高齢者の医療費負担を2割する [新聞記事]
2019.11.29
こんばんは。
寒いですね。今日、まだ日は傾いていなかったけど、もう既に外は結構寒く感じた。我が家に小さいデッキがあるけれど、朝方、薄氷が張っていたのにはちょっとびっくり。
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75歳以上で年収370万円以下の方々は1割の医療費負担でよかったけど、やはりそれでは行き詰まってしまうので、それを2割にしようということが決まりそうだ。現役の若い方々は有無を言わさず、3割の負担だ。どこの世代が一番負担感が多い少ないの話をすると、健康保険税は互助の精神であるからして、なかなかまとまらない話になる。若い現役世代は収入があっても、家庭があり、子どもがいて、なるべく払う税金は少ないほうがいいに決まっている。子どもの教育費も馬鹿にならないしね。
一方、高齢者は高齢者で年金しかないのに、それもだんだんに減らされているのに、今までの倍の負担感に対して文句を言う。年金でキツキツなら病院に行くなとも言えず、それもまた辛いところだ。
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国も赤字国債を発行しているので、台所は火の車だ。若い世代も大変で、CEOでもやっている方なら別だろうが、世の中の9割は冷や飯食いの「サラリー」をいただいている「マン&ウーマン」だ。一方、65歳以上の現役を終了した方の大多数は年金だけの収入で暮らしをしている。普通の給料(サラリー)をもらって33年勤めていたら、大体厚生年金は幾らだろうか?25万~30万ぐらいか。多分だけど、企業年金とか、個人で別個に積み立てていて、年金形式でもらうものを含めてでやっとこ30万円になる方々も少しはいる。バブル崩壊前の団塊の世代以前の方々は、それなりにいただいている・・・・・と思う。今の若い方々が30万を手取りで稼ぐのは大変だ。残念ながら、私は厚生年金と国民年金を半分半分で30年ぐらいを払い続けたので、えばれるほどもらってはいない。国民年金は自分で払うだけだからね。私の場合、すべて厚生年金だと換算し直すと、20年分ぐらいの期間になるんじゃないかな。この10年の期間の短さは致命傷だ。退職金のグラフと同じで、最後までへばり付いていれば多くの果実はとれるけど、途中でやめると悲惨です。企業が半分払ってくれる厚生年金の力は大きいんです。
国も若い世代も高齢世代も、それなりに負担は強いられているわけで、じゃどうすればいいんだということになる。どこかもう少し知恵を出して、負担感を減らせるところはないだろうかと考えていたら、一カ所お願いできるんじゃないかというところがあった。
それは医療関係のところだ。診療報酬と言ったらいいだろうか。初再診料とか、文書料、差額ベッドとか、そういう諸々の医療費だ。以前、お薬手帳のことを書いたが、薬局に一回行くたびに、薬剤師にあれこれと聞かれることがあると思うけれど(最低限薬の説明だけする人もいるみたい)あれで500円前後のお金を支払っている(現役なら国と7:3の割合)し、皆さん肩が痛い、腰が痛いといって整体院に通うと思うけど、そのときに手渡される施術指示書みたいな紙。あれだって相当のお金がかかっているのをご存じか。一応、施術者が一言お金がかかりますとは言ってはくるけど、大した話をする、されるわけでもないのにね。あれで幾らだと思います?1800円前後支払っている。これは一回きりなだと思うけど、毎月だったら大変な浪費になる。
三方一両損ではないけれど、みんな苦しいときは四方一両損となるべきだと思うけど、先生、ご賛同いただきたいのだが、どうだろうか。そんな赤ひげ先生もいるはずもない・・・・・・か。
守るべきものと守らざるべきもの [新聞記事]
2019.11.28
前略。
どうでもいいことと片づけることは、あまりよいことではないと思うので、ここに一筆したためることにしました。
確かに我々庶民にとっては、どうでもいいこと。しかしながら、一応法律があって、その法律に抵触、ほんの底をなめるような抵触であったとしても、それをあなたなりに償うのが日本と我々国民を守ることになるのではないですか。国民の多くがほんの一瞬であったとしても、尊敬と畏怖の念をあなたにもってしまった以上、その責任は大きいと思うのです。
史上最長の内閣総理大臣として、その名は歴史に残ってしまいます。きっと小・中・高校の年表にも載ってしまうのでしょう。その業績に泥を塗るようなことが続いていますよ。多くの方々は忘れ去ってしまうのであろう森友・加計問題に始まり、国税庁長官の「記録は処分しました」発言にはびっくりしたものです。それだけではありません。役人の公文書改ざん問題、昭恵夫人のオーバーランとも思えるご発言は公私混同の何者でもありません。そして、今回の「桜を見る会」には、キャバクラ嬢まで招待状が行ったとか、行かないとか。あれは公の行事であって、あなたの後援会の行事ではないのですよ。我々のような下世話な私人であれば、どうであっても法律違反をしなければ問題はありませんが、公人であるあなた方は、そうであってはいけない。絶対にあってはいけないのです。
東日本大震災の原発事故を起こした当事国となってしまった後も、国連の核兵器禁止条約にも批准せず、ローマ教皇フランシスコとの会談でも、平然と核兵器の廃絶をお話になり、核のごみ問題も解決していないのに、今度は女川町の原子力発電所の再開を決めてしまったあなたに対して、多くの国民は日本の政治体制に希望と夢と矜持を削がれ続けているのです。
政治家は、国として守るべきものと守らざるべきものを探す義務があり、それは太陽が東に沈んでいこうとしても曲げてはいけないことなのです。
今回のことだけではないのです。今までの枝葉末節のことの積み重なりが、我々国人の腹にボディーブローのように効いてきているのですよ。そのよい例が丸山発言ではありませんか。あれは、総理、あなたを見倣っているにほかならないのです。「総理が政治資金規正法違反をしていいんだから、俺がこんなことを言っても全く問題はない」とね。
あなたの祖父の岸信介、父上の安倍晋太郎のお二方は、頭を抱え、顔を覆っているに違いないと思うのは、私だけではないと思うのですが・・・・・・。
家づくりは一回では成功しない(71) [我が家]
2019.11.28
こんばんは。
ぐぐっと寒くなってきた。思わず雪でもと思ってしまったが、やはりそう気温は下がらない。でもいい感じ。
最近、ちょっと寝るのが遅いので少し寝不足が続く。腰は概ね治っているが、一応整体に行ってきた。今日で2回目。電気をかけ、マッサージをして帰ってきた。そんなに劇的な施術を受けることもなく、担当の方との会話も進まない。こうすればいい、ああすればいいともう少しご指導をいただきたいと思う。ただ、血流がよくないからだろうというのは素人にもわかるので、ダンベル、ローラーでの腕立て、チューブぐらいはやろうと思う。ほんとに年はとりたくないね。
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昨年9月8日の現場です。
屋根裏は結構太い梁が見える。
前回の写真を上に振ったもの。
こちら和室から台所を見たところ。壁板の向こうがキッチン。
こちらはまだまだ。
壁向こうのキッチンにはボードがまだ積んであるのが見える。
あの辺にシステムキッチンが入る。
上の写真を右に振った。
窓は掃き出しではなく腰高窓。
屋根は明り取りを付けてもらった。
大体ハウスメーカーは総じて明り取りを付けることに難色を示す。あからさまではないけれど、向こうから進んで付けましょうかと言われたことは皆無。
しかし、ここも天上板を張るから、覆われてしまう。いい感じだけどね。
シューズクローゼット内の窓枠。
その向こうは廊下です。
手前は玄関になる。
配線も大分束ねられてきた。
前回の家では、建売建築で余り口をはさむ余地はなかったけれど、コンセントの数が多かったという印象があったものだから・・・・・・今回は少なくしてしまったのは失敗。変に予算のことも考えてしまった気持ちも正直あったけど、大勢に余り関係はない・・・と思う。
コンセントは家が出来上がった状態では増やすことはできない。だから、確実に多いくらいでちょうどいい。でも、予算のこともあるからね。コンセント1つで幾らという積算で総額は決まるはずだから、そこはよくよく根掘り葉掘り聞くべきだったかもしれない。
上の写真の裏側から撮った。
廊下側からとったもの。
下の枠ははめ殺しの窓です。
