春はまだまだ [ランニング]
2025.1.31
こんばんは。
K.Oのコンサートが始まる。ご本人には失礼ながら、多分、今回が最後かもしれない。
1~2年前だろうか?ビリーバンバンがテレビに出ていた。何かのコンサートだったか、対談だったかは忘れたが、お兄さんはリハビリ中で、かなり頑張っておられた。往年の活躍を知っている者にとっては「頑張って」というよりは「痛々しさ」が先に来てしまって、歌を聞くどころではなかったのを思い出す。K.Oがそうだとは言わないが、いつも元気でいてほしいと思う一ファンとしては、ビリーバンバンのような痛々しさは味わいたくないのが正直な気持ちだ。今日もBSでコンサートの模様をやっていた。歌は相変わらずというか、何度聞いても心地よい響きで心に染みる。今年のコンサートを最後まで駆け抜けられるかが心配でならない。
ネットニュースに対するコメントで一人の方の言っている言葉がドンピシャリで返す言葉がなかった。「うまいことはうまいけど、音程に沿って歌っているだけで、高温の上澄みを聞いているようだ」と書いてあった。たしかに、私も似たような感想をもっていたものだから、ファンでなくても見抜いている人は見抜いているんだな。芸って怖いなと思った。
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最近、日中が結構暖かなものだから、それにつられてウォーキングを初めている。
木々の緑はまだ遠いけど、空はどこまでも青い。

大昔、まだ私が高校生のころ、よく空を見上げて「なんであんなに空って青いんだろう」と話していたことを思い出す。
時は移ろぎ、あの時と全く同じ空の色。
時は時として残酷だけど、 現実を受け止めなくちゃね。
もう少し、あと一歩。

