」と言っているらしいが、残念ながら、それはきれいごとだ。

弁護士とごみ収集車の人間、二人のうちどちらかを選べと言ったら、あなたは、世の人はどちらを選ぶであろう。間違いなく弁護士であろう。誰も好き好んでごみ収集車の人間を選ぶはずがない。

しかし、皆が皆弁護士になれるわけではない。そこには無常にも選別というシステムがある。

じゃ、どうする??

弁護士になれた君はいいが、なれなかった僕はどういう人生を送ればいいんだということになる。

が・・・・・・・・・・・・果たして、本当にそうであろうか。

人生は捨てたものではない。人には適材適所という言葉がある。天は人に二物を与えずという諺もある--先日「あいつ今何してる?」で二物を与えられていた人がいたが、それは全くの例外だ--それは余談として、言いたいことはここからだ。

どんな仕事でも「極める」という仕事がある。世の中のほとんどの人は仕事をしているが、それが対価を得ていようが、得ていまいが、「極める」をしているか、していないかで、その人の輝き(価値)は違ってくることを忘れてはいけないということだ。

「極める」ということに対して、その進級試験はない。全くのフリーランスな地位だ。その地位に自分がいるか、いないかということ自体、その人も意識をしていないのが「地位・極める」だ。

先日、東北道を走っていたときのこと。パーキングリエリアのトイレに入った。今はどこのトイレもきれいではあるが、2~3時間掃除をしなければ、途端に悪臭を放つ、それがトイレだ。

そのトイレは芳香剤ではない何か違った匂いがしていた。用を足した。ちょうど清掃をされていた方がいたが、何とも芳しい香りがしていた。それはサンポールでも、消臭力でも、ファブリースでもない匂いだ。

花があった。生花であった。それも6か所も置いてあった。自分は納得した。そうか、この生花の匂いだ。

私「いい匂いがしますね」

清掃員「今、掃除したばっかりですから」

私「でも、芳香剤の匂いではないですね」

清掃員「特別に何も・・・・」(ご本人は気がついていない様子)

私「このあたりのPAでは一番きれいで気持ちがいいですね」

清掃員「そうがですか ありがとうございます」

その生花は高いゴージャスな花ばかり・・・・・・・・・・・・・・・・・ではなく、パーキングエリアの裏山に咲いているような野の花だった。どれも見たことのあるような、私の庭にも放っておくと咲き放題に咲いてしまうあの黄色い花とか、白い花、そんなものばかりであった。

あの方(そのサービスエリアの清掃員)たちは、「たかがトイレ清掃員」でしかないけれど、その道を極めた「されどトイレ清掃員」であり、堂々と自信を持って仕事をなさっていた。

どんな仕事でも「極める」「究める」こと。これが一番の財産なのだと思う。

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週末の反省会 [新卒・転職]

2019.4.19


こんばんは。

今週も精一杯働いた・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・と君は思う。

学生時代はそれで完結して終わっていたし、周りの友人も皆皆、それがいいにつけ、悪いにつけ認める立場にいてくれた。だから、疲れていても安らいだ。


社会に出て思うこと。それは自分の立場とか、気持ちをおもんばかってくれる人は誰一人いないということか。いたとしても、それはただの慰めなのか、お世辞なのか。こっちの立場を認めてくれたとしても、それはワンフレーズのみ。あとはみんなこちらの立場を認めることはせず、ただただ失敗を失敗として責め続けてくる。先輩として、上司として、思いっきりやれ、責任はみんな俺がとってやる的はことは言うけれど、その前にもっとちゃんと仕事を教えろよと思ったりしてしまう。

あんな教え方では、こっちが誤解してしまうじゃないか。もっとはっきりとこっちが聞き取っているか、理解しているか自分がわかってから次を説明し、手順を教えるべきじゃないのか。まだこっちがノートを書いている途中に、次に向かってしまう、そのせっかちな行動癖はやめるべきだと思うよ。

 

なんて本音で上司に言ったら大変なことになることは目に見えている。

さあ、そんな他人を責めたって仕方がない。まずは仕事を覚えて一人前のスピードでこなせることにするしかない。来週はそこをまずマスターして、再来週には、それをそつなくこなせるよう目標を組もう。

あんな上司には負けられない。そんな上司には負けられない。


今週の僕の反省会は終了だ。

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新しい環境下で自分を見失うなかれ [新卒・転職]

2019.4.3


こんばんは。今日は午睡をしたので、少し夜も仕事をしなければいけない。

とは言え、タップリご飯の入ったお稲荷さんを3個、塩サバ、菜の花のおひたし、胡麻とニンジンと油揚げの白和え、そして納豆、味噌汁を食すれば、腹は十分にふくるる思いだ。直ぐに眠くなりそうだ。


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新入社員が多く街にあふれていることだろう。まだまだ周りを見る余裕もなく、あってもそれは見るに当たらず、眺めているだけかもしれない。自分にできる仕事だろうか。仲間はできるだろうか。上司に気に入られるだろうか。仕事を覚えられるだろうか。どこに配置されるのだろうか。

・・・・・か?