発達障害 [生活]
2019.11.27
こんばんは。
あっという間に日が落ちていった。やはり雨の日は心なしか気が落ち込むね。
ブログを書いていると、昨日はどのぐらい見てくれたのかとついつい見てしまう。視聴率、世論調査、そんな類のものに似ていて、いつも判断する側に立っているのに、判断される側に立つというのも妙に変な感じだ。そんな私のブログにお一人だけいつも「いいね」をくれる方がいた。随分長いこと「いいね」付けてくれた方だ。その方のブログはいつもランキングに入っていて、その方のブログを見たが、私には全くわからないブログテーマだったので、「いいね」をお返しをすることはできないでいた。
ある日、その方の「いいね」がぴたっと止まった。もちろん、そんないいことを書いているつもりはさらさらなかったが、やはり「いいね」のない日が続くと、今日もだめだったかと若干落ち込む自分いるのに驚かされてしまった。その後も心密かに自分なりに頑張って書いていたが、2か月ぐらい全く音信不通で、今日もまた音信不通だ。ブログランキングからも姿を消していて少々気になってきた。病気をなさっているのではないか。入院をしているのではないか。物騒な世の中だから、言われぬ言いがかりを付けられて怪我をしているのではないかと心配だ。今日も今のところ復活された形跡はない。彼(?)の復活を祈りつつ、いつか突然、彼のブログの再開を願いたい。
そういう私も、いつか突然ブログ更新が止まり、パソコン前にも座ることもできないくらいしんどい体になってしまうのかと思うと、時間は大切に使わなければいけないとつくづく思ってしまった。SNSで事件が起きる度に、善良な方ばかりが見ているわけではないということを忘れてはいけないのだ。特に若い女性は被害に遭うとなかなか立ち直れないからね。
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何が正常で、何が異常なのか。
何が進んでいて、何が遅れているのか。
何が正しく、何が間違っているのか。
なぜ速いのがよくて、遅いのは悪いのか。
そんな文句のキャッチボールを悶々とやってしまう。
10人いて、9人が右と言えば、右が正しいのだろうか。左はどうなんだ。
10人の中に1人だけ周回遅れがいても、その子が遅いと決めつけてよいのだろうか。
学校は規格どおりに進めていこうとする傾向が強い。
授業でも、今日はここまで進めたいために遅い子どもは取り残される。
それは正しいことなのか。私たちのころは1学級50人、学年の組数は8組あった。
400人の子どもをすべて枠の中に入れというのには、無理がある。ましてや、今は30人の2クラスか3クラスだ。もっとおおらかに、大きく包み込む教育をすべきではないのか。
子どもは宝だ。特に今の日本には大切な財産だ。大切に、大切に育ってほしいと思う。枠にはめることがどんなに本人にとって苦しいことなのかを理解すべきだろう。人生は長い、特に若い人たちにとって時間は重要で、変えがたい財産だ。しっかりと足元を固めて、ゆっくり進むことが必要だ。世の中の大人は、そんな彼らを認め、大きく包んでほしいと思う。それを認めると統制がとれないと先生方は嘆く。そのスタンスは放任であって無視に近い。そうではない。そんな彼らを認め、話を聞き、それを受け入れ、彼らの信頼を得ることだ。そこからすべてが始まる。そこから彼らの未来が始まる。
障害を持った親御さんの気持ちは重く、晴れ間が見えない。それは医者にもわからない。でも、自分たちに、彼らを認めようとする気持ちの余裕があるならば、その晴れ間は驚くほど近い。
1年までにここまで・・・・、2年までにここまで・・・・3年までにはここまでというメルクマールは、その子にとってのメルクマールではなく、先生の、親の、大人のメルクマールに過ぎず、決して人生のメルクマールではない。
家づくりは一回では成功しない(70) [我が家]
2019.11.26
こんばんは。
今日も一日雨。寒いけれど当然の寒さ。
この界隈はよく霧の出る場所だった。40年も前のこと、家もまだまばらで、農地、草むら、牧草地、空き地が多かった。人口も5万人ぐらいだったろうか。春と秋の季節の変わり目は川(水面)と空気との温度差が大きくなり、霧がよく発生した。つい先だっても東京から千葉界隈まで霧が発生したが大したものではない。当時の霧はかなり濃い霧だった。5メーター先は真っ白で全く見えない。したがって、昔の車はヘッドライトのほかにフォグランプという少し黄色がかったランプを付けていたものだ。黄色いランプはヘッドライトより、少しだけよく見えるし、霧の中にあっても光を通しやすかったからだ。そして、それは10キロ以上は続いていた。まるで煙の中を走るような、「霧」という名の煙を払って進むような、そんな状況がよくあったものだ。西には大きな川、東は印旛沼があったためか霧はよく発生した。最近は、そんなことも余りなくなったが、それはいいことなのか、悪いことなのか。いずれ結果は直ぐにあらわれ、大慌てをすることになる。
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昨年9月7~8日の現場です。
これは寝室から隣室のクローゼットの入り口を見たところ。
上の写真を左に振ったところ。
左隅に少し見えるのは仕事部屋。
つまり、寝室と仕事部屋は一つの部屋になっていて、壁で仕切られている。
上の写真を上に向けた。
こういう梁が見えるのはいい。
私のお気に入りだ。
入り口のウォークインのシューズボックスの壁板を打とうとしているところ。
こういう感じで板を打つ。
ピッタリとはまった。
ここはトイレ。
トイレはちょっと変わっているかもね。
ここは予想外に暗くなってしまった。
光の入り具合は、よく調べたほうがいい。
当然、窓は北向き。
トイレから廊下を見たところ。
右側の手前に手洗い器が入る。その向こう側は、ここも物入れ。
それを上に向けたところ。
いろいろな配線が見える。
真ん中に見える2つの黒いものは、扉の金具だ。これはクローザー(ゆっくりと閉まる装置)だが、このクローザーが余りよくなかった。
うまく機能して便利なところもあるが、クローザーがあるために、かえって邪魔になったり、クローザーがないと扉が止まらなかったりとなかなか難しいところだ。
クリスマスの約束2019 [生活]
2019.11.25
こんにちは。
11月末にしてはやはり暖かい。明日から冷え込むそうだけど、寒いときは寒くあれ。
今年のクリスマスの約束は締め切られた。今回は普通葉書だった??いつもは往復葉書なんだけど、あれ?と思ったけど、普通葉書で投函。また、どうせ当たらないだろうと思っているけど、あきらめているわけではないぜ。・・・・・・・・何という女々しさと思うけど、一度ぐらいは行って、聞いてみたいね。思いっきり自分のペースで歌っている彼をね。
さっきページを覗いたら26~27日ごろ当選者には葉書を送るとあったので、これからだ。
明日か明後日か。その辺に来なければ、また今年も家でテレビで見ることになる。
まあ、K・Oに全く興味のない人にとっては、何を言っているんだと思われるかもしれないが、狂信的に彼の歌が好きな人間にとっては、結構大切なことなんだ。
毎年出したと言っては外れているので、今年は家人には、このことは言っていない。今までの流れを変えればきっと当たる。ルーティンを変えれば運も変わる。
「験を担ぐ」、これって人生においても重要だ。
偶然と必然 [生活]
2019.11.24
こんばんは。
今日は三越本店に行ってきた。喪中葉書を出したところ、現金書留で「お悔やみ」をいただいてしまった。お返しはしないようにという趣旨の手紙をいただいたが、「はい。そうですね」というわけにもいかず、ゴディバのチョコレートを送ることにした。私自身、仕事仲間で知っている人もいるが、直接的には知らない方もいたので、ちょっと戸惑ったが、もらってうれしいだろうという勝手な思いでチョコレートを送ることにした。
百貨店の衰退というニュースの中でも、さすがに老舗百貨店ということもあり、お客は結構入っていた。いつも百貨店に行くとお客より店員のほうが多いのだが、ゴルフ売り場以外は大体お客のほうが多くいたので、少しほっとした。いつも高島屋とか三越に行くと気が張るというか、結構、馬鹿丁寧さに失笑することも多い百貨店だが、今日は駐車場の誘導員から店の店員まで、不快感を抱かなかったのは珍しい出来事であった。マルニの家具、マリメッコのカーテン、ペルシャジュータンと久々目の保養をしてきた。しかし、150万円以上するペルシャ・ジュータン、これを買う人もいるんだなと思うと驚きしかない。あるところにはあるんだね。