こいつみたいに、しっかりと根を張っていたいね。
中居君問題 [新聞記事]
2025.1.29
こんばんは。
今日は野次馬根性丸出しで中居君問題というか、フジテレビ問題というか、三菱UFJ問題というか、ビックモーターというか、インサイダー取引というか・・・・そういう世間一般に多く見られる事件について、少し生意気に所見を書いて見ることにした。
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究極の結論から言ってしまえば、これはみんな人間関係であって、特に組織の中の人間関係が最終的に「悪」に傾けば犯罪化していき、正義が頭をもたげてくれば、これは是正、改善されていく。横文字て言えばコンプライアンスが守られるか守られないか。しかし、組織が「悪」のほうを「善」と見なせば、これは組織内では絶対的に「善」となっしてしまうことになり、それを「善し」とするか、「悪し」とするかは、その組織内に現役のあなたたちにかかってくるわけで、内部通報制度を利用すればと言っても、ご承知のとおり、それは絵に描いた餅であり「使えたもんじゃない」というのが本音だろう。
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多くのサラリーマンは会社という組織に位置しており、その組織内は上意下達が常であり、間違っていようがいまいが、それを達成することのみが求められることが常態化というか、通常運転になっているというのが現状であろう。それが法に触れなければ何も問題ではないが、ときたま「えっ!いいの?」と思われるようなことを求められることもあるかもしれないし、人間関係の力関係「あの人グイグイ押して来るよね」、「あの大声を聞くと、もう嫌になる」、「触らぬ神にたたりなし」と、遠巻きにして見て見ぬふりをする。こういう姿勢を別に非難するつもりは毛頭ないが、そういう中で我々は日々仕事し、生きていかなければならないことは事実としてある。特に組織のトップが、それを見て見ぬふりをするような組織では、如何せんどうしようもないというのが実情だろう。
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そういう私も、そのどうしようもない組織にちょっとだけいたことがあった。かいつまんで言うと、当時、私は経理を担当していて、誰が・どこに・何を納品したかは分かる立場にいた。営業マンが納品すると、私が請求書を書き、後刻、その入金処理が会社にされて、ジ・エンドとなるわけだが、どういうわけか営業部長が納品すると、なかなか入金されないことを発見。当初、新参者だった私は、そのことを経理課長に報告した。新参者の私としては、その仕事の実態を上司に報告すれば、一応、自分の責務は果たしたということで、多少の不審は不審としてスルーしていた。すると、後日同じことを発見。再び上司に報告。経理課長はニヤリと笑い、それを未決のボックスに入れた。鈍な私は私の責任範囲を出たので、何の疑いもせずに毎日の業務を続けていた。すると再び同様なことが起こった。流石に私も以前からの流れを追うことをした。すると、今までの伝票は依然として未決のまま放置されているのを発見。
私は恐る恐る上司に聞いた。
私:「あの、この前の伝票まだ入金がされていないですが・・・」
課長:「ああ、知ってる。いつもそうだ。どこに入れているんだか?いいよ、いいよ、気にせず、君は君の仕事をしなさい」
私:「????はい」
当時、入社2~3カ月ということもあり、余り深くも考えず、自分は自分に課せられた仕事をやるのが精一杯ということもあり、そのまま時が過ぎた。
ある時、経理課長も堪忍袋の緒が切れたのか、社長と経理課長、そして問題の営業部長が話し込んでいた。それを横目で眺めていたら、私も呼ばれた。
私は右も左もまだまだ分からない状態だったので、3人の会話をじっと聞いていた。流石に、あの伝票問題の話だろうということは十分に承知して聞いていた。
どうやら、経理課長は、その未入金状態を社長に報告、営業部長にその顛末の説明を聞いているということらしかった。私も聞かれたことは、すべてそのまま実態をお話しした。
営業部長はいつも大声を発するタイプで、人を呼ぶのでさえ、皆仕事を静かにやっているところを遠慮会釈なく、みんながびっくりするような大声を出すので、何となく周りの人間を臆させるところが常にあった。今回も、その顛末を説明するのに、恫喝とまではいかないけれど、大声で説明にもならない説明をしてゴリを通そうとしているところだった。
すると、社長が「分かった。それ以上は何も言うな。もういい」と言った。
私はどういうことかよく飲み込めなかったが、経理課長曰く「これ以上は何もするな。とがめもしないということさ。営業部長には頭が上がらないということだよ。あいつ横流しているんだ。それを社長は見て見ぬふりをしているということさ」
私もだんだんとその会社の勢力図が分かってくると、どうやら営業部長は仕事もできるらしい。仕事もできるが横流しもする。社長としては、営業成績はそこそこ上げてくるから首にもできないという情けないトップであることが分かった。
組織として、トップがだらしないと、その下もだらしなくなることは確かだし、トップがダメなら、幾ら下の者が騒いでも早々変化はないということを思い知らされた次第。
その会社は、社長も部長も課長も新人も同じ部屋が仕事をするような小さな会社だったから、ある意味風通しがよく、状況がつぶさに分かることはラッキーと言えば、ラッキーだったかもしれない。それよりも、もっと大きな会社にお勤めの皆さんは、風通しも悪く、どこにどう申し出をしたらいいのか、この上司は自分にとって敵なのか味方なのかを判断しなければならないような組織ならば、それはそれ、大変なことだとお察しするしかない。組織を変える、悪しき風習を打破するなんていうことは、自分に副業としての何かアイテムを持たなければ、早々簡単に英断できるものではないのかもしれない。
もちろん、私が早々にこの企業から退社したことは言うまでもない。
家づくりは一回では成功しない(第300回)-日照 [我が家]
2024.1.24
こんにちは。

この写真は太陽に向けて撮ったもの。
私の腕は進歩しないけれど、カメラの進歩は著しい。逆光もなんのその。自動で調整してくれるから助かる。以前だったら真っ暗で写るに違いない。
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高齢になることを見込んで平屋にしたこの家。七十近くになって家人の足運びがおぼつかなくなった。やはり平屋は正解だったかもしれない。
しかし、その分、地べたに多く間取りを配置することになったので、当然ながら日当りは悪くなる。
以前も書いたけれど、隣地の高低差があったため、なおのこと日照が悪くなった。
「どうしてそんなこと分からなかったの?」といぶかしく思われるかもしれないが、それまで我が家は40年近く古屋があり、そこに何年か住んでいたことが禍した。当時は日当りもよく、隣地に家は建っていたにも関わらず、日照は頗るよかった。じゃなぜ?
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よくよく考えると簡単な話で、そこが私が愚鈍の愚鈍たる所以なんだけど、南側に5~6m余分に家を出したことが禍した。きっと二階家にしたならば、そんなに南側に家を寄せる、つまり日陰になることもなかったんだろうけど、当時の実体験で日当りは良かったという感覚が強かったものだから、日当りは絶対大丈夫だと、そこはスルー、考えなかった。
それに昔、我が庭は木々が生い茂り、小さいながらもビオトープ状態になっていることが多かったものだから、木々を分け入り、目視確認をすることがなかなかできなかったという言訳をしておこう。
この図を見ていただく分かると思うけど、斜線までが日陰の部分。我が家と書いてあるところまでで家を止めておけば何の問題はなかった。斜線がクロスしているところまで出したものだから、そこの部屋は全く日が当たらないことになった。
【教訓】
・家を建てるときは、「絶対」とか「必ず」ということはないと思え。
・現地確認の徹底をしろ。
・営業マンの言葉はまず疑え。(今回、営業マン(設計士)の判断はなかったものの、専門家として、周りの状況等を鑑み、こんな可能性がありますが?と、一言助言がほしかった。)
初詣 [生活]
2025.1.23
こんにちは。
新年早々遊びに行っていたものだから、ついつい初詣なんかを忘れていた。ここは一念発起??の初詣に行ってきた。千葉はあまりいいところがない。定番の明治神宮でもと思ったが家人が余り気が乗らないようなので、じゃ、近場でということになった。
成田山も行ったし、香取神宮も行ったし、どこかないかと検索。

