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炎上動画 [新聞記事]

2019.2.19


こんばんは。


世の中、大流行の炎上動画。私自身、全く理解できないが、少しだけ、外食産業に関わったことがある身として書いておきたい。


大昔(今から40年前ぐらいです)、1店舗に一体何人の正社員がいたかというと・・・・。

私が所属していた店で7~8人。R社はもっといいサービスをしていたから、多分12~3名。D社も当時は結構いいサービスをしていたから10人は固かったかもしれない。

それが利益追求と競合他社の出現で6人となり・・4人となり・・3人となった。7人が半分の3人になったことは、当時はセンセーショナルなことで業