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ある方が「必然と偶然」の話をしていた。どんな脈絡かは全く思い出さないが、対比を好む私としては、やはり引っかかるワードであった。
自分の過ごしていく時間の中で---本当は「自分の人生の中で」と言ってしまいたいんだけど、そういう言葉はちょっと固いので、あえて「自分の過ごしていく時間」としておいた---偶然にかけるか、必然にかけるか。果たしてどっちかという問いだ。これは難しい。自分は果たしてどっちだったのか、どっちが多かったのか、どっちを期待していたのか。これは多分、「偶然」なんだと思う。所詮、私はぐうたらな人間だから、これだけ努力したんだから、こうなるのは必然でしょうという言い切りはできるわけもなく、ただ、何となく、そうなったんだという結論しか導き出せない。しかし、いま目の前にある現実が偶然なのか、必然なのかを考えることは大事なことだ。つまり、その結果は自分の努力の結果なのか、棚ぼた的な結果で得られた偶然なのかの検証はやるべきことだと思う。
我々凡人は、なかなか自分を省みることをしない。時間がないからなのか、面倒臭いからなのかはわからないが、あまり積極的に省みることはしない。だから進歩の二文字は獲得できない。ただ、漫然とその結果を見て過ぎ去ろうとする。それが自分の人生で大切なターニングになったとしても、気がつかないで通り過ぎてしまうことはままあることだ。つまり、そのこと自体が自分の進路を見誤る、決定的チャンスを見失うということなのだ。しかし、見過ごしたとしても、誰からもとがめられるわけではなく、ただ、自分のチャンスの芽を潰してしまうだけだ。誰からも責められない。
人生は過酷だ。自分のターニングポイントは自分でしかわからないし、自分一人で責任を持つものだ。だから、「偶然」に頼ってばかりではいけない。いつも周りにアンテナを張りめぐらし、「必然」を確実に手元に引き寄せる意識していないと、せっかくのチャンスを見逃すことになる。
そのチャンスは誰にでもある。高校しか出ていない人でも、大学を6年で卒業した人でも、裕福な家庭に育とうとも、貧しい家庭で育とうとも、片親のもとで育とうとも、両親のもとで育とうとも、皆それは平等にあらわれる。
問題はそれに気がつくかつかないかだ。それをキャッチする触覚は自分で研ぎ澄ましておかなければいけない。その研ぎ澄まし方は、いつも自分の側にあり、相手には何もない。つまり、責任はいつも自分の側にあって、他人には全くないということだ。
詰まらぬことを記していたら越日になってしまった。自分の腰痛もようやく回復した様子。明日からはまた、「必然」を求めて、自分を磨いていかなければ生まれてきた意味がないというものだ。
マイレージ [生活]
2019.11.23
こんばんは。
寒いですね。もうすぐ師走。12月に入ると突然街が忙しなくなるからおもしろい。11月の喧騒とは比べ物にならないくらい何か気ぜわしい。師走とはよく言ったもんです。
昨日・今日と家人がいないことをいいことに、自分の好きなことをして過ごした。まあ、こんな日もあっていいと思うけど、家人は最近、自分が一人になったら、この家に住めるんだろうかと盛んに言うようになった。いずれ夫婦は別れるわけで、それは避けては通れないもの。キキキリン(当然だけど、変換しないね)夫婦みたいに直ぐに追っていける生き方なんて計画してもできるはずもないわけで、一人じっとこの家の中で生活をしていかなければいけない。私たちの周りには結構未亡人とか独身女性が多い。ご主人を看取った後は、悲しみに押し切られ年老いていくように見えたのだが、時が経つとみるみる復活し、元気に生き生きと生活を再スタートするらしい。これは皆女性の話で、男性の話ではない。やはり女は強いね。私は根性なしだから、昨日・今日がずっと続くようなら、かなりフンドシを締め直さなければQOLを維持し続けて生きていくことは難しいとつくづく思う。
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マイレージが貯まった。マイレージというと飛行機の話だと思うだろうが、私は飛行機がカラッキシ苦手だ。今までで2度しか乗ったことがない。今のご時世、これは大いに自慢すべし・・・・・・・・・と思う。
新婚旅行で北海道に行ったときと愚息と白神山地に行ったときに乗っただけ。
白神山地は青森まで飛行機で行くことになった。当時、未婚社会人の愚息は、時間がないから飛行機で行こうと言い張るものだから不承不承飛行機に乗った。未婚時代、よく愚息と二人で旅行に行った。結婚したらたちどころに行くチャンスはなくなるからね。この白神山地の旅行は前々日に急遽行くことになり、青森空港内のレンタカー屋さん(オリックス)にむりやり頼んだから、倉庫の奥から出してきたような車で、昔風のホコリを被っているようなバン。もちろん、窓は手動式、カーナビもなしという「贅沢は敵だ」とでも言うような車の登場に・・・・・・。
受付嬢「車はトヨタのバンです」
私「よかった。あったんだ」
受付嬢「はい。ありました。でも、ナビは付いていませんよ」
私「えっ?------ いいです。いいです。あればいいです」
受付嬢「それから、窓は手動です」
私「えっ、そんな車・・・・ナツカイッスね」
愚息「地図はありますよね」
受付嬢「地図は入れてあります」
愚息「最新のじゃないと困るんだけど。青森初めてなんで・・・・」
受付嬢「もちろん、地図は最新版です」
愚息「よかった。何とかなりそう」
・・・・・・・・・・・ゴールデンウィーク当日に頼むほうが悪いので、全く強いことも言えず、「地図だけは絶対新しいものを」とリクエストだけして、二人とも生まれて初めて地図をよ~~~く読み込んで、全く知らない青森の山と街を走り抜けたのは結構楽しい思い出でありんす。
なんの話か・・・・・・・・・・そうそうETCの話。ETCのマイレージが貯まって5000円を次回、ETCを使ったときに精算するという。もちろん、5000円貯まるということは、どんだけ使ったんだという話になるわけで、多分、その100倍は使った結果なんだろうと思う。でも、うれしい。5000円分タダで乗れるわけだからね。やはり、ちゃんと届け出を出して、登録はしておくものだね。
メモをとる [新卒・転職]
2019.11.22
こんばんは。
いい感じで寒くなってきた。冬に向かっては、こうでなければいけない。
腰痛も大分回復してきている。しかし、寝床に入るとき、寝返りをうつときなどは、やはり痛みを感じる。一昨日施術(マッサージ)をしてくれた人は若いお姉ちゃんだった。以前、別の整形では若いお兄ちゃんだった。別に若いから下手とか言うつもりはサラサラないのだけど、お兄ちゃんは極め付きの下手だった。「そこじゃないよ。もうちょっと下かな」と何回言っても違うところをもんでくれた。痛いところ、ツボをもんでくれないことほど馬鹿げた、陳腐な整体師はない。今回はそういうことはないだろうと思っていたが、やはり予想どおり下手であった。何であんなに下手なのか。これなら我が愚息のほうがどれほどましかと思ってしまった。よくこれで商売をしているものだと思ってしまう。しかし、一応礼儀として世間話をしながら、その方の実力を見抜いておいた。見抜くということは、次回1週間後という予約をしたのだけれど、一応、もう一回は行ってみるが、前回同様だったら、きっと次々回は行かないことになる。お金も結構かかるしね。
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昨日、若い人はメモをとらないという話をテレビでしていた。中高年の先輩諸氏は皆皆「今の若者はメモをとらない」と嘆いておいでだった。果たして、自分は研修時代とか、見習い期間はどうだったんだろうと考えたが、あんまりメモをとった記憶はない。仕事内容はデスクワークではなかったので、先輩から教わるといっても見て覚える感が強かったものだから、その場その場でメモをとっていると先輩の実践を見過ごしてしまうことになるので、メモをとる習慣は皆無だったと思う。後で、自分でメモ書きをしたことはしたが、先輩の目の前でメモをとった記憶はない。