「笠森観音」というwordが出てきた。結構いい感じの写真。

岩場に建っているのか。足元がちょっとおぼつかない感じ。

結構な階段を登っていくと・・・・。

やっと鳥居が見えてきた。

まさか?ここで終わり?
でもあのお堂はまだ見えないし????
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むっっっっ!
この先にありそう。

結構山深い感じで、ちょっとひんやりしてきた。

あの上まで登るんだね。

朽ちてはいないだろうけど、大分古い建物。

そして登り切ると大パノラマ。

あんな不安定な場所に建っていると思うと、ちょっと足がすくむ。



そして、そのまた上にはお堂があった。

これもかなり古いお堂。
子育地蔵尊と書いてある。

朱色も大分剥げているけど、それがまたいい感じ。

ご利益はありそう。

鐘つきのお堂もあった。
これは誰でも、いつでも叩ける。
ゴ~~~~~ン。

私は遠慮なくたたいてきた。周りの木々に鳴り響いて、結構気持ちがいい。格好よくというか、きれいな音色で叩くことは結構難しい。

遠くから見るとこんな感じ。
ご本堂は撮影禁止だったので、撮れなかったけど、観音様はちょっと見落としたな。
お賽銭は?円を入れたけど、御利益はあるだろうか?
どうか、今年一年がいい年になりますように。
やっぱりほっとするね。 [生活]
2025.1.21
こんばんは。
久々のウォーキング。体は走りたくてうずうずうしているけれど、膝を痛めると走ることも、歩くこともできなくなる可能性が高いので、じっと我慢するのみ。年をとるとは、こういうことなんだと実感するね。多分、俺より大分若い皆さんの膝だけでもいいから交換してほしいね。
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大事をとって、いつものコースの半分以下。
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桜の木の芽吹きはまだまだ。
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茶系の色ばかり。1月だからね。
春はまだまだ遠い。
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おじさんが紙飛行機を飛ばしていた。
のどかでいい。
平和な国、日本で生きることに感謝するのみ。
せめて2~3キロは走れるようになりたい。
こんなこと、現役時代にはあり得なかった。時の流れの大切さをヒシヒシと感ずる。
小さな芽に大きな期待 [バラ]
2025.1.20
こんにちは・・・と言うには、ちょっと遅いかな。17時になる寸前だ。
日差しに誘われ、久々にウォーキングをしてきた。ランニングは膝に違和感を感じてから無理はしないことにした。先日もテレビで軟骨の再生するのは、3~40代までと言っていた。あとは壊れたら「はい、それまでよ」ということらしい。しかしながら再生医療の対象になっていて、もう少しで実用化されると期待されているが、それが実用化の目処が立ち、保険適用になるまでは我々庶民にとっては高嶺の花が通り相場。期待もしつつ、あきらめもしつつ。孫に世代には、一般に普及し尽くしているだろうから、そこに期待するしかない。我々は再生医療の恩恵に浴さない最後の世代だろう。
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今ウォーキングから帰ってきたところ。5キロぐらいをあっちを見、こっちを見してきただけなのに軽く汗をかいた。結構外は日差しが暖かだった。
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昨年の初冬(10月ごろ)バラ挿し木を試みた。時期が時期だけに余り期待はしていなかったんだけど、何とか根付きそうだ。


