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少しは怒ったほうが日本のためになるよ [新聞記事]

2020.11.23

こんばんは。

「コロナ」のワンファイルをつくったほうがよさそうな勢いだね。その原因はどこにある?と思う・・・・の問に、国民の多くは「Goto・・・・」と答えると思う。なのに政治家たちは雁首を揃えて謝りはしない。「この政策は間違いでした」と言った政治家は一人もいない。

人間は学んで進化する動物だ。熊や猪ならば、今日の、今のこの空腹を満たす食べ物はないかと行き当たりばったりに、嗅覚を頼りに突き進んでいく。人間から見ればばったりと出くわしたことでびっくりするが、彼らは人間と出くわそうと企んでいたのではない。ただ、この空腹が満たしたかっただけのこと。山に餌がなければ、あるところまで進んでいくだけのこと。それが民間の玄関先であったり、ごみ箱であったり、スーパーの店内であったりするわけで、何も悪いことをしているわけではなく、ただ食欲の欲を満たしたいだけの行動だと彼らはきっと言うだろう。

第一波が終わり、第二波が終わり・・・いや、終わったという感覚は国民のみんなにはなかった。小康状態になったと感じ、みんな息を潜めた。しかし、一向に収まる様子はなく、ウイルスの活発化する乾燥・低温がメインの季節に入った。緊急事態宣言が出たとき、自粛警察なるものが街を徘徊し、「やめろ」などという心ない紙切れが店先に貼られたりした。その宣言を破って県をまたいで移動しようものなら、写真に撮られてSNSに上げられたり散々な目に遭った人も結構いたはず。感染者の数が前回より多い現在、その数に反して「Goto・・・」というウイルスとは全く異なる定義の行動指針を政治家は出してきた。国民は「それ、ヤバイよ」と思ったけど、Gotoなら大手を振って旅行にいける。「コロナは怖いけど、うつらない場合もある。俺、若いし」という見切り発車的な行動に出た。国民は政治がどうであろうと「右を向け」と言われれば右を向くし、「左を 向け」と言われれば左を向いているだけのこと。鼻先に餌を釣らされて踊る屈辱はあるけれど「みんなが渡れば怖くない」的な感覚でいるのは間違いない。

一方的に始まったGotoだけど、うまくいかなくなった今、やっとのこと中止という選択をしてきた。それは懸命。遅きに失した感はあるけど、中止は一般的な常識だ。しかし、この後に及んで、最終的な判断は現場にいる知事の方々がよくご存じのはず。「Gotoをやるのかやらないのかは知事の判断に任せる」と言ってきた。

政府でやっておきながら、それを最終的には知事の判断とはどういう意味なのか。旗は振ったけど、「最終的な判断と責任は知事さん、おまえさんたちだよ」と言っているのに等しい。地域地域で中止と続行があってもいいとおっしゃる。

例えば、大阪のGotoが中止となり、お隣の京都は今までどおりとする。Gotoで大阪に行こうと思って予約済みの国民はどうするのか。「しゃーない、じゃ、京都に行こう」となるのは必定。京都ではなくても和歌山の熊野古道まで行ってみようと思う人だっていないはずはない。キャンセル料ももらえないんじゃキャンセルはできないと思うのが人情。

つまり、知事のご判断で私たち(政府)は、その判断は行いませんでは、いつまで経っても、この感染スパイラルは終わらない。オリンピックはあきらめたほうがいい。

47人の知事さん方、誰か一人ぐらい、「やってられるか!命と経済、一体どっちが大切だと思っているんだ。国民を馬鹿にするのも良い加減にしろ」とケツを捲くる人間はいないんだろうか?と思っちゃうんだけど、やはり、御身お大切かな??????

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