いろんな職場があるから一慨には言えないが、先輩諸氏が「えっ」と思うポイントは、教えたことができないことに腹立たしさを感じるのだと思う。「あれは教えた。なのにできない。当然だ、メモらないからね」ということになるわけで、失敗しなければ、わからないことがなければ、メモをとらなくても怒られることはない。一言も怒られないと保証する。まあ、完璧にできる人間などいないから、そんな方は少ないかもしれないが、どんな形であれ、先輩を怒らせない受け手としての姿勢が大切なのだと思った。
教わるほうはメモをし、聞き逃さずすればいいわけだが、もう一つ大切なことがある。それは教えるほうにうまさが必要だということだ。教える方法は、大体の企業は、そうしっかりしたマニュアルがあるわけではあるまい。ほとんどが自己流と言っては言い過ぎかもしれないが、大多数が教えるほうの個人技が物をいうところが多分にあったのではないかと思う。だから、うまい上司のもとで教われば、結構いい感じで習得できるであろうが、あまりに下手な教え方だったりすると、それは大問題で、教わるほうは混乱してしまうことが多くなるだけになってしまう。いずれにせよ、新人諸氏は、よく見、よく聞き、よく質問。これが十分に行われれば、おいそれとは落ちこぼれにならずに済むことになると思う。
家づくりは一回では成功しない(69) [我が家]
2019.11.21
こんばんは。
寒くなったといっても日中はさほどでもない。暑いくらいだ。以前だったら「こりゃラッキー」と軽装で出かけていたが、今はもう来年の猛威に恐れおののく思いだ。皆さんも当然おわかりだと思うが、台風及び低気圧。それに竜巻。別に予言者ぶるわけではないが、15年ぐらい前に「いずれ竜巻が起きるのが普通になって、日本の家も本格的に地下濠をつくらないといけなくなるよ」と友人に言ったら、なんだおまえ、頭大丈夫か?的な顔をされたのを覚えているけど、もうそんなことを言っても戯言ではなくなってきてしまった。南の海上で台風が発生したということは、南太平洋の海水温が下がらないことの証だ。朝と夜は太陽がないから自然の絶対温度で保たれているけど、太陽の光はオゾンが少ない分、紫外線が強くなる。太陽自身は四季があるわけではないから年がら年中同じ光量で地球を照らしているわけで、11月で日中のこの温度は、後刻、人間の死活問題になって襲いかかることは明白だ。喉元を過ぎても暑さを忘れてはいけない。
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昨年9月7日の現場です。
これはトイレ・・・だと思う。
上の写真を左に振ったところ。
ここも物入れ。
仕事部屋に入る通路。
まだボードは張られていない。
上の写真を左に90度向いて見たところ。
正面は洗面所。右は物入れ。左はトイレの入り口。
上の写真を右に振ったところ。
正面は物入れ。壁を張り終えたので
よくわかる。
あとは扉が入る。
上の写真をしたに振ったところ。
あとは壁紙を張り、棚の金具を付け
扉が付く。
寝室は天上を除きほぼ終了。
上の写真を右に振った。
これも物入れ。棚の材料が入っている。
直ぐ右は窓。
正面の四角はクローゼットの入り口となる。
まだまだ先は長いけど、着実に工程は進んでいる。
屋根を抜いて梁を見せると断熱が悪くなり、ボードを張り、平らにすると断熱はよくなるが面白みがなくなる。どっちを選ぶかは難しいところだ。
君の膵臓を食べたい [生活]
2019.11.20
こんばんは。
さっきホームセンターに行ってきた。引き違いドアの隙間風がだんだんと気になる季節。去年は少しずつ手直しをした。新築だから誰にも気がつかれないように空っぽの頭を駆使して、3方向をできるだけ詰めた。が、やはり少し気になってきたので毛ぶらし付きの隙間テープを購入。前回、1方向に付けたたらかなり隙間風を防ぐことができたので、今回も思っているのだが、より細い隙間を詰めなければならないので、かなり慎重を要することとなった。今は百均にもいいものが置いてあるので非常に助かる。残り2方向のうち、1方向はこれで何とかなるかもしれない。
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ということで午前中は腰の痛みもあり、WOWOWを見ることにした。私は洋画と邦画、どちらが好きかと問われれば洋画が好きだ。邦画はよほど興味をもった映画か名作と言われるものなら文句なく見ることにしているが、大方、邦画を進んで見ることはない。したがって、今日も洋画を見ることにした。しかし、今日の洋画は凡長でよくなかった。それがすべてかどうか、全編を見たわけではないので、そうだとは言えないが、かなりの部分冗長であった。がっかりして、チャンネルを代え、スイッチを切ろうと席を立ったとき「君の膵臓を食べたい」というタイトルが目に飛び込んできた。邦画ではなくアニメだ。何となく何となく私にもそのタイトル名は入っていた。誰がとか、どんな映画だとかは全然わからない。変なタイトルだ、どうせまたとんでもない邦画駄作だろうと思うだけであったが、たまには漫画もいいかとも思い、そのまま席に戻り画面を見た。
若い方には、その解説は不必要であろうから、ここでは割愛させてもらうが、泣けた。久々に泣けた。幸いにして家人は友人にランチを誘われていなかったので、涙は気兼ねすることなく頬を伝わって流れた。
人はその命がいつ途切れるかがわからないからお気軽でいられる。そのお気軽さが幸か不幸かはわからないけど、惰性に時間を費やしていける人生も、それはそれで幸せな人生だと言えるかもしれない。その映画の中で、彼女が「真実と日常」とたしか言っていたと思うけど、その意味がすっと飲み込めない。彼のそれを知りたいと言っていたような気がするけど、「真実と日常」という言葉だけを考えると日常の中にある真実なのか、真実と日常とは別個のものだと捉えているのか。
まあ、どうでもいいかもしれないけど、私の言葉の中に、その2つは同列には入らないから記憶になかなか残らない。だからついついノートに書き残してしまった。
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別の解釈をしてみた。自分の時間が残り幾つかとわかった真実に対し、自分の日常はどうなっていくのか。どのように変わっていくのか。どのように過ごしていくのか、いけるのか。有意義に過ごせるのだろうか、もがき苦しみ惰性に生き果てるのか、崇高な想いを抱き、より昇華していけるのか(まぁ、聖人君子ではないから、それは無理として・・・)果たして、真実をどのように受け止め日常を生きていくのか。
通り魔に遭って亡くなってしまうのはちょっと悲し過ぎるけど、年甲斐もなく、彼女の最期を見てみたい気がしてしまった。
家づくりは一回では成功しない(68) [我が家]
2019.11.19
こんにちは。
腰痛は治らず。若干の吐き気もするような、でも直ぐに治る。「寄る年波」は「世も末だ」と同義語ということか。
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気を取り直して・・・・・昨年9月7日の現場です。
キッチンから入り口を見たところ。まだまだ壁は仕切られていないので、よくわからないかもしれない。筋交はとっくの昔にやったので、これは物入れの上部、3つほどの枠があるが、これを付けたものだと思う。
ほぼ毎日見に行くのだが、一瞬どこが変わったのかわからないが、だんだん遮蔽物が多くなり、外がいつの間にか見通せなくなっているのを見ると、着実に部材を取り付けているんだと思う。
上の写真を右に振ったもの。
南のリビングが見える。
断熱材は収まり、屋根裏もほぼ終了。
真ん中の部材は屋根と壁に使うものだ。
1枚の重量は10キロは優にありそう。ひょっとしたら20キロぐらいかもしれない。大きさは1畳以上、これを一人で持って壁や天上に付けるらしい。素人には到底できるものではない。
上の写真を右に振ったもの。この屋根材の重厚感が私は気に入っている。
奥の屋根材は出したけど、ここの屋根材はボードで隠してしまった。これは痛恨のミス。
上の写真をまたまた右に振った。
仏壇と冷蔵庫を置く予定。
またそれを右に振った。勝手口が見える。
その右は物入れ。
その物入れをアップ。
そこの柱。先にボードをカットしたものを付けてあった。何にしても段取りがあるらしい。
場所は変わって洗面所。
荷物は大工さんもの。洗面台の右側に棚を付けた。
洗面台そのものはまだ入ってはいない。
そしてその右側は物入れ。
箪笥、戸棚類は一切持っていないので、物入れは多くつくってもらった。
その棚の奥も棚をつくる。
3~4段のフリーの棚が入る。
上の隅には24時間の換気扇が付けられるはず。
ここでようやく全写真の3分の1ぐらい。まだまだ続く。
しんどいね [生活]