15年近く頑張り続けたバラで、ここ3~4年は元気がない。カミキリムシにもしっかりと犯され、瀕死だった時もあったが、自力で何とか再生してきた。

春には我が家の庭に一番花で咲いてくれたバラ。咲く前も、咲いてからもきれいバラ。名前はピース。
秋口に挿し木し、根が出てきたので11月に鉢に植え替えたもの。
流石に、最近の寒さは心配の種。
日中は日向に置き、夕刻になると家に入れて養生をした。
土が乾いたら水をやり、施肥は一切御法度。
ピースのベストショットを探したけど、これしかなかった。
本当はもう少しきれいなんだけど、残念。
自らのアイテムを放棄しているのではないか? [新卒・転職]
2025.1.19
こんばんは。
今どきの若者は・・・・なんて言おうもんなら総スカンを食らう。大変な時代になってしまった。今が現役じゃなくて、本当によかったと心から思う。
昨日「30分飲み会」というテロップが流れた。へェー、上司(幹事)も考えたもんだ。
とはいえ、私自身、そういうイベント、飲み会とか、送別会とか、新年会とかの類は全く好きじゃない。酒が得意ではないからという理由もあるけれど、1対1なら馬鹿っ話ばかりをしていることもないし、ちょっぴり真剣な「マジな話」に入り込むことも多々あり、そういうことは滅法好きなほうなもんだから、ついつい集団での集まりに足が遠のく。
大人数での飲み会は、とかく真面目な話は御法度で、「酒の席での・・・」というどうでもいい話に終始することが多いので、でき得れば欠席したいというのが本音だ。自分の大事な時間を、上司及びその周りの雰囲気を忖度しながらその場にいることは、苦痛に近いと感じるのかもしれない。「これって、今の若者気質?」と言われてしまうと、ちょっと片腹痛く感じなくもない。
それはともかくとして、これから現職を生きていかなければならない諸君にとっての問題は、調和力、反論力、英語で言うとディベート? これが非常に重要なわけで、今後我々の大いなる脅威になるであろうAIに対し、大いなる武器になるであろう調和力、そしてその調和力、団結力をより強くするものとしての反論力が現役諸氏にとっては必要だろうと考えるわけで「時に流され、出る杭は打たれるなら、出なければいい」なんていう日和見的に生き抜ける勇気があるのなら、それでもいいとは思うけれど、人生、それだけで通り過ぎることができるほど甘くはないわけで、だったら徹底的にAIに対抗し得るアイテムを、その飲み会で磨き切っていこうと思い直すことも重要なんじゃないかと考えるわけです。
パソコン(スマホ)に向かいゲームをすることも楽しいに違いないけれど、そこには人に対しての思いやり、気配り、場を読む力、折衝力は皆無だろう。
これは恋愛でもそうかもしれない。相手の気持ちを考える。自分の気持ちを伝える。それは結構照れくさいし、嫌われたらどうする?という思いも交錯するわけで、職場での交渉力とは、また別な能力が必要になることかもしれない。しかし、これもまたAIには絶対負けられない領域で、ここぞ、人間の人間たる所以の一つかもしれない。
そんな大変な難しい時代を逃げては生きていけない。
家づくりは一回では成功しない。(第299回)-ゴミ処理(2) [我が家]
こんにちは。
今日も会計処理がなかなか進まないまま一日が終わろうとしている。
困ったもんです。お金は根っから好きなのに、それを決める会計処理は全く好きになれない。今までやってきた処理方法でやれば直ぐにでも申告できていたのに、会計ソフトを使うと途端に分からなくなる。素人にも簡単に処理できるといううたい文句で買った会計ソフト。何とかしなければ笑いもんです。確定申告はもうすぐ。
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では、家づくり(ごみ処理)の続きです。
「ごみ」と検索をしていたら、どうも世の中の人と私とでは少しずれているのか、検索で引っかかるのは、生ごみをどう匂わせないかの解決方法がもっぱらで、家の中に生ごみも、ビンカンも、燃えないごみも置いておくことを前提にしているようで、私の悩み(生ごみとビンカンは外に置く置き方)を解決してくれるサイトには出会うことができなかった。
いろいろとサイトはあるのでご覧になっていただければと思う。