・・・・・か?

・・・・か?の連続の日々。自分がわかっているのか、わかっていないのかもわからない不思議な世界に自分がいることに益々不安になる。

要領がいい人間は、これは必要なことなのか、必要ではないことなのかが瞬時にわかる人のことを言う。要領が悪い人間は、これが必要なことなのか、必要ではないことなのかが瞬時にわからない人間のことを言う。だから不要なことであっても、とりあえずメモをとり・・・・・、そしてメモをとる。だから肝心なこと、メモをとらなければいけない段になって、それをうっかり聞き漏らす。そして無駄を重ねる。聞き漏らしたことが重要なことだったりしたら、それは最大の汚点となり、「あいつは集中力がない」と烙印を押される。無駄なことはいっぱい頭にインプットされているのだから、それを聞いてほしいと思うが、組織の人間は、そんなことはついぞ聞いてこない。聞いてくれれば即答し、自信もつくのに、誰一人聞いてくれない。鈍臭い人間は、そういうものだ。無駄なことを一生懸命記憶する。しかし、社会はそんな人間には思いの外、冷たい。

そんな精神状態だから、自分が何のためにこの会社に入ったのかを忘れてしまう。

自分の立ち位置を明確に持て、自分が30歳、40歳、50歳になったときに、一体何になりたいのか。たった、これだけの時間しかない。どう頑張ってもたったの30年しかない人生だ。君の選んだこの会社で、どんな経験(スキル)を積みたいのか。日々の細かな作業など、小さなことだ。そんなことに神経をすり減らしてはいけない。会社のために自分を粉にして働くのではなく、自分のために、この会社が何をしてくれるかだ。あくまでも、自分のステップアップの手段として、会社が君のお手伝いをしているのだ。だから、萎縮することなく、前を、明日を、希望を、夢を持ち続けなければいけない。

運悪くブラック企業に入ってしまった君であったとしても、そこでマスターできるものが確実にあるはず。そのアイテムを次のステップで使うためにも、自分のものとしなければ時間の無駄となり、デブリ化となる。そうさせてはいけない。時間は平等だ、上場企業にいようが、三流企業にいようが条件は全く同じだ。問題は、いかに自分の周りにある事柄を、自分のものにし、次につなげられるかだ。


何もしない人生は、無意味で長く辛い。しかし、目標ある人生は、有意義で短くそして楽しい。


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活動寿命 [新卒・転職]

2018.12.13


こんにちは。

今日はいい天気ながら寒い。



若い人にとって寿命という言葉は他人事だ。

健康寿命ってなんのこと? と思っていて当たり前だ。

まだまだ先のことだからね。


最近、駅前を歩いても、ホームセンターに行っても、飲食店に入っても、どこもかしこも老人ばかりだ。車で行き交う際にふと運転手を見ると、大体が老人だ。

彼ら(私も含め)は生きているけど、活力はない・・・・・・・・と言っては失礼。いや、若いころより減少している。

若い人から見ていると、のんびりしていていいなと思うかもしれない。

しかし、本人は必死なんだけど、体が、頭が追いついてこないというのが本当のところだ。


これが活動寿命。元気なんだけど、ついていけない。生き生きと目標を持ち、活動することができなくなる。それは幾つからかは個人差がある。50歳の人もいれば、60歳の人もいる。70歳でそれが訪れる人もいる。

成人し、社会人となり、自分の考えが確立。その後社会に揉まれ、リタイアをする。これは誰もが通る道だ。

ということは、自分が納得し、行動し、後悔してもしなくても自分でコントロールできる期間は幾つぐらいだろうか。30歳からスタートしたとして60歳までが活動寿命だとすると、せいぜい30年ということになる。


人生80歳、100歳と騒いでいるけど、実際、中身のある、元気はつらつの期間はたったの30年間、1万950日、26万2,800時間しかない。

その間、結婚もするし、ゆっくりしたい休日は育メンをしなければいけない、リストラに遇うかもしれないし、親の死とも向き合わなきゃいけない、離婚も・・・・・・・・時間泥棒はたくさんいる。


時間はたっぷりありそうだけど、実は余りない。時は金なりだね。



あたしは、あと・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

・・・・・・・

    ・・・・・・・・ 

          ・・・・・・


・・・・・とっくにタイムオーバーだ。


 

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信念 [新卒・転職]

2018.11.14


こんばんは。


17時でもう暗い。今日は仕事も終え、庭の手入れも少しだけやり、母の介護も順調に推移。

ということで少しだけ気持ちは穏やかだ。



----・----・----


【天職について】

この職業が自分に向いているのか、いないのか。それはおおよそ予測は付く。しかし、器用に仕事をこなせば、それは自分に合っているということなのか。鈍臭く何回も間違っていることで、これは自分に合っていないと思うべきなのか。そこの判断は非常に難しい。ただ、慣れずに失敗を続ける。しかし、この仕事は好きだと思っている自分がいるのか。慣れていてスムーズに仕事はこなしているのにやる気が出ないから、この仕事は自分に向いていないと思うべきなのか。


