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独りの想い [生活]

2021.4.3

こんにちは。暖かくなってしまい、あっという間に桜も散り始める。

職業柄、若い時からゆっくりと花見をしたことがない。桜の木の下で宴会をするなんて、私にとっては異星人の世界と言っても少しも過言ではない。今年もそうなりつつある。

今年は特にそのスピードは速い。異常だ。気温上昇により6月、7月が激甚災害とならなければいいと願うのみ。

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ネットカフェ難民、主婦、学生、学生浪人、人生浪人、シニア、お巡りさん、お医者さん、八百屋さん、公務員、大家さん、編集者、新聞記者、学者・・・・・十人十色と言うけれど、このブログを見ていただける方々も当然十人十色だ。それが人間の面白いところでもあり、多くの可能性が生まれることにつながる。

当然、それぞれの人生に寄り添える話もあるだろうし、全くご同感いただけない話もある。このブログを書く以上、よりご同感、ご賛同いただけることを書きたいという同調調和を求める嫌らしい性を持つ自分がいる。

今日は何を書こう、明日は何を書こう。こういう題材も面白いかもしれないと日々思いをめぐらす。あるブロガー曰く、「一つに特化したほうが賛同して見ていただける方が増える。あっちを少々、こっちを少々なんて虻蜂取らずだ」だと。

「いいね」を増やす手練手管はともかくとして、この「想い」という思いは、誰でも持ち合わせている。それは腐り切った野心かもしれない。純粋な青い想いかもしれない。もっと下世話な物欲かもしれない。いろいろな想いの中で、人は時を過ごし想いを紡ぐ。明日が今日よりは少しだけでもよくなるようにと意識するしないに関わらず、そのことだけは前向きに取り組む。体が健康ならば、尚更その想いは強くなる。

もちろん、それぞれいるステージ(年代)は違うから、それぞれにその想いは違う。でも、年相応にわきまえることを縛りつけることはない。自由闊達に自分を変化させ、前、後、右、左に遠慮する必要は1ミリもない。

今、このコロナ禍で、あの時のあの想いを忘れてはいないか?

あの時の野心は忘れてはいないか? 

できないことを他人のせいにしてはいないか? 

自分の想いに対する努力は足りていたんだろうかと振り返ることを忘れてはいないか? 

個人の想いなんてちっぽけ過ぎると言われれば、それまでかもしれないが、ちっぽけな想いでも想い続けることが力に成り得ることは、民主主義下では大いにあり得ることだ。

愚鈍な高齢者は、いつもそのことを想い続けている。

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