2019.11.18
こんばんは。
2日分の新聞をまとめて読んだところだ。というのも一昨日ベッドを動かしたときに腰を痛めた。ズキンという例のぎっくり腰ではない痛み。筋肉が凝り固まって伸びてくれないような変な痛み。そのままベッドは斜めのまま作業中止。湿布を貼ったが治るわけもない。しばらく座っていたが、だんだん座っていることもままならず、仕方なく体を横に寝ることにした。昨日もいっぱい寝ていたにもかかわらず、どういうわけかよく眠れる。寝返りを打つと腰が痛むが、そのときにふと目が覚めるようだけど、延々と寝てしまっていた。2時間ばかり寝ただろうか。愚息ファミリーが来たらしい騒がしさが響いてきた。孫が私たちに付くのは孫たちの目線で元気で遊んでくれる人間がいればいいだけのことだと自分に言い聞かせていたつもりでも、ほっぺにキスをされただけで寝室を後にされる現実を突きつけられると、こりゃ、死んでも元気でいなければと思った。人間、どんなときでも元気が一番。死んで花実が咲くものかと思った次第。
しかし、久しぶりの腰痛。やっとこ風邪が治ったと思い、薬も飲みきったその日に腰痛と出会ってしまった。残り少ない時間を上手に使いたいのに、またまた作業が中断しそうだ。
二十代・・・三十・・・四十・・六十代であろうと、人はそれぞれ目標があって、それが短期であろうが、長期であろうが、大切な自分の人生目標であるはずだ。それを達成するは、多くの困難が立ちはだかって、その目標を忘れさせようと必死で妨害する。その妨害にもブレずに、その目標を見失わずに進むことは本当に至難の業であるけれど、それが達成できたときほどうれしいことはない。多くの人間は時に流され、「まっ、いいか」で終わらせてしまう。終わらせてしまうほうが楽だからね。凡人と非凡人の違いは、そこにあると誰もがわかっているのだけど、水が高いところから低いところに流されていくように、多くの凡人は流されていく。やがていつの日か、この国のすべてを僕らがこの手で変えていくんだったよね・・・・・と確かに思っていても時は容赦しない。
あなたの、あなたの、そして私の、その崇高なその思いは決してあきらめてはいけない・・・・・・・・・と僕はいつも思っている。
面を抑える [医療・介護]
2019.11.15
こんばんは。
母の介護をお願いしているときに思ったことがある。それは誰もが考えることで、取り立てて言うのもおこがましいが、果たして役人さんは考えているのかと思う節があるので書き留めておく。
これは前にも書いたと思うのだが、やはり介護は面で考えなければいけないということだ。
昨今、病院は長期入院ができない。これは病院側の都合で、病院の収益を上げるためという一国民としては全く許せない理由で事が行われている。まあ、それは今回の話の中心ではないのでここで納めておく。しかし、その結果、在宅介護となる。介護度によって自立できる方から100%介護が必要な方まで5段階に分かれていることは皆さんご承知のとおり。当然、医者、看護師、ヘルパーの皆さんのご協力を仰ぐこととなる。昨今、人口減少の弊害から働き手がいなくて介護業界は四苦八苦していることもご承知のとおり。それにより、外国人の働き手を大量に増やそうと政府はやっきになっていることもご承知のとおり。しかし、語学という壁が外国人にはかなり厚い壁となっていることもご承知のとおり。その厚い壁は右から左へと働き手を増やす打ち出の小槌にはならず、依然大きな壁だ。
じゃ、どうするの?・・・・・その知恵がない。そりゃそうだ。国のお役人が3Kとも5K---テレビではないよ----そんな職場に足を踏み入れ、現場研修をしようと思うような殊勝な人間がいるわけもなく、机上作業ばかりのものだから、なかなかよい知恵(案)が出てこない。それは当然のこと。何でも現場だ。現場を見ることで事実がわかり、解決策が出てくる。この言葉は皮肉にもあの森田千葉県知事が「現場で」と言っていたことを思い出す。彼と同列には見てほしくはないけど・・・・。
今の介護の現状を見ると、A業者がa宅に介護訪問する。B業者がb宅に介護訪問をする。A業者はa宅に来るのに車で30分かかる。B業者はb宅に車で30分かかる。しかし、A業者はb宅へ徒歩1分。B業者はa宅へ徒歩1分。しかし、A・B業者ともa・b宅のバーター協定はしない。
言い換えれば、A業者はa宅の介護をするために(介護時間を1時間として)1時間30分かかることになり、B業者はb宅の介護をするために(介護時間を1時間として)1時間30分かかることになる。それをバーターするとどうなるかというと、A・B事業者とも、それぞれ1時間で済むということだ。もちろん、介護度がイコールばかりではないので、そうは簡単にいかないという声もあるであろうが、それはお上の仕事で、お上がお金を出している以上、お上の裁量が最上位になることは当然であり、それにより、介護事業者の負担(人数手配、要員確保等)は相当数減り、ヘルパーさんの時給単価も当然上がり、最終的には国民により質のよい、いいサービスが提供できることになることは明白。
今は群雄割拠で、いろんな業者が入り乱れ、入れ代わり立ち代わり交錯しているのは誰もが目にしていること。そういう状態は、そろそろ終わりにするべき時期に来ていると思う。
ここにあるヘルパーの声を載せておきたい。
私「どうですか?最近は忙しいんですか。」
H「忙しいには忙しいんですが・・・」
私「そうだね。忙しいのはほどほどがいいね」
H「違うんです。忙しいのは移動で忙しいんです。移動です」
私「移動?いいじゃない。拘束時間でしょう。満額もらえないとしても、50%か出るでしょう、当然」
H「そんなわけないですよ。移動時間は出ないんです。0です」
私「えっ、ガソリン代は出る?」
H「ガソリン代は出ます。3キロとか、5キロで幾らって出る」
私「じゃ、5つの家を回ると5つの移動時間(無給時間)ができるっていうこと?」
H「そうです」
私「それぞれの移動時間が30分で、それぞれの介護時間が1時間だったらどうなるんだろう」
H「介護時間が5時間で、移動時間が2時間半です」
私「もらえるお金は?」
H「5時間だけです」
私「時給に直すと、時給1000円なら666円にしかならないことになるね」
とこんな会話を交わした。つまり、ヘルパーさんの移動時間は時給に組み込まれないらしい。これはすべてではないだろうが、そういう事業所は幾つもあるということか。これじゃ、心意気と崇高な思想だけではやっていられないよね。
加えて言うと、このヘルパーさんはまだ自宅なり、事務所には帰っていない状態(5件目が終わった状態)で、そこから帰る時間を加えて、初めて仕事が終了することになる。
家づくりは一回では成功しない(67) [我が家]
2019.11.15
こんばんは。
今日は思いの外暖かい一日だった。風邪はほぼ完治。姉も来たので墓参りに行ってきた。祥月命日だ。9カ月前の今日母が他界した。これといって感慨もない。ただ淡々と自分のやるべきことをこなしていくことだけと思っている。
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昨年9月5日の現場です。
よくよく見ると打ち方、結構荒いね。
これは玄関横のシューズボックス。
上の写真は下のほう。この写真は上のほうを撮った。
シューズボックスの正面。
壁ははめ殺し窓が入る。
配線もほぼ終了。
同じ色ごとに束ねられている。
ここもシューズボックス。
先ほどの写真の反対側。
靴はさほど多くなので、
反対側は棚と洋服掛けとなる。
そんなにこの束が気に入ったのか。
何枚もあること、お許しあれ。
筋交は通路を挟んで向かい側の壁。その壁は既にボードが張ってあるが、シューズボックスの壁はまだ入っていない。
玄関を入ったところからシューズボックスを見た。
左のブラックの箱はスイッチ。
外灯・玄関・シューズボックス・門灯などのスイッチが並ぶことになる。
今年は当てるぞ! [生活]
2019.11.14
クリスマスの約束の公開放送の募集が始まった。今年は横須賀でやる。毎回毎回外ればっかりでイライラ気味だが、今年は何としても当選させたい・・・・・・・と思ってはみるのは毎年のこと。そう言っていつもテレビでの観戦となる。現場では、結構おもしろいらしい。彼自身もお客さんにお金を払ってもらっていない気軽さからか結構テストパターン的なやり取りもあるみたいで自分の好きな曲を歌う。そんな普段のコンサートでは絶対見られないところも一ファンとしては見たいのだ。もし当たったら横須賀だし、電車では帰って来られないので(終わるのが22時30分)、鎌倉当たりで泊まっちゃおうと思っているのだが、宝くじに当たるのと同じぐらいの確率ではないだろうが、くじ運の悪い人間には当たらない。
