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情報過多と物質過多 [新聞記事]

2019.4.15


こんばんは。

昨日のブログを見ると「振興」と「新興」を間違えていた。かなり恥ずかしい間違いだ。お許しあれ。


今日は母の祥月命日ということで墓参りに行ってきた。

いつも手を合わせて思うことは、死んでは終わりだということだ。

いずれは自分もこの墓石のもとに入るのだが、そうなる前に形をつくっておきたいと改めて思う。


昨日、片づけの近藤某さんのテレビをやっていた。昔、テレビをお見かけして久しく、とっくに飽きられてしまったのかと思っていたが、そうではなかった。彼女はアメリカでご活躍をしているとのこと。少々びっくりした。

彼女の周りにはお弟子さんなのか、彼女の意を酌んだ方がいるようで、その方々が片づけをしてほしいお客さんに、その方法を伝授している模様が放送されていた。

そのお客さんは若い方ではなく、中年の主婦であった。同時進行で二人をターゲットに放送していた。しかし、その家庭の様子は若者のゴミ屋敷に近い状態だったことに驚いた。足の踏み場もないし、あれでは子どもとの生活は成り立つのかと思ったほどだ。その後放送を見ていくと、確かに思い出深く捨て切れないということのようだったが、それ以上に物が多過ぎるのだ。衣類に至っては100枚近くあっても体は一つ。靴が何十足あろうとも入れる足は2本しかないわけで、物に対する執着が強いこともさることながら、もはや自分ではコントロールできないぐらいの大量な量になっていることだった。ああなっては、自分で片づけようという気持ちも萎えてしまうだろうと想像した。


いつも寝床に入りながらテレビを見るのだが、そのとき高学歴のフリーターに対して古館さんが懸命にわかりやすく話をしているのが目に飛び込んできた。彼には珍しく、目はいつもの目ではなく、完全に座っていた。あれは、あきれ返って一周回って怒っている目だ。


詳細はぜひ再放送でもご覧いただきたいが、高学歴のああいう輩がいることに、ある意味安心?というか、自分の思っていること、・・だろうと想像していることが、自分の若いころと余り違いがないことに安堵というか、間違っていないということに安心して聞いていた。


片づけられない人も高学歴フリーターの人も、共通していることは多過ぎる、情報過多と物質過多であるということだ。自分でコントロールできない量に、ある意味匙を投げている状態なんだろうと思ったが、皆さんはどう思われるのであろうか。

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