家づくりは一回では成功しない(第290回)-雑草が嫌い [我が家]
2024.6.6
こんばんは。
私は日記を付けて、かれこれ15年が過ぎた。別に自慢ではないが、一日を振り返る時間がその間少しとれるので続けている。第一巻、15年前には何の迷いもなくそれを買ったが、第二巻目となると、少しの間、手が伸びるのが止まった。あと10年か・・・・生きているかなってね。
5㎝ぐらいの正方形のスペースが1日分の領域となる。書く量としては、ちょうどいい。このブログのように幾らでも書き続けられるわけではない。だから、簡潔に分かりやすく。
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2週間ぐらい前、去年の日記が目に止まった。「朝から猛暑」という書き出しだ。それで思い出した、去年はかなり暑かったので、早朝でも「超」早朝に走っていたことを思い出した。しかし、今年の早朝はそう暑くはない。長ズボンと半袖だけれど、半袖だとちょっと涼しい。走ってちょうどいいが、スタートしたばかりでは涼しいというよりちょっと寒い。
これが平年並だということは、去年はかなり暑かったということだ。
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道すがら、新築の家が建っていた。日当りもよさそうで、住みやすそうだ。公園の傍に建てられた家で、ロケーションも絶好だ。
庭もそこそこあって、庭仕事にも絶好な広さだと思う。
しかしながら、2棟とも庭はしっかりとコンクリートで覆われていた。
当然、現役世代がその買い手対象者になるわけなので、
「庭仕事?
とんでもない。そんな時間なんかないよ」と言われるのがオチなので、コンクリートで覆い、雑草取りなど余分な仕事はせずに済まそうという思惑は十分に理解できる。
しかし、日当りのよい庭のコンクリートの照り返しはきついものがある。真夏は目玉焼きが十分にできる。庭でプール遊びをしようと思っても、地べたは十分に水をかけて冷ましてからでないと、子どもの素足は大火傷を負うことになる。
家の周りが土であることと、コンクリートであることの違いは、コンクリートに当たる太陽の輻射熱の量が全く違うので、そこは十分な配慮が必要だ。それじゃ、冬は絶好?かというと、その分太陽は傾いてしまっているので、輻射熱的な恩恵は受けられそうもない。
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一軒家とマンションを比べると、その違いがよく分かる。マンションを覆っているコンクリートが太陽の熱を十分に吸収するので、部屋の中の温度は一軒家のそれに比べると、かなり違いがある。
マンションから一軒家に引っ越された方々は経験済かもしれないが、秋の夕刻などは、上着を1枚引っかけないと風邪を引いたり、体調を壊す場合が多々ある。
私も一軒家に引っ越したばかりのころは、その1枚を羽織る習慣が全くなかったので、何度も体調を崩したことがあったことを思い出す。
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あともう一つ大切なことがある。それは雨だ。今までの雨量だったら問題発生には至らない。災害の時に最近とみに言われるフレーズ。それは「五十年に一度」「百年に一度」という言葉。異常気象=異常雨量。コンクリートでどこもかしこも塞いでいる現代のまちづくりは、滝のように降る異常雨量には全く対応できない。
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雨は地上に降りそそぎ、地上の生き物に多くの恵みを与え、姿を変え、水蒸気となって空へ舞い戻る。そして水蒸気はより大きな粒となり、雲になり、雨となって再び地上に舞い降りる。単純な繰り返しだけれど、そこには微塵も力みがない。全くの自然体だ。
その自然に不自然体の人間が挑もうとしている。勝つのはどちらだろうか?もう既に勝敗は決しているような気がするけど・・・・。
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仕事が忙しいから雑草取りをする暇はないという人間のエゴ。そんなちっぽけなエゴの積み重ねが、今の温暖化に拍車をかけている・・・・・・・かもしれない。
2020年代内に、平均気温が1度以上上がったら、もう後には戻れないだろうし、今よりより厳しい環境に追い落とされるのは確実で、その可能性は高い。
こんな記事も出てきた。
6年後、私の10年日記は第三巻に突入しているだろうか?