自分は何をやるべきなのかを見つけられる年齢は人それぞれ。7歳で見つけられる人もいれば、20歳で見つける人もいるだろうし、40歳になってやっと見つけられる人もいる。

では、目標を見つけられない人はいるのだろうか。真面目に時間を使って生きていれば、それが食い扶持をとるだけのために、家族を養うために仕方なくやっている仕事であっても、いつかそれは訪れる。

生きている間に、それを見つけられる時が誰でも必ず来る。笑われてしまうかもしれないが、それが50歳、60歳で見つけられる人もいるはず。ただ、50歳で見つけられても、大概、それは現実的ではないとあきらめてしまう。若い時は見つけられれば、がむしゃらに頑張るし、頑張れる。50歳、60歳で見つかると、遠くを眺め、動きが止まり、そしてため息をつく。


幾つになってもやるべきことが見つかる人生ならば、それを成就させる方法はないかという想いは信念の強さによって違いが出てくる。最近は60歳でも若い。気持ちも若いし、体力的にも若くなっている。政府はこれ幸とばかりに70歳年金支給にシフトさせようと動いている。


「信念」の強さは若い人は弱く、シニア世代は強い。それは社会経験から来るものだろう。こうやると失敗するから、向こうから攻めればうまくいくという術は社会経験が物を言う。それに若い人は誘惑が多い。友達とも付き合わなければならない。遊びたいという気持ちも大いにあろう。シニア世代は体力的にも余分は時間は無駄には使えない。


つまり、若い人であろうと老人であろうと五十歩百歩ということ。それぞれの強みがあり、それぞれの弱みがある。違いは信念があるかないかということだ。


こうしよう、こうしたい、その信念が強いか、弱いかの違いでその人の人生が変わる。間違いなく変わる。私はそう信じてやまない。

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職位で仕事をする輩たち(2) [新卒・転職]

2018.6.2


おはようございます。


ついに6月に入ってしまったものの、梅雨にはなかなか入らず、いい天気が続く。

気がつけば、これは夏雲??

DSC_0060.jpg

今年は空梅雨っぽい?



















これは昨日の画像だけど、今日も全く同じ感じの空が続く。

青空の隣は真っ黒な雲。

集中豪雨もありそう。


----・----・----


今日こそ、職位で仕事をする輩(やから)のことを書きたい。


課長と言えば、課長としての仕事をしなければいけないことはわかっている。

ご本人が一番わかっているはず。


けどね・・・課長としての職位が、威厳が、いつの間にかプライドとなり、上意下達となり、横暴となり、横柄となり、課長としての人格者にはほど遠い人間となっていく。そして、「組織としての課長」の域を出ずに終わっていく人が多い。


課長に成り立ての目標は、みんな「人間としての課長」なんですがね。


職位は物事を動かしていくときは非常に都合がいい。会社としても、それで思いの外うまく回っていくのだが、人間は、いつもその環境に甘んじてしまう生き物だから、「そうか、おれは課長様なんだ」と裸の王様に自ら志願してしまうことになる。


職位でものを言えば、みんな有無を言わさず従う。「えっ!」と思っても従う、従わざるを得ない


それが三菱自動車の組織であり、オリンパスの組織であり、東芝・・・フォルクスワーゲン・・・日大・・・そして財務省・・内閣府とつながっていく。(もっとあるだろうけど、多すぎて思い浮かばず)


「そういうあんたはどうだったの?」


「もちろん、職位でなんか仕事をしているわけがない。人間としての課長で仕事をしていたよ」





・・・・・そんなわけはない。自分もしっかり職位で仕事をしていた一人




世の中は広い。そういう人間ではない人もたくさんいるはず。

職位ではなく、その人間性をもって仕事を進めていく人。


でも、なかなか見つからない。


だから、そういう上司の元で働くことがてきる人は宝くじに当たったようなもの

大切にしなければね。


そうじゃない裸の王様課長の元で働いてしまった方は、その方もしくは自分が配置転換されるまでじっと待つしかない


でも、ただ一つ、いいことがある。


こういうやり方は同意できない。じゃ、自分がしなければいい。自分が上司になったとき、そういうやり方をしなければいいと学習すればいい。その絶好の材料を自分に与えてくれている上司だと、ありがたく思えばいい。


もっといい材料をくれないかな。


もっと不適格行為をしてくれないかな。


自分はじっとそれを待って、それを学習していけばいい。

そこで目をつぶっちゃいけない。


よ~~く目を見開いて、それを学習する。そして、同じ轍を踏まないことだ


世の中、不適格材料はタップリある。あなたの上司も職位派でしょうから、絶好のチャンス

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職位で仕事をする輩たち [新卒・転職]