しかし、大ホールらしいから、結構広そうで、やはり当たるかも・・・・・・・とかすかな期待をしている。
家づくりは一回では成功しない(66) [我が家]
2019.11.14
こんばんは。
やっと風邪が抜けそうだ。薬はまだあるのと、少しだるさもあるので、もらった分はほぼ飲み切りそうだ。あまり薬に頼ると多剤耐性となってしまう可能性も強くなるので控えなければならない・・・・というのは重々わかっているのだが・・・・。
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昨年の9月4日の現場です。
ここは仕事場入り口の物入れです。
壁が入り、扉のレールが入った。
上の写真を右手に振ったもの。
部屋の形を成してきた。
ここはキッチンの壁なんだけど、
今までとは違った材料が入っている。
吊り戸棚を入れるからなのか、ほかとは違った汚れの着きにくいボードを入れるからなのか。ちょっとわからない。
多分、そうじゃないかな。
ここもキッチンの壁面。汚れが落ちやすい材が入るので、その裏打ちなのか。
温暖化のことを考えると、いずれ浸水の憂き目に遭うときが来るだろう。そうしたらすべてはぎ取らなければならなくなり、膨大な労力と資金と体力が奪われる。いずれ断熱材も別の材質に変えられしいくんだろうけど、今はその過渡期となる。
壁面ボードに機関銃のような螺子打ちをやっていたが、ぼぼ等間隔ですばやく打っていた。
桜を愛でるか・・・・ [新聞記事]
2019.11.13
こんばんは。
夕方小雨。でも、さほど寒くはない。風邪も薬を飲むとゆっくり後退、その薬が切れるとゆっくり前進と一進一退。喉の違和感はなくなりつつあるけど、今日で発症後5日目だ。
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安倍さんがまた叩かれている。叩かれ強いので、また逃げおおせるだろう。
確かに後援会を初め、安倍さんの周りに驕り(おごり)がある証拠。「まあいいんじゃない」的な感覚で広がっていったことは確か。これは他の党でも同様で、私たちだってきっと同じことをしていたに違いない。
例が適当かどうかは読む方のご判断として、会社の忘年会に上司の知り合い、親族を連れてくるようなもの。会場までの交通費は自分たちが払えども、そこでの飲食は会社持ち、いい思いをするのは全く会社に関係のない「その知人や親族」。不愉快な思いをするのは会社の平社員。上司だから正面切って文句も言えない。しかし、「俺たち会費払っているのになんだよ。あいつら払っていないだろう」ということだ。部長にはそれなりの見返りはほとんどないにしても、政治家はその生命線たる票田となるわけで、そりゃ、ずるい。公職選挙法違反だろうということになる。割り当ては大昔からあったわけで、その範囲内なら町内会長であろうが、たばこ屋のおじさんであろうが許されもしようが、バスを仕立てて連れていくことは、かなり横暴だなという感じがある。あとは法律違反があったとして、それをちゃんと裁けるかが日本の民主主義が存立し続けられるどうかの分かれ目となるんだろう。
無関心層が増えれば増えるほど、民主政治は衰退する。
国民は静観し、沈黙する。
家づくりは一回では成功しない(65) [我が家]
2019.11.12
こんにちは。
風邪はなかなか抜けきらない。毎度のことだが、違和感は嫌悪感に変わる。
しかし、これから定例の愚息宅に行く。みんなに移さないようにしないといけない。家人は既に移り始めたかも。
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昨年9月4日の現場です。
物入れ。奥にあるのは扉の材料。
屋根と壁の狭間。
屋根との隙間が少し気になる。
最後にボードを張るのだろうが・・・。
断熱材の隙間になる。
このときは多分、屋根と壁のことが気になって撮り続けたんだと思う。
大工さんは、これで当然という顔をしていたけど、
素人にはよくわからない。
もはや信じるに足る相手ではない [新聞記事]
2019.11.11
こんばんは。
風邪が今一つよくなっていない。大方は治りつつあるが、若干微熱が出ている。咳も出始めた。喉もヒリヒリする。でも、何とか薬で抑えて完治したい。
今日も余り動きはしなかったのだが、日中調子がよかったのでバラの枝を裁いていたのだが、元気な体はいいなとつくづく思った。たかが風邪なんだけれど、思うように動く体のどんなにか心地よいことか。久々に健康の体のありがたさがわかった気がした。時間を大切に使おう。
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いじめの問題が後を絶たない。いじめの発見の遅れ、隠蔽は一体どこに原因があるのだろうか。原因は簡単であった。褒章制度だ。
一定の期間、教育者として勤めた校長に対しては褒章が授与される。褒章の対象者の学校において「いじめ」があった場合、当然褒章は取り消されるらしい。「らしい」と書いたのは、私にはその真偽はわからないから「らしい」と書いた。まあ、一般常識下において、「いじめ」があり、自殺者なり、何なり問題が出た校長のところに勲章はあげられないだろうと誰もが思う。以前は、それに恩給が付いたが、今は多分、恩給はない。(恩給は年金と同じ。厚生年金のほかに恩給が付く)
人情として、学校で「いじめ」があったとしても、校長=褒章という慣例が先生方に認識されていれば、当然、それを申し出る際に、校長の顔色を見ることが必然になる。
教頭「3年生でいじめがあったらしいね。君知ってる?」
B「はい。僕の隣のクラスですから、山田先生から相談をうけています。」
教頭「山田君はどうするって言っているの」
B「早めに手を打ちたいと言っていました」
教頭「手を打って、どうしたいんだろう」
B「詳しくはわかりませんが、生徒は登校拒否になって引きこもっているし、家庭訪問して話を聞いているみたいです」
教頭「本人の問題じゃないの。学校嫌いの自閉症とか、その・・・・人格的に問題があるとか」
B「いや、それは違います。僕もよく知っている生徒で、2年生のときは数学、学年でトップ3に入っていまして、サッカーもやって文武両道です」
教頭「じゃ、家庭に問題があったんじゃないの。例えば、片親だとか、家庭暴力とか・・・」
B「そんな話は聞いていませんし、あいつ快活でいい子ですよ」
教頭「ところで、校長幾つか知ってる?」
B「えっ? 知りませんが、もうそろそろ定年かとは思いますが・・・」
教頭「そうなんだよ。先生、わかるだろう。あと1年で定年退職。ここで問題を起こしちゃ、校長に申し訳が立たない。君、そうは思わない?」
B「はぁ~。でも、生徒のことを考えるともう時間がないという気がします」
教頭「生徒も時間がないかもしれないが、校長だって時間がないんだ。その後は、自分が・・・・・ね。大人の事情っていうことだよ、わかってよ」
こんな会話が交わされているとは思いたくはないが、何十年もの間の「いじめ」の歯がゆさを見ると、まんざら、私だけの戯れ言ではない。褒章制度は政だ。教職員への褒章制度をやめない限り、保護者が唖然とするような、学校の先生に不信感を抱くような「いじめ」は決してなくならない。「不登校の定義が年間30日以上欠席しないと、その定義から外れるから、その生徒は不登校には該当しない」という馬鹿げたことを平然と言う教職員(文科省)がなくならない限り、決して「いじめ」はなくならない。生き馬の目を抜くような、心地よい政治家の奮闘をただただ願うばかりだ。
・・・・・ということで発熱です。 [医療・介護]
2019.11.10
こんばんは。
金曜日から具合がおかしい。喉の違和感。私の気質として喉が弱い。風邪は大体喉からくる。それも結構頻繁だったのが現役時代。年に2~3回は引いている。
それは誰だってひくわい!と言われそうだが、私はそれに加えて熱を出す。しっかりと出す。グダグダしているとあっという間に40度近い熱を出し、無理をして仕事をしようものなら吐き気、めまいを催す。弱い子ちゃんと言えば、弱い子だ。それに加えて1週間は熱が下がらないから最悪。仕事がらそう易々と休めるような環境にはなかった。どんな仕事でも自分が行かないと周りが迷惑をする。それは当たり前なのだが、自分が行かないと店が開かない、商品が出なくなる、売上がなくなる。ほかの人がいるにはいるが、社員は3人しかいないものだから、年に何回も代わりに出勤してくれとお願いしていては社会的な信用にも関わるし、そんな気持ちで床に伏せっていたら治るものも治らない。だから、無理をして出社する。熱を無理に下げようとバファリンを飲む。もちろん、病院に行って薬はもらっても1週間は熱が下がらない。一日パソコンと向き合っている仕事なら、鼻穴にダンボをしてでも仕事はできるが、一日50人以上の他人と面と向かい合っての仕事で鼻ダンボは無理となる。
