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痛て~~ぃ! [生活]

2021.1.19

こんばんは。

昨日、不定期ではあるけれど、掃除機をかけていたときのことだ。

孫のおもちゃの片々を拾い、おもちゃ箱にしまって振り返ったとき、嫌というほど柱に頭をぶつけた。

ここで屈んで、ここで振り返ったとき、ここに木の柱が・・・ここまで出ているとは予測できなかったな・・・・なんでわからなかったんだろう・・・年のせいなのか・・・家ができてまだ家の感覚がつかめていない・・・・ということなのか・・・確かにこんな恰好で、この場所で振り返ったことは今までなかったけど・・・。

馬鹿げた解析をしながら、額を摩ると少し痛く、目まいというか、ピントが合わないような、ちょっと頭を傾げるとピクッと痛んだりするような変な痛みが1時間ほど続いたろうか。しかし、その後は違和感はなくなり、普通に生活をしていた。

そして、今日になり、排尿をし、着替えをし、顔を洗い、朝食を食べたが、昨日頭をぶつけたことはすっかり忘れていた。

我が家は私のほうが早寝・早起きだ。家人は夜中まで家事などをして起きているものだから、その分スタートは遅い。従って朝食は個食となる。

家人が起きてきて、いつも紅茶とバナナとヨーグルトを食べる。そのとき仏壇の花水を変え、コップの水を変え、彼女の食べるバナナを供え、焼香をしてから食することが決まりだ。私はものぐさだから、そのときまで焼香はしない。

焼香をして、紅茶を一緒に飲んでいたときのこと。不意に昨日の違和感が舞い戻ってきた。傷めた左側が何となく変だ。痛いような、しびれるような、左側がフワフワとする感じがする。それを家人に言うと、直ぐに「病院に行こう」と言う。こういうときの彼女の行動は早い。私はいつものことで「いいよ、大丈夫」と言ったが聞こえなかったのか、もはや彼女はバッグを持ち、ガウンを羽織り始めていた。私もこの違和感はいい気持ちがしなかったので、その行動に乗ることにした。

この節、病院は割合閑散としている。待合室は絶えず10人ぐらいずつ回っている感じで、10分もしないで問診票を書き、10分も経たない間に看護師さんに呼ばれ、10分もしない間にCTを撮り、5分を待たずして先生と相対することができた。都合、病院滞在時間は1時間半ぐらい。料金を支払い病院を後にした。

自分の病状は全く晴れるわけもなく、ぼんやりとした感覚としびれてはいないけれど、しびれたような感覚は今も残ったまま。しかし、先生はCTは異常ありませんといういつものパターン。医者を余り信頼していない私としては、CTの断層写真を見て異常はないと説明を当然のごとく聞き流し、さもありなん、それ以上のことがわかるはずもないと思い病院を後にした。打ち所が悪ければ、嘔吐したり、意識が遠のいたりするんだろうし、そうなったら、そうなったであきらめもつく。

これから床に就くが、何事もなければ、また明日ブログは更新されるだろうし、ダメなら、これが最後のブログになる。

生きてきた証、消えていく証、人はきっと何かを残していきたいと思うはず。時の流れは早く、その流れに容赦はない。今を生きていくことの大切さを思い知らされる。

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微かな歌声 [生活]

2021.1.18

こんばんは。

今日は少しいい話があった。

日々日常を消し去っている我々にとっては、新幹線に乗り、地方のコンサート会場に赴き、束の間の安らぎを覚えたのは、足かけ10年以上になんなんとしている。今となっては夢のような話で、それはもう再び来ないような気もしてきて、少しだけ焦りを覚えていたときに、このニュースはうれしく思える出来事だ。


  桜並木をたどり

  耀く青春(いま)をはじめよう

  ここで未来(みらい)を夢見て学ぶ

  希望を力に変えて

  ひめさゆりのように

  飾らぬ心で紡ぐ

  糸が導く明日へ

  ともに力あわせて


 すずかけの若葉揺れる

  青い空の向こうには

  飯豊(いいで)のやまなみ光る

 その気高さを胸に

 桜壇の学舎(にわ)につどい

 たゆまず進み続けて

 喜び多きこの郷から

 新しい世界をつくる


これは福島・喜多方の高校の新しい校歌となる歌の歌詞だ。

歌詞は学校の関係者がおつくりになったらしい。

2つの高校が一緒になって新しい高校がスタートする。

福島の喜多方と言っても全くわからない方が多いと思うが小さい街だ。昔は御諏訪様(神社)のお祭りとかで偉くにぎやかで子ども心をくすぐる街であった。つい最近までは喜多方ラーメンで有名になったところだ。山もあり、川もあり、緑豊かな街だ。水が豊かなせいか酒づくりも盛んだし、母はその造り酒屋の娘であった。その水のせいか、庭にはホタルも来たりし、蚊帳に何匹もホタルを取り込んで暗い夜をほのぐらい明かりで灯し遊んだりもした。

2~3年前に叔父の葬儀に参加した折り、街を歩いてみたが人通りも少なく、街中を流れる川の水量も少なく、路地裏の人の気配もなく、見事に寂れてしまったように感じ、寂しい思いをした。

そんな喜多方は亡き母の故郷だ。そこの高校の校歌の作曲を彼が手がけるそうだ。

彼は進んでメディアに出ることもなく、時の流れに乗ろうとすることもなく、ただ真摯に音楽を紡いでいる人だ。だから、彼の一ファンとしては、いつになったら彼の歌を聞けるのか頗る不安になる。

小田和正。

東北の片田舎の校歌ではあるけれど、彼の琴線に触れることができる唯一の方法だ。

どんな曲になるのか、大いに不安ではあるが、大いに期待もしている。

こんな世の中、後ろがない我々にとってはある意味、一つの光と感じるニュースとなった。

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