2018.5.31


おはようございます。今日で1年の半分が過ぎてしまった。

この半年、年初の目標は、どれだけ進んでいるのか。あとでそっと10年日記を開いてみよう


前に書いたが「1年の計は元旦にあり」と思っている自分にとっては、できる・できないに関わらず、

年初には、一応目標を言葉に書き記している。頭に思い浮かべるだけでは、後に「跡」として残らない。これは都合のいいこともあるが、大きな獲物を逃してしまう


しかしながら、この8年「当たらずと言えども遠からず」のことが書いてあり、結構、真面目に書いているなと自分ながら感心をしてしまうこともしばしばある。

もちろん、書いただけで終わってしまったものもあり、「そうだった、こんなこと考えていたんだ」と反省をさせられることもあり、自分を見つめ直す絶好の材料となることは確かだ。


自分の内外を見ても、都度、目標管理をおろそかにする誘因は多いし、誘惑も多い

凡人は、それに流され、目標もへったくれもないとうそぶいて忘れようとする。


もちろん、私もその一人であることは火を見るより明らか


「ローマは一日にしてならず」

 

マネービルは一日にしてならず


恋愛は一日にしてならず


友情は一日にしてならず


昇給は一日にしてならず


昇格は一日にしてならず


目標は一日にしてならず


肝に銘じよう。


タイトルの「職位云々カンヌン」は、また後日。


 

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社会に出てからのやさしさは敵だ [新卒・転職]

2018.5.30


こんばんは。


肩の痛みも湿布で何とか誤魔化したまま、仕事をし、庭の手入れをし、家の立会いも済ませて、一日が終了した。動いていると、さほど痛みを感ずることもないが、時折不快な思いをすることは致し方ないと言えば、致し方ないに違いないが、まだやるべきことがある我が身にとっては、何とかこれを脱したいと思うばかりだ。


----・---・----



今まで生きてきた中で、本当にお人好しだと思う人間と出会ったことは数少ないがいる。それは昔の職場の同僚と愚息だ。


その同僚は本質的にお人好しで、折衝とか交渉を全くしないというか、交渉になっていない交渉をする。相手にプレッシャーをかけるような交渉をしないと言ったほうがいいかもしれない。

結果において、それでも従ってくれる相手なら救われるが、世の中、そういう優しい人ばかりではなく、自分を主張するほうが多いから、必然的にこちらが立ち行かなくなってしまうことになる


それでも彼はじっと耐え、仕方がないと一言言う。

しかし、それでは自分が潰れてしまう

これは特異な例だと思うし、今となっては、彼を悪く言うつもりもサラサラない。


そんな彼は職場で、くも膜下出血で倒れ、意識の戻らないまま、帰らぬ人となった。


もう一人は愚息だ。彼はそれなりに自分も主張するし、剛柔を使い分けられると思っていたが、どうもそうではなかったようだ。


真面目に上司から言われた仕事をこなそう。できる、できないにかかわらず、仕事をこなそうとしたようだ。しかし、慣れていないこともあり遅い⇒仕事がたまる⇒上司から指示が出される⇒黙ってそれをやろうとする⇒上司は意思表示がないから、自分の指示は理解しているものと思い⇒また次の指示がくる⇒重なった指示のうち期限切れが出てきて⇒「おい、あれはどうなっている?」と言われ、自分がそこまでたどり着いていないことに気がつく⇒上司にそのことは言えない⇒それが次の指示にも影響が出てくる⇒本人はパニックとなり、取りこぼしがポロポロ出て⇒自信をなくしギブアップとなった。


それを見極められない上司も上司だが、イエスマンであった愚息はもっといけない


新しい指示が出されたとき、自分に前の課題がまだ残っていたとしたら、上司にはっきりと伝えなければいけない


「前の指示はまだ終わっていない。今の指示をもらったが、どちらを先にやればいいのか。」もっと言えば、前の指示はいつまでにやらなければいけないのか。今の指示はそれよりも前にやらなければいけないのか。それとも、前の指示が終わってからでもいいのか」と。


「優しさ」という言葉は、心底当てはまる言葉でないことは重々承知しているが、他人である上司はその言葉を使う。


「君は優しすぎる」。



これは優しさではない。上司に対してものを言う勇気がない。ただそれだけだ。

その勇気を持っているか、いないかで自分に立ち位置は、かなり変わってくる。


イエスマンではいけない。これは社会に出たときに、大いに大切なことだ。


日大のアメフトの件もそうかもしれない。組織において、「ノン」という言葉は大いなる勇気を持たなければ言えないこと。社会人にとっても、組織に入って、「ノン」と言い切る勇気は、生活を賭すことであり家庭を、家族を賭すことになる


しかし、その勇気こそ、次の自分への財産、原動力になることを忘れないでほしい。


今回の件で、うちの愚息は、その「勇気」に気がついただろうか。甚だ心配である。

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初めは一度で飲み込めないことも多々あるんです [新卒・転職]