・・・・・という手前勝手な理由で現役時代は結構、体を酷使した。今考えてもぞっとするが、バファリンを毎日何回も飲み続け、1箱飲み干してしまったときには、「俺、大丈夫だろうか?」とちょっとだけ危機意識を持ったもんだ。
そんな現役時代に別れを告げつつある今、やはり風邪を引いた。今年2回目。前回、先生がいい薬を出してくれたものだから、今回も同じ薬と相成った。病院は満員御礼で大盛況であったが、2時間待ちの1分診療であった。
最近はお薬手帳を持っていかないと余分にお金をとられる調剤薬局がある。そうでなくても53点ほど薬管理料とか称してお金をとる。総額530円薬局に入り、私たちは3割負担だから158円とられる。一言二言薬剤師と話しただけで530円はボリ過ぎだろう。社会保障費高騰の折、国民の皆さんはどれだけ、その額を意識しているのだろうか。私は全く納得がいかない。
まずい!風邪をひきそうだ。 [生活]
2019.11.08
こんにちは。
涼しさを通り越し、段々と寒さを感じるうようになってきた。しかし、夏の強烈な台風の猛威を思うと、冬は冬なりにしっかり寒くなって地球を冷してほしいと思ってしまう。南の海水温は確実に高くなっているらしく、先日も北極圏の氷は確実に溶け続けていると報道があった。お風呂に入れば、当然のごとく風呂の水面は上に上がる。その「当然の理屈」がまだ我々の周りでは起こっていない。それをいいことに我々は平然としていられるが、多分、海水面は少しずつ、人間の目にはわからないぐらいの量で水面上昇を引き起こしているに違いない。氷山の一山が何万トンかは知る良しもないが、それが地球の海に溶け出したところで、海は広いから大きな変化はわからない。でも、確実にその水位は上がっている。
よ~~く考えてみると、地球の水分総量は変わらない。それは引力のせいで宇宙空間には飛び出してはいけない。それが雲であり、雪であり、雹であり、雨であり、氷山であり、海であり、湖であり、川であるわけで、卑近な話で申し訳ないが、冬、おしっこをすると湯気が出る。その湯気は大気中に放出され、風とともに大気中で希釈され、いずれは雲になり、雨となって地上に舞い降りる。つまり、循環している。有識者がよく言うサステナビリティ(持続可能性)だ。持続可能性のある社会システム構築は必須とシタリ顔で言うけれど、自然界ではとっくのとうにそれを実現している。やはり、自然は桁違いにすごいね。
地球の水分総量は変わらない。湯気は空気より軽いのに、水になると空気より重たくなり落下する。問題は、その氷が水溶化したときに問題となるということだ。
そんな馬鹿げたことを考えていたら風邪をひいた。昨日就寝前にふと喉がイガラい感じがして、急いで葛根湯を飲んで寝た。夜はさほどそのイガラさは進行することもなくおとなしくしていたが、朝、朝食後にだんだんとだるさを感じ、朝食後、急ぎ総合風邪薬を飲んだ。しかし、あまり改善はしない。そう簡単に効くわけもないことはわかっているが、今、菌と薬が拮抗して闘っているのだ。やることは山積なので休んでもいられないのだが、仕方なく、今日は自宅待機とすることとなった。
家づくりは一回では成功しない(64) [我が家]
2019.11.07
こんばんは。
今日は旧家の掃除をしてきた。
私たちが家庭を築き、子どもが生まれ、12年間借家住まいをし、やっとのこと手に入れた家。今は空き家となって、愚息が来る来春までの間、掃除をして引き渡しとなる。やはり、自分たちで稼いだお金で建てた家ということで愛着はある。もともと物欲は少ないほうなので感傷的になるわけではないが、シャッターの目地から目地の隅々を掃除していると、あれから24年間も経ってしまったんだなと思わなくもなく、自然と感謝の念をもって掃除をしている自分がいる。そうだよね。自分の稼いだお金で建てたんだものね・・・・・・・と思う。
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昨年9月4日の現場。
何回も出てくる仕事部屋。
変わったところは壁にボードが張られたこと。
ここはその反対側。壁の向こうは物入れ。
ここは寝室。
窓は腰高。
その左側。
左隅はクローゼットの入り口。
クローゼット正面。
中にはまだまだ建築材料がいっぱいある。
少し左にアングルを動かした。
それをもっと左に振って、寝室出口。
寝室から仕事部屋を見たところ。
上の写真を左に振った。
すべて部屋の角角の頭上には金属の棒が入っている。
木材の筋交のほかに金属の筋交も入っていた。
奥は仕事部屋の机が少し見える。
上から少し明かりが見えるのは、トップライト(天窓)を付けたため。
屋根に太い木材が見えるが、すべて屋根のボードを張るので隠れてしまう。
首脳会談 [新聞記事]
2019.11.06
こんにちは。
いい天気です。喉元過ぎればではないけれど、あの豪雨のことを忘れてしまいそう。以前住んでいた家の近辺は街角の水はけが悪く、今回も膝下まで冠水したとのこと。以前、雨水用の大きなプールを掘ったり、ポンプを入れたりしたが、一向に効果が上がらなかったのはどういうことか。喉元過ぎても、この件は行政のほうに問い合わせなければいけないことの一つだ。
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例の国と首脳会談をやったとの報道があった。どちらがどういう歩み寄りをしたかは知らないが、どういうことであれ、歴史問題を棚上げにして通り過ぎてはいけない。レーダー照射にしろ、徴用工にしろ、慰安婦にしろ、過去をほじくり出して横槍を入れることに何の意味があるのか。あおり運転ではないが、言いがかりをつけてとれるものはとってしまおう的な感覚が強いのはいただけない。それがその国の一国民であれば少しの理解はできなくもないが、国を挙げてそれを国家高揚そして時の政権運営に利用するという小賢しさがなくならない限り、こちらから妥協しては何の解決にもならない。山手線ではないが、また元に戻ってしまうことになる。韓国にしても、中国にしても、その考え方に変化がない限り、それは永遠に解決できないことだ。
じゃ、日本人が悪いことをしなかったかと言えば、決してそうではないと私も思う。人間は誰でも過ちを侵す。特に戦争下の異常事態の中にあっては、人はモラルを捨て去る。それは日本人だけではあるまい。それを「いつまでも許さない」とか、「金だけ出せばいいと思っている態度が気に入らない」と言う彼らの物言いは、国家間で行われた取り決めを正確に国民に伝えない危うさから来るものだ。それは、既に民主主義国として相手にしては埒が明かないと思っていい。決して、同じ土俵に乗って隣国を責めては馬鹿を見る。隣国の考え方の変化を待つことしかないと思ってしまう。排斥することは今のグローバルな世界では不可能に近いし、地勢学的に見ても無理がある。
「天皇が謝ればいい」という発言をした人が来日していたが、今回の問題でも共同で出資して援助をしようという発言はもはや論外で厚顔の老人の戯言だ。
いずれにせよ、時の政府の私利私欲によって解決されるべきものが解決されなくなることは悲劇をますます増大し、その悲劇を再び繰り返していくことになる。隣国の国民も皆、それを望んでいるわけではないと思いたい。
今日はK・O三昧 [生活]
2019.11.04
こんばんは。
今日はゆっくりしてしまったというか、何もやっていない。
昼12時過ぎから夜9時までKO三昧をFM・NHKでやっているからだ。
まあ、道楽と言えば、今はこのぐらいないしかない私にとっては一大イベント。
心密かにリクエストをしてしまったが、「あの人に会える」なんて誰も好まないだろうから読まれるはずもないが、初めてリクエストをしたが、すればしたで結構気になるから困ったもんだ。
ICにも録音し続け、後日ゆっくりと楽しむ。これはこれでまたいいもんなんです。
しかし、いい曲なんで、ぜひ聞きたい。
小泉進次郎への期待(2) [新聞記事]
2019.11.03
こんばんは。
昨日の続きです。