私が悩んでいるというか、どうすればスマートに日々のごみ処理ができるようになるのか?
左の図でお分かりになってもらえるかと思うけど、向かって左。
「外」と書いてある傍にドアが2つある。
これは台所から出入りする勝手口にドアが2つあると思っていただきたい。
そして右側。同じく「外」と書いてある下にドアが1つ。
その右傍に四角い箱らしきものが2つ。これがごみ入れ。1つが生ごみ、もう1つがビンカン。このドアが勝手口でドアを開けて生ごみとビンカンを入れる。外だから家の中に生ごみがないので、異臭を放つということは皆無。
しかし、ドアを開け、ごみを捨てる作業が半身を乗り出して捨てることもあり、どうも格好が悪い。もう少しスマートにできないものかと思ったのが左側のドア2枚の図。つまり、ごみ箱置きは一つの部屋で囲ってしまうが、家の外に顔を出すこともないので、不格好な姿勢を外にさらすこともない。
「そんなこと、どうでもいいじゃん」と言われてしまいそうなんだけど、これは毎日のこと。朝起きて歯を磨くように、一日の最後、夕食が終わった時に、そのごみ処理は行われる。人数が少ない場合は一回で済むが、ちょっと多い人数の家は一回では済まない。特に夏場は2回、3回と捨てることになる。一つ不安材料は小さい部屋で区切ってしまうので、臭いがこもる可能性は高い。なので、その小部屋は多少なりとも風通しがいい状態でなければならないことになる。
今回、この問題も考えていたのだけれど、そんなこと考える人いないよとばかりに家人にもメーカーにも余り本気では考えてもらえなかったので、実行はできていない。雪国の玄関のように、二重に勝手口をつくると思っていただければご理解いただけるかと思う。
そんな詰まらぬことを考えながら、また一日が終わっていってしまった。
家づくりは一回では成功しない。(第298回)-ゴミ処理 [我が家]
2025.1.14
こんばんは。
前回は思いっきり根暗バージョンの投稿をしてしまったけれど、人生の最終コーナーを通らない人はいないわけで、その時、人生をあきらめている人間が大半だけれど、その現実をまだ知らない人たちは、傍観者でただ笑って見ている・・・・・というのが通り相場だ。
現役の若い諸君が経験しているように、何か事を成し遂げる、それは明日彼女にプロポーズをするという「事を成す」には少々近視眼的?なものでもいいし、仕事で売上を100万突破するでもいいかもしれない。目標を持つということ。それを大谷君のようにノートに書き記すでもいいし、机の前に張り紙をするのでもいいし、人それぞれ自分に合ったものに具現化することで、その結果を心に焼き付けることは、かなり大切なことだと誰もが経験している。
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まあ、そんな意味不明なことをダラダラ書いてもしようがないので、今日の本題、ゴミ処理の方法を考えたい。
これは何度も書こうと思っては消え、思っては消えしていることだ。世のほとんどの人の家は、勝手口が台所にあり、その扉を開けて頭をちょこんと出し、その近くに置いてあるごみ箱に、ごみを投げ入れるのがほとんどであろう。まあ、それが一番やり慣れたことであり、誰もが疑問を持つわけもなく、それを踏襲しているわけだけれど、果たして、それでいいのだろうか?もっといい方法があるのではないか?ごみを投げ入れる時の無様な格好は余りいただけない。そんな時、決まって誰かが前の道を通り過ぎたり、挨拶をされたり、出会い頭ということもあり、びっくりと格好悪さが相まって余り気持ちのいいものではない。
台所のごみはほとんどすべてが燃えるごみであり、ビン・カンもあり、プラスチックも多少出るが、今回は燃えるごみに特化して話をしたい。
その台所のごみには二種類ある。1つは生ごみと言われるもの。濡れているごみ。魚の頭であったり、みかんの皮であったり、大根の皮、天ぷらのカス等々・・・総じて濡れていて、少し置いておくと匂ってくるものと言っていいかもしれない。
それからもう一つは、乾いたごみ。バナナを包んである袋とか、個包装されていて乾いているもの。簡単に言うなら置いておいても腐らないものと思っていただいていい。この二種類を厳密に分けている家庭と分けていない家庭があることは大方想像がつく。
我が家は、乾いているごみは家の中のごみ入れに入れるけれど、濡れている生ごみは勝手口を開け、外のごみ箱に入れることになっている。そのほうが、コバエも寄りつきにくいし、家の中が臭わないと思っているから。
ちょっと長くなるので、今日はここまで。【続く】
最期は押し切られる [医療・介護]
2025.1.13
こんにちは。
千葉はカラっ風が吹いていて、湿度は30%真ん中。連休前は30%を切っていた。思わず居間の加湿器スイッチオン。パソコン前にはペットボトルをヤドカリ状態の加湿器。安いし、衛生的で、使い勝手もいい。