2018.3.7


おはようございます。


夫婦そろって肩が痛い。右手は左肩まで持っていけないし、右手は背中までも届かない。ランニングで手を振るくらいしか動かない。


そんな「肩坊」は今日、結構機嫌が悪い。ズンと肩に注射をされたような痛みが間断なく襲ってくる。

その度に力が抜けてしまう。


まあ、これで余命何日と言われるわけでもないから、贅沢は言ってはいられないけどね。


----・----・----・----


新人のころ、自分に付いてくれた先輩がいた。

彼なりに一生懸命教えてくれたんだと思う。

後から考えると、その教え方は一般的パーフェクトであったとしても、自分にとってはパーフェクトではなかった・・・・そんな気がする。


もちろん、人によって理解の早遅があるのは仕方のないことで、それをおもんばかって、まさに「忖度」するのが先輩であってほしい。


しかし、現実はそうではない。先輩も自分なりに考えて、ゆっくりと教えていく。教えることは山ほどあって、今日は、今週は、今月はと考えて、カリキュラムとまではいかなくても、その先輩なりに考えて教えてくれるわけだ。


人間、新しい環境に入って、覚えなければいけないことの多さにびっくりするが、それを頭に入れ、実践に移すことができる量というのは千差万別だ。


それに見るのとやるのとでは、また違うであろう。


自分が天才ならまだしも、凡人の「凡」の字にぴったんこ寄り添っている身分としては、10個教えられても3個覚えるのがやっとこである。


それが3日も過ぎれば、確実に忘れる。忘れなくても、実践に移すとおぼつかない。


先輩は、上司に報告する。

先輩「新人の山田君には、ここまで教えました。」

上司「わかった。」


後日、上司が、それをチェックする。


上司「山田君、2階に行って、これをもらってきてくれ」

山田「はい。」


えっ~~~と。先輩に教わったような、教わらないような・・・・・。


上司「おい、山田君は、どこまで行ったんだ。」

先輩「すみません、教えてあるんで、直ぐに戻るかと・・・」


先輩「この件は教えておいたよね、昨日。覚えている?」

山田「はい・・・・・・?」


これが3回続けば、先輩は山田君に対してダメ印を押してくる。

先輩「あいつはだめだ。昨日のこともすぐ忘れるかね」


それが4つ、5つと続けば、確実に挨拶もしてくれなくなる。100%、新人ができ損ないだと決めつける。


しかし、それは五分と五分だ。教える側にも問題があるということを彼自身も上司自身も理解できる人は少ない。

時間も業績も上げなければいけない中では、そんな余裕もないのかもしれないが・・・。

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レールから外れる生き方(3) [新卒・転職]

2017.6.28


じゃ、自分はどうなんじゃい!と言われそうだから書いておくが、私はレールを外れる資格のない人間だった。先の見通しがない、集中力がない、知力がない、素養がないのに先走ってしまった人間。今から考えてもラッキーであったという以外に言いようがない、危なっかしい人生であった


人の物語として、テレビなどでよく言う、誰かに助け上げられたとか、運命的な出会いがあったとかという人的ラッキーは自分にあったのだろうか。「自分は気がつかない」ということもあるかもしれないので、よくよく考えてみたが、残念ながら、そういう巡り合わせには程遠い人生だったような気がする。


当時、右肩上がりの社会だったから、賞罰がない人間だったらば誰でも社会人になれたような時代だ。だから、レールに乗っていれば、厚生年金満額受領、そして穏便な老後人生であったに違いないのだが、自分はその道を歩いていない。


多分、皆と同じ景色を見ていたら、きっとおもしろくないと感覚的に思ったんだろう。別に格好をつけるわけではないが、人とは違う風景、あの峰先の雲を見たかったのだと思う。


外れることはたやすいが、戻ることは外れること以上に難しい。

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レールから外れる生き方(2) [新卒・転職]

2017.6.27
もちろん、そんな「誇り」などを持っていない自分にとっては、卒業式は縁のない存在であり、友と別れる辛さも先行し、卒業式ははなから予定には入れていなかった。母親も父親も、そのことに関して問うこともなく、責められることもなかった。
資格をとらなきゃ生きていけないと思い、大学在学中の3年生から6年間(卒業後4年間)、ある資格試験を受けるため、朝から晩まで独学で勉強をした。しかし、やはり独学は独学であり、大きな回り道をしてしまったため、後半からは専門学校に通い詰めた。
しかし、この資格の先にある職業は、自分が最も苦手とする代物の国語分野であったが、そのときのタイミング、自分の力量からして、その職業しか選択肢がなかった
初めからみんなが進んでいるレールから外れると、なかなかもとに戻ることは困難になることは確か。それ相応の覚悟と勝算がないと間違いなくつぶれる。
大概の人生の敗北者はその目算が甘い
つまり、そのレールから外れたいのなら、それなりの学力、素養、精神力そして集中力がない方は外れないほうがいい。
目標は誰だって掲げられる。掛け声は誰だって発せられる。威勢のいい言葉だって、景気のいい話だって、誰にでも発せられる。
人生の勝利者は、その目標、掛け声に実績が伴っているが、人生の敗北者は実績はおろか、その欠片すら見当たらない。
人生は過酷で、時は「皆に平等」という甘い香りを放つが、30代、40代には、その言葉の本当の意味がわからない。

