義理兄の死 [生活]
2024.9.9
こんばんは。
一昨日、梨を2件からいただいた。1件目、フォークを刺す度に梨のエキスが飛び出すというとんでもないほどミズミズしくおいしい梨。2件目、こちらもミズミズしくはあるものの、1件目より少しだけ酸っぱい梨。どちらも1年ぶりに食べた梨。お金を払っていない分、よりおいしく感じたのかもしれない。
「流石に二人では食べきれない」と家人。家人の頭には、直ぐに孫に食べさせようという魂胆が見え隠れ。私もしばし会っていないこともあり、直ぐにそれに乗ることと相成った。「今日は土曜日だし、多分、子供たちは塾もないだろうし、梨を置いて直ぐに帰ればいいよ」と再び家人。私も渋々思い腰を上げた。
半日後、孫3人の愚息の家に到着。梨を頬張りつつ末っ子の、いつもは彼女だけお泊まりができない孫が突然「今日、お泊まりするから」と突然の宣言。まだ、誰もそんなことは言いもしないし、素振りも見せないでいたのに「えっ?」と嫁も、他の孫も、そして私たちもびっくり。そんなわけで「急きょ」はいつもながらの孫来襲となった。
昨日は、彼らの送り迎えでご老体には流石に応えるばかり。今日はぐったりの一日。明日に向けての回復に備えて過ぎた。
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義理の兄が死んだ。死因は肺ガン。これは結構多い病気の一つとのこと。タバコは最大の原因の一つ。今は薬もいいのができたのか、お見舞いに行った時も元気そうに食事をしていた。
私が最も驚いたのは、その潔さだ。私が元気そうな彼を見て「秋に二人目の孫が生まれるんだから、それを楽しみに」と言うと、彼は一言「無理だろうな。ステージ4だし、それは100%難しいと思う。それは全く考えていない。来週か、再来週か、それが精一杯かも」と他人事みたいに淡々と言う。
私だったら未練タラタラに、ああしよう、こうしよう、これを持ってきて、あれをしておかなきゃとかとギャアギャア叫んでしまうだろうけれど、彼は違った。静かに事の説明をする彼の言葉を聞いていると、本当に死に向かっている自分を理解しているんだ、この人はと尊敬の念を抱いてしまった。
そして、彼の言うとおり、2週間後に息を引き取った。
2019年に発症。病状の進行とともに、彼は先の道筋もちゃんと考えていたようで、去年の9月。ちょっど1年前の父の命日に、無理を押して墓に線香を上げに来てくれたのは、今日のこの日を予感していたからにほかならない。
この年になると、多くの方々の死に接し、祝儀よりも不祝儀のほうが多くなってくる。若いときは、祖父・祖母の死は身近であっても遠くの存在であったことは事実であって、身近であっても身近でないという感覚が大半を占めていた。
20代の1時間/3600秒は、70代の1時間/3600秒と何ら変わりはない。しかし、残念ながら20代の時は、それが少しも分からない。自分だけ、1時間が1万秒も、2万秒もある気になっている。
1時間が3600秒しかないということが、いつかは皆分かる時が来る。それが早ければ早いほど、人生軌道はぶれずに進み始める。早く見つけられるか見つけられないか。それだけが人生の価値を高められる術なのかもしれない。