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親と子どもの狭間。 [生活]

2022.7.18

こんばんは。

昨日早朝、愚息本人から「行ってもいいか?」という電話が入った。私たちは孫に会える気持ちが何よりも先行するわけで「モチノロ~~ン」などと浮かれて返答をしたけれど、本人(たち?)にとっては行き場を失ったようで少しだけ深刻だったのかもしれない。

孫が3人もいると、それはそれなりに大変だということは十分に分かっているが、多分、それは自分たちで覚悟を決めての結果であるわけで、愚息彼らの責任は孫たちが成人するまで全うしなければならないことは当然の理。

・・・と大上段に構えたところで、そんな覚悟がないのは、今までの彼らの行動を見ていると十分に分かることなのだが、「仏の顔も三度まで」の三度はとうに峠を越してしまってはいるものの、今度こそという期待を少しだけ胸にまたまた再開をするわけだけれど、やはり今回もその期待は簡単に裏切られることとなった。

世代が違う、時代が違う、経験値が違う。これだけ違えば、もう十分で、「今の若者は」と先輩風を吹かせるつもりはあるわけもなく、ただ、淡々と日々をこなしていくことこそが子育ての大原則のような気もするわけで、背伸びをせず、着実に、しっかり地面を踏ん張りつつ、平凡な日々を過ごしていくことが最善の方策であるわけなのだが、安逸をむさぼるような生活をしているだけでは、そこに進歩も改善もあるはずはなく、結果は当然、いい方向に行くわけもなく、徐々に徐々に自分の首を締め続けていくことに早く気づくべきであろうと思うが、きっと彼らは、火の粉が自分に掛かかるまで分からないんだろうと思う。

アンテナを張る。四方八方にアンテナを張る。これは家族を守っていくためには必要なことで、あまりにも平和で物質的にも豊かな時代に生まれ育ったことは、かなりのリスクという不幸を背負うことになる。

親としての責務は、都度、その見えざる危険を伝えていくわけだが、それが現実になれば、その言葉が身に沁みるだろうが、現実にならなければ、その信頼度は薄まる。

最終的には、愚息本人にそれを伝えていくことになるのだろうが、彼らの家庭に波風を立てず、彼らの家庭を再構築し続けていく方法を伝えていく術は多くの難しさを内包する。

いつまで経っても子どもは子どもだと痛感する2日間となった。

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