小泉純一郎氏の発言を近くで聞く機会を多く得られたのは、私の役得であった。別に自慢話をする気はさらさらないが、仕事の関係で、2年間近く、多い時は月に4回、少ないときでも1~2回は、その機会を得られた。したがって、進次郎氏と純一郎氏を重ねて見てしまうのは、皆さん以上かもしれない。選挙は私のように政治に疎い者にとっては、どうしても人気投票的な、学級委員長を決めるような感覚になってしまうのだが、一国の総理を決めるわけだから、そんな軽薄短小ではいけないのだと自分を戒める。
彼の父の話を少ししたい。
純一郎氏には良きパートナーがいた。それは竹中平蔵氏。いろいろ物議はあるところだが、彼も名よりも実をとりにいくタイプの人間であるからし、二人はいいコンビであったことは間違いない。目標を決める。それを実行するには、どこをどうすれば事は動くのかを正確に竹中氏は把握していた。やはり京大出の頭脳は明晰だ。また、純一郎氏も慎重に事を運んだ。彼ら二人の周りには公務員という官僚がたくさんいる。彼らに宿題を課す。この資料を持ってきなさい。この統計を集計しなさい。いついつまでに持ってきなさいと指示命令を出して議論を先に進めようとするが、官僚も頭がいい。自分の職業域に不利な命令にはなかなか応じようとしない。締め切りを守らない。時間がかかります。今集計中ですといろいろな理由を付けて提出を遅らせる。そんなことは日常茶飯事。普通の大臣なら、いつの間にか忘れてしまうとか、期限を切らないものだから、うやむやになってしまうのが常。しかし、彼らは違った。正確に指示命令をだし、正確にそれを評価していく。その意味では、本当に政に真摯に向き合っていたと思う。その対応は、時に鋭く。その会議室の空気を一瞬にしてピ~~ンと張りつめるものにしていた。
進次郎氏にその潔さがあるだろうか。官房長官にお伺いを立てるなど、まだまだ、その域に達してはいないように思えるが、もう少し静観していくべきだろう。
小泉進次郎への期待 [新聞記事]
2019.11.02
続いて一つ書いておきたい。
小泉進次郎さんのこと。別に特段の思い入れがあるわけはない。冷静に客観的に見て弱冠38歳?の人間だ。よほどのこと(ハングリー・為政感・世界観・倫理観等々)がない限り、政治の社会で辣腕を振るえるのかと考えれば、自ずと答えは出てくる。ハングリーの意味合いは「上を目指す精神」、「強い意志で事に当たる気持ち」で、彼にそれがあるのか、ないのか、未だにまだわからない。もちろん、ご本人だってわかってはいないであろう。ただ、野心はある。十分にある。
為政感--為政以徳(政(まつりごと)を為(な)すには徳を以(持)ってす)といって、政治は人徳がある人がやるべきだと、あの孔子さんが言っている。
先日の映像で管官房長官に小泉議員が歩み寄り、自分の応答ぶりを聞いていたと報道があった。その映像はまさしくそのようにもとれる映像ではあったが、彼の隣に記者自身がいたわけではないので、その真偽はわからない。しかし、相当迷っていることは確か。我々が目標を見失うように、彼もその目標を見失いそうにも思える。
国民は小泉純一郎氏と彼をなぞらえる。期待は確かに大きい。
冬の前の下準備 [バラ]
2019.11.02
こんばんは。
今日は快晴だったので、冬の前のバラの下準備をした。
今春、移植したバラはほぼ根づいてくれたので、ほっとしているものの、まだ4本この冬に移植しなければならない。かなり気の重い仕事ではあるが、ボンボラネッラ、イエローバニー、新雪、あともう一つ思い出せないのが1本あり、皆結構大きいからまた根つくまで1か月以上の水やりをやらなければいけないので、かなり難渋しそう。
で、今日は施肥をした。早春の移植⇒水やり⇒根付き⇒少し開花。彼らにとっては新天地で今年最初の夏と秋を迎えた。秋バラは私の腕が悪いのであまり咲かない。バラもお疲れ気味なので、早々に切りつつ、根に負担をかけないことに決めた。
突然ですが、これは唐がらし。
盛夏のお安いときに100円で買っておいたもの。
十分に乾燥させておいた。
さて、何のお話か。
ご存じニンニク。
バラには申し訳ないが、
これは中国産。
口にしないので、ついつい安いものをかってしまった。
しかし、これは結構高かった。たしか無農薬と書いてあったのだが、性悪説側に立つ私としては、当然の成り行きで口には入れないことにした。
中国では、最近マナーとか、生産の中身を良くするよう政府が働き方をしているらしく、前よりは大分よくなったと聞くが、完全クリアーするまではもう少しかかると思う。
鷹の爪とニンニク??
これもご存じのお酢。
安いものでいい。
鷹の爪とニンニクと酢???
それをどうするか。
バラに蒔く薬剤をつくろうと思っている。
5年前ごろからつくり始めているが、
少し熟成させないと使えないので、
来夏に使う予定のものを今から準備。
容器に入っているものは去年の残り。
バラに散布すると結構甘く、おいしそうな匂いが漂う。
鷹の爪のおかげ?で顔にかかるとピリピリするが、これは虫もピリピリするはず。
鷹の爪はちぎって入れ、ニンニクも小分けにして皮はむかずに入れる。(もちろん、むいても構わない)そして、お酢を投入し、2~3か月保管する。
これは施肥の材料。
鶏糞(牛糞)、油粕、米ぬか、腐葉土。
これをよく混ぜる。
米ぬかはコイン精米所に行くと糠を無料でとれるところ(今はあまり多くはない)があるので、そこからただでもらってくる。
これは太陽光でよく見えないが、バラの木の周りを掘って施肥をするところ。
ポジションを変えたらこんなによく撮れた。
これならよく見える。根元近くではなく、枝先から真下に下ろしたあたりに穴を掘って肥料を入れる。一握りずつでいい。
こんな感じ。
我が家は今回イレギュラー(夏場はまだ根付きが完全でなかったので、開花後の施肥はやっていない)な事情があったので、一握りではなく二握りぐらい、少し多目にあげている。
アイリスオーヤマがやっと来た [生活]
2019.11.01
こんばんは。
やっとのこと掃除機が来た。
注文時、10月23日午前中と指定をしたところ。それは無理なので、留め置きとなっているとのこと。こちらはあまりそういうことはなかったというか、慣れていなかったため、マイページのコメントにもなかなか気がつかず。何で来ないんだ。「支払っているのに、どういうわけだ」と息巻いて4日ほどが経っていた。
アイリスオーヤマ 極細軽量スティッククリーナー ホワイト IC-SLDC7-W
- 出版社/メーカー: アイリスオーヤマ(IRIS OHYAMA)
- メディア: ホーム&キッチン
- 「翌日発送」とうたってあったものだけど、中一日余裕をとって翌々日着と指定をしたのに、残念ながら「ご希望の添えないので、後刻時刻指定をしろ」と書いてあった。必要だから発注し、クレジット払いもしてあるのに、こちらの指定日に間に合わないから発送していない。それに加えて1週間以内に返事がない場合はキャンセルとするとはどういうこと??
- 木で鼻をくくったようなメール内容でちょっと頭に来たが、再指定はせず、至急送れと書き、やっと送られてきた。
- 掃除機自体はマキタより数段いい。デザインもいいし、スイッチ周り、塗装状態、重量、ヘッド周りの動き、すべてマキタを上回っていた。ただ、ヘッドから吸引部までの長さが固定されているので、個人差によっては使いづらさが出るかもしれない。マキタのいい点は潜りやすい適度な長さという一点。アイリスオーヤマのほうが少し小回りが効きにくいかもしれない。
- 前回、適当に添付をしたので値段が高いものになったが、今回のものは型番が同じで、Tポイントがあれば値段も1万円を切る安さ。私は400ポイントぐらいあったので、1万円を切る結果となった。セカンド掃除機としては、1.2キロという重量は重点ポイントだと思う。
家づくりは一回では成功しない(63) [我が家]
2019.11.01
こんばんは。
4時半には暗くなる。暖かいね。でも、暖かいことはいいことではない。台風の恐怖を忘れてはいけないね。ついつい過ごしやすいことで安堵してしまうが、これは確実に温暖化を進んでいるわけで、台風が来るときだけ温暖化だと騒いでみても、それは遅きに失する。そんな思いを毎日の生活の中に生かすことを忘れずに生きていく人間は一体どれほどか。
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昨年9月3日の現場です。
ここは寝室。その向こう側は物入れとなる。
納戸への入り口。
こちらも引き戸。
右手前はトイレの入り口。
向こうに見える窓は和室の窓。
2枚とも室内アンテナ。
室内といっても天井裏だからびっくり。
普通の屋外にあるものとそんなに違いはないようだ。