CAWKAY 加湿器 2本セット 超音波式 卓上 ペットボトル コップ ミスト 乾燥対策 保湿 静音 スティックタイプ 持ち運び簡単 静音 (加湿器2本セット)
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これはかなり重宝。パソコン前と寝室の枕元に置いている。
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人生黄昏て来ると、生きていく上にもいろいろと支障が出てきやすい。死刑・被執行人の気持ちがよく分かる。じっと座して死を待つだけにならざるを得ないのか? 膝、緑内障、リュウマチ、繊維筋痛症・・・と老人の体に、これでもかと鞭を打つ。
最近の私たちの会話には、最期はどこで、誰と迎えるのが一番いいのかなんていう話を冗談交じりに交わすようになった。
私自身、最期まで看取ると心に決めている最悪パターンの老人になりつつあるのは、自分の両親の病院での介護、自宅での介護を見るにつけ、これだという最善のものはないからだ。ここには、残念ながら性善説に入る人間は8割ほどか?残りの2割は、目の届かないこともあり、性悪説に仲間入りしてしまう可能性は随所にあった。これもスポーツと同じで、タイミングが悪いと共倒れになる危険性をはらんでいて、客観的に冷静に見るに越したことはない。
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そんなことを考えつつ、西の空を見ると
しっかりと茜色の空が見えた。いやだね、外はカラカラなのに、
今日はいつになく湿っぽい。

人生を振り返る--賀状に書けない想い [生活]
2025.1.10
こんにちは。
この年になると「年賀状の来ない人には、翌年から書かないこと」という暗黙のルールが我が家の定石としてはびこりつつある。相手は、それ相応の理由があるわけで、喪中であったり、年賀状仕舞いであったり、ただ単に忘れたり、面倒くさかったり・・・・。
若者はドライに、単純にLINEに変更するだろうけれども、老いぼれは、そこそこ相手の空気を読みながら年賀状から離れていく。じゃ「来年からLINEにするよ」という仕切り直しをするわけでもなく、そうこうしている間に、この世の中から、親類縁者から遠ざかっていく。
そんなルールに従い?昨年喪中だった友人が一人いた。当然、我が家のルールに従うと、今年からこの友人は書かない相手となり、そして書かなかった。
・・・・すると元旦、ポストを覗くと、なんとその友人から賀状が届いていた。これはまずい。さてどうするか?長野へのスキー旅行の疲れもあり、あっという間に5日が過ぎてしまった。年賀状は余ってはいるものの、今から「明けましておめでとう」と書くのも何か間が抜けてバツが悪い。それに、あの小さな葉書に思いの丈は書けるはずもなく、それではということで、いつもの常套手段としてメールで返信を行った。
その友人とは賀状だけのお付き合いとなってしまったが、当時、私はリストラ候補者、彼は研修生であり、同時に退職願者であって、その時の私の立場を相手は知る良しもなかったけれど、相手の気持ちはよくよく理解できたこともあり、一応、先輩ずらだけはさせてもらっていたので、そこそこいろんなアドバイスや彼の本音を聞いたりしていた。
そんな間柄だったので、今までの経緯とか、いろんな思い出をこの時とばかりにメールにしたためた。
すると、彼からの返信がその晩に来た。
メールを見ると大体のその方の仕事ぶりが分かる・・・・なんて言うと若者に嫌われるけれど、こちらの聞きたいこと、言いたいことを、すべてそのメールには含まれていて、簡潔で要領を十二分に得ていたのには、びっくりした。
仕事のメールではなく、ただ単に当時(40年前)の思い出ついでに相手の近況とか、今の仕事ぶりなんかをコッソリ聞きたいわけなので、私のメール文は要領を得ないが、それをちゃんとくみ取っての返信であったことで、彼の日々の仕事ぶりが想像できた。
その中で自分の知らない言葉もあり、一読目は「あれ?」と思いつつも、誤字かなと思いスルーしたのだけれど、よくよく調べて見ると「ヘェー、そんな職業もあるんだ」と思った。
それは「越境EC」、世界はグローバル化しているとは言え、私の知らない世界にびっくり。
年賀状以上にメールのありがたさを感じた年の初めでありました。
価格変動制-ダイナミックプライシング [生活]
2025.1.7
こんにちは。
新年早々家族旅行をした。こんなことを言っては申し訳ないが、インドア好きな私たちとしては、かなり意に反したことであって、決して喜んで計画したわけではない。
正月真っ只中ということもあって、計画は2~3カ月前から立てていた。JRの手配(新幹線・在来線・指定・乗車券)、宿の予約、朝昼御飯の手配、駅近駐車場、帰宅後の食事等々。
たった1泊旅行なのだけれど、11人の移動は、どこもかしこも嫌がられる。ネットで予約するも一括にすると大体「 エラー」と返信されるため、3回に分けて予約をしなければいけない。それに未就学児童、小学生がいるものだから、この節、インフルエンザ、溶連菌感染症、コロナなど大敵が右往左往している。案の定、2週間前には次男家族が、1週間前には長男家族が我々の気持ちを斟酌せず、ドンピシャリ感染した。
幸い12月30日までにキャンセル料はかからないので、寸前のところまで安否確認をし続けた気持ちを酌むこともなく、愚息たち曰く「1週間を過ぎたから外出もオッケイだよ」と事も無げに言う。
そうこうしているうちに、その日は来た。
愚息連中は31日に来襲。拙宅にて年越しをし宿泊。1日に正月を祝い、2日早朝4時過ぎ起床。6時の電車で出発となった。何人かは風邪の残骸の咳をしつつであったが、8時半ごろには軽井沢に到着。