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レールから外れる生き方 [新卒・転職]

2017.6.27


どんなに貧乏であろうと、どんなにお金持ちであろうと、一人っ子であろうと、5人兄弟であろうと、いじめられっ子であろうと、いじめっ子であろうと、皆皆、時とチャンスは平等に訪れる


少なくとも、このブログを見られるような環境にいる方々は、大体平等に時とチャンスを与えられていると思って間違いはなさそうだ。


同じ世代の大多数と同じ方向を向き、同じ方向に目標を掲げることは安心という武器を手に入れ、行動できることだ。皆が学校に行くから、自分も行く。次の時間は体育だから、体操着に着替え運動場に行く。次は給食だから、給食室に食材を取りにいく。みんながいるから心地よい、安心していられる


しかし、ひとたびそのレールから外れると、それはものすごいプレッシャーになって襲いかかる


「?」と書いたのは、私には経験がないからわからない。小学校、中学校、高校、大学と引きこもりとか、登校拒否になったことがない----というか感じたことがないと言ったほうがいいかもしれない。


私がドロップアウトしたのは大学を卒業してからだ。今でいう引きこもりだ。目標を持った引きこもりだ。

友は皆就職をし、社会人となっていった。桜満開であっただろう大学で、就職内定をもらった友人たちが皆誇らしげに卒業式に出ていたに違いない。





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頑張れよ---新人さんの次の道(2) [新卒・転職]

2017.4.17

社会人はどうするか。辞表を上司に出す前にやるべきことは何か

それは、今の仕事のエキスパートになること。営業だったら、その会社の営業マンとして目標を設定し、その目標を達成する。事務職なら、その課内の事務作業のスペシャリストになること---誰よりも早く、正確な仕事をする。これ以外に、次の職場に転職できるアイテムにはなり得ない。

それは「資格」ではない。

よく資格を3つ持っているとか、5つ持っているとかで安心している方、「いいな~」と思っている方が多いが、それは間違いだ。

それは自信。今行っている仕事への自信

誰よりも電話に出るのが速い。

誰よりも計算が正確で速い。

会社の誰よりも出社するのが早い

嫌な仕事は誰よりも早くする-----トイレ掃除、玄関掃除、ゴミ出し、寒い、暑い中での仕事の率先等々。

クレーム対応、人がひるむような仕事でも進んでやる。

会議には必ず発言(改善提案)をする。 

などなど、何で自分がと思うような仕事でも進んでやり切ることだ。

あいつ変わっているなと思われようとも、それが今在籍している会社にためになるなら、それを一生懸命やる。それは失敗しようが、成功しようが、すべて丸々自分の自信につながる。公認会計士とか、税理士とか、簿記2級とかよりも有効な資格だ。国家資格、検定資格の合格は、自立にはすぐにはつながらない。そこから見習い期間があり、少しずつ経験することでだんだんと一本立ちする。資格も一人前になるためには、かなり時間がかかるのだ。

一朝一夕にいかないのがキャリアであり、人生だ


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頑張れよ--新人さんの次の道 [新卒・転職]

2017.4.17

職場を変わるといつでも新人だということ。

どこに行っても、そこの職場では新人呼ばわりする。それが好きか嫌いかはあるけれど、それが嫌なら、それを防がなければならない

志の高い人なら、目的をもって行動すればいい。志の低い人でも同じだ。それは時は皆平等であり、否も応もなく1時間は1時間であり、24時間は24時間、1年は365日、10年は3650日、50年は1万8250日だ。学校を卒業し、自立し、定年となる時間は、大体43年、たった1万5695日しかない。

この職場でこの技(技術・資格)を身につけ、次の職場でこの技を身につける。段階的に正確で有効な行動がとれる方はいいが、そんな方ばかりではないだろうし、幾らいろんな資格をとったとしても、それが自分の職場で活用できなければ全く意味がない。徒労に終わってしまう。

また、社会人になって、それを悟ったとしも、働きながら学ぶという至難の技が必要となる。

じゃ、どうするか----社会人になる前にそれを決めるしかない。学生のときに、自分のやるべきこと、進むべき道を見つけ出さなければいけないことになる。学生時代、遊びに興じているだけでは時間の無駄で、大好きな自分の人生を破滅させるだけだ。そのことを学校で真剣に教えるべきだろう

「残念ながら、私はもう社会人です。どうすりゃいいんですか?」ということになる。これはまた後刻お話ししたい。


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頑張れよ---新人さんが辞める前に(2) [新卒・転職]

2017.4.16

昨夜はブログを書いている途中居眠りが出てしまった。もっと長く書いていたけれど、途中から何を書いているのかもわからないまま、終了してしまった。

今日はその続き。

 研修期間を終え、思いもかけぬ部署に配置を命ぜられても腐ってはいけない。

そこでしっかりと実務を習得する。そして、誰よりも早く、正確に、その部署の長所、短所を見つけ、自分のできそうな改革を考え、実行する。そして失敗し、その原因を見つけ、再度チャレンジする。エリートコースから外れていても気にしてはいけない。失敗したからといってネガティブになってはいけない

いつも前向きに経験をたくさん積む。人が嫌がる仕事を進んでやる。

その会社に残ろうが、辞めようがいろいろな経験を積極的に積むことは重要で、なぜなら、その成功体験、失敗体験のすべてが、皆あなたの肥やしになって返ってくるからだ。それを忘れてはいけない。

あなたは人(上司)に付いてはいけない。あなたの社会人としてのミッションは、スキル(経験)を研くくこと、その結果として給料が高くなればいいが、上司にすり寄る(お友達になる)ことではない。人に付くのではなく、仕事に付かなければいけない-----当然の結果として、誰に何を言われようが全く関知することはないし、全然、気にならなくなるはず。

最初の志が折れてしまった人たちのほとんどは、に付いたがために目的を見失い、会社を辞める。仕事に付いていれば、そんなことはなかったのに、人に付いてしまったことで自分の目的が不明確になってしまった。そして、悪いのは自分ではなく、上司だ。会社だとなる

自分は悪くない。悪いのは上司だ、会社だという前、その姿を鏡に写すことは必要だろう。

しかしながら、電通の場合もある。これは電通の特殊事情だ、なんてことは絶対ないわけで、あまりも理不尽なことを言われた場合は、こっちが正しい、悪いのは向こうだということになる

ということは、自分の判断力にかかってくるということ。今の上司の言い方、ほんとに社会人として、私の成長を願っての叱咤激励なんだろうか。ただただ、いじめの類ではないのかという判断は、常々自分に課していなればいけない。

無謀な転勤、無謀な部署替え、理不尽さは社会にゴマンとある。

二十代の若者に、上司の人間評価をしろというのは無理。これは百も承知

じゃ、どうする?------打たれ強くなれ。何を言われても、何をされても打たれ強くなること。馬耳東風という言葉が適切かどうかはわからないが、それは絶対な必要なアイテムの一つ。

携帯ゲームのアイテムを増やすより、生き技のアイテムを見つけたほうがいい。


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頑張れよ--新人さんが辞める前に [新卒・転職]

2017.4.15

会社のキャリアとは、職種の期間を言う。私のキャリアは勤続何年で、そのうち営業畑を何年、人事畑を何年。新人の場合、もし不幸にして会社を辞めることになった場合、それはキャリアとして履歴書に入れられるのだろうか。3か月では無理、6か月でも無理、1年でも無理でしょう。

やはり、石の上にも3年。

3年は必要。第三者から見て3年は経験しないといろいろなことはわかっていないと判断されるのは事実。

だから、新人さんは石にかじりついても3年は我慢しなければならない。


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頑張れよ--新人さんへのいじめ [新卒・転職]

2017.4.14

飛び抜けて器用なあなたなら、そういうことはないけれど、一般的な凡人の我々は、ほとんどその上司よりも仕事ができない。だから失敗する。質問をしようにも、よくわからないことばかりだから、何を、どこを質問していいかわからない。その結果、質問をしない、できない、わからない。

ないないづくしの日々が続き、毎日毎日仕事の日々が続く。わからないものはわからないまま時間だけが過ぎていく。

あるとき、そのわからない事象に再びぶつかる。当然にわからないからパスするか、同じ間違いを繰り返す。

上司「何でできないの?」

私「・・・」

上司「あのとき教えたよね」

私「・・・」

上司「わからないときはわからないと言って、言わないから、みんなに迷惑をかけたじゃない」

私「・・・」

返す言葉がないというか、返す言葉が見つけられない。謝ることは簡単だが、謝る箇所がわからない。謝る訳がわかない。

私、本人がわからないのであるから、上司がわかるわけもなく。ただただ時間だけが過ぎていく。

研修時間が増えるにつれ、気持ちの行き違いも増えてくる

いずれ、どうしようもないところまで糸は絡んで絡んでいく。こんがらがっていく人をほぐすことを知らない上司と会社は、その新人さんを不適格な人間として烙印を押してくる。そしてその後、組織から弾かれることはままある--------それが社会の現実だ。

それを新人さんはどう受け止めていくのか。会社としては、人一人の人生を預かっているわけで、それなりに対応しているときっと言うだろう。

頑張れ新人、敵は手ごわい


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頑張れよ--新人さんがいびられる訳 [新卒・転職]

2017.4.13

新人さんの話をしていたら、当時の自分のことを思い出した。私は一を聞いたら十には行かずに0.5ぐらいになってしまうほど、鈍臭かったから鈍臭い人間の気持ちはよくわかる

私は30歳の新人。出勤日の初日。新人研修。上司と建物の前で待ち合わせ入室をするわけだが・・・・。

もちろん、そのときはそんな理由もわからずに、何で上司は、ドアを開け、首だけを突っ込んで、直ぐに出てきたんだろうぐらいにしか思っていなかった。そこはトイレだった。しかも、用を足すわけでもなく

彼は別のドアを空けた。控室だった。ここで初めて彼は口を開いた。

「ここにカードを入れる。1分以内にね」と彼。それはセコムキーだった。

以降省略。

次の日。同じように私は出社。当然、上司も来ると思い、外で待っていた

でも、なかなか来ない。30分ほど待ったであろうか。やっと上司登場

上司「何やってんのよ!」

私「?」

上司「早く入って仕事進めろよ

私「でも、鍵が・・・」(もちろん、心のつぶやき)

上司「・・・」(かなりお怒りのご様子

再び、昨日のトイレを開けて首だけ突っ込んだ。そこで初めて、私は気がついた

(トイレの中に鍵、入れてあったんだ。そんならそう説明しろよ)

後でわかったことだが、ここはある場所(トイレ)にキーを入れておく習慣があった。

以降、私と上司の関係がよくなるわけはなく関係改善されたのは、彼と同じポストに上がった約5~6年後のこと。

そんな無口の上司の噂は、新人いびりが得意中の得意。教えず、語らず、実行させるという最悪な上司であったらしい。

そのときは当然、思いつきもしなかったけどその上司に雇われているわけではないので、相手がどんな嫌な顔をしようと、わからないことは聞く、聞く、聞く。どんなに嫌を顔をされようが、無視されようが、聞く、聞く、聞く。そして一日も早くマスターし、その上司より抜きん出る。そのことだけを考えた。

なぜなら、そのとき私は・・・・・・・・・一人の妻と一人の息子の父であったから。

逃げちゃダメダ、逃げちゃだめだ・・・・・・・。


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頑張れよ--新人さんにもの申そう [新卒・転職]

2017.4.13

春4月になると、新人さんがいっぱい出社してくる。

なつかしいし、まぶしいね

どこもかしこもだ。東京駅とか、街中を歩いていても、研修で移動でもしているのか、この時期はよく見かける。

しかし、時が少し経つと思い描いていた理想と現実のギャップにヘキヘキしてしまう人も多い。

十人十色とは言うが、新しい環境に順応しやすい、覚えがいい人。別の言い方で言えば要領のいい人もいれば、順応性がない、覚えが悪い、どんくさい人もいる。要領のいい人は、それなりに上司との摩擦も少なく、多分、うまく泳いでいくんだろう。しかし、一を聞いて二ぐらいしか(いや、それ以下の場合もある)わからない人は、上司から嫌われる。間違いなく嫌われる

これは世の習いだから仕方はないけれど、一を聞いて一しか理解できない人間に、より多くの手を貸してあげられる上司はあまりいない----という言い方は失礼かもしれないのでいい直すと-----手を貸してあげられる余裕のある上司はあまりいない--のかもしれない。

普通の会社であれば、特に上場企業で、立派な企業理念を掲げている企業は、部下を引き上げろ、それが自分を高めていく的な言い方で、中間管理職に問いかけ、それを評価の対象にしている。だから、上司は部下を、彼なりに一生懸命引っ張り上げようとする

でも、上司はお釈迦様ではないから、「仏の顔も三度まで」だぞ!とすごむ。

上司の教え方も実践形式が多いので、その場その場で細かく説明しながら、漏れなく指導してもらえるならいいが、時として、「細かく説明」「漏れなく指導」ができるときと、できないときがあるのは人間だから当然。しかし、最悪上司は、それを部下には説明したと思い込む。「あいつ、昨日教えたのに」、「何でわからないんだ」「メモもとらないし、何度言ったらわかるんだ」。自分の説明の仕方が漏れた、あるいは下手だということを棚に上げ、「昨日、教えたけど、忘れちゃったんだ、もう一度言うよ」みたいに恩を着せられたりして、新人さんは大いに落ち込む

そんなドタバタがこれから1年は続く。その荒波の中で新人さんはへこたれず、一生懸命仕事を覚えていかざるを得ない。

しかし、1年間はまだまだ上司はやさしい。大目に見てくれるということもあるから、この1年間で頑張って仕事を覚えていくしかない。上司も彼らなりに一生懸命やっているわけで、新人さんも、それに応えられるだけの頑張りを見せないとね

22歳、23歳、24歳の春は一度しかないわけだから、頑張れ、頑張れ、へこたれるな。


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