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変わらない風景-時は残酷だな [生活]

2019.7.5


こんにちは。

今日こそは変わらない風景について書こう・・・いや、打とう。

久々に従兄弟の家に行った。従兄弟の家は、小学生、中学生ぐらいまでは泊まりがけでよく行っていた家だ。同じ年ということもあり、その後、高校、大学でも頻度こそ少なくなったものの交流は続いた。小学生時代には男の子の常道である釣りをし、四つ手でザリガニ、メダカなどを取っては庭の池に放していたりした。社会人となり、そんな交わりは当然自然消滅となり、遠い思い出になっていった。


そこの土手に立ったのは何年ぶりだったのだろう。そこから眺める朝日と夕日は幼い心にも十分に染み込んでいた。それから50年近く経った今、ふと、その土手に立った。当時と比べるとすべてが小さく感じられた。当時は土手に上がるまでには50歩も60歩も歩かなければ登り切らなかったように思えたが、今は2~30歩も歩けば登り終えてしまう小さな土手だ。

周りの家も少しずつは解体され、新しく建て直されたりしたのだろうか。でも、何軒かは当時のままで、土手傍の不思議な形をした屋根瓦の家はまだあった。

もう少しで日が暮れる。土手に登って西の空を見た。白と土色を混ぜたような雲がところどころに浮かんではいるものの、西に沈もうとしている太陽は、はっきり、しっかり沈んでいくのが見えた。

あのときと同じだ。

そろそろ夕御飯の時間なんだろう。どこからともなく、カレーの匂いとか、煮つけものの匂いが風に乗って匂ってきた。私は空腹を覚えながら、その土手を駅に向かって歩いた。私とは反対に買い物返りの女性、幼稚園児と手をつなぐ母親、ワンパク男児のグループが家路を急ぐ。

あのときと同じだ。西に沈む太陽はあのときと同じだ。子ども心にちょっぴり悲しい夕暮れはあのときと同じだ。

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