係:「それはないんです。子どもはキッズメニューがあります」
・・・・・そこで私たちの昼食が来た。メニューはカレー・・・・するとレストランの女性(この方は中国人)が聞きもしないのに、ほかにもメニューがあると説明し出した。

私は食事終了後、クロークの人間に今一度申し入れをした。
私:「大人は単品メニューでいいですから予約したいのですが?」
係:「ちょっと待ってください」
---私が予想するに、キッチンの立場がフロアーよりよほど強いんだろうことは十分に想像できた。一般的に組織内でも、人間同士の力関係は存在し、あの人に頼むとスムーズに行くけど、この人に頼むとなかなか先に進まないということがあるように、このレストランにはあるんじゃないかと推察。
そんなやり取りの後、クロークの人間が「10人しかテーブルは空いていないんです」と言ってきた。私たちは10名+未就学児道1名の11名。確かに1名だけ多いから座れないのだと彼は判断したのかもしれないが、私は「大丈夫、子どもだし、座れなかったら私が抜けるから問題ないよ」と説得。「それならば」ということで、ようやくレストランで食事ができることとなった。
夕刻、タクシーでホテルに孫たちを送ったと電話が愚息からかかり、孫5人と荷物がホテル到着。孫を引き取って親を待つこととなった。
そこのホテルは3つのレストランがあって、2つはいっぱいとのこと。下調べでは近くにスーパーもあるようで、そこで食べ物を調達してもいいと思っていたが、まずは一安心。
食事は可もなく不可もなくというところ。チェロの生演奏はよかったものの、値段の割には・・・・と思ってしまった。

アウトレッド近辺はどこも満員。道路も渋滞。正月とは言え、流石、軽井沢と思った次第。
お蔭様でクレジットカードは、利用上限を超えたようで使用不可となり、来月の中旬まで使用はできない。最近の円高、インバウンドによる宿泊料金の価格変動制の影響をもろに食らった感がある正月旅行であった。

まずはクリスマス [生活]
2025.1.6
こんばんは。
溜まってしまったブログ記事。
まずは年末から。

当然、クリスマスが今年ラスマイのイベント。
学期末、子供たちの成績のご褒美授賞式もあり、ジジババとしては、それなりに忙しい。

お互い(私たちは)今年が最後かも・・・という思いを共通認識として孫の相手をすると、それなりに思い入れを深くする。

そんなこととはつゆ知らず、孫は孫の世界で思いっきり楽しく時を重ねる。

それもそれ、これもこれ、2024年の私たちの想いは、少しだけ、ほんのちょっとだけ君たちの中に残れば、それでいい。

これらの飾りは愚息たちがまだサンタさんを信じていたころに飾っていたもの。
色もあせず、30年もお付き合いをしてくれた。

君たちのように、少しも年を取らないでいたいけれど、それは今も昔もできぬこと。

詰まらぬ感傷に浸る暇もなく、辰年もあっという間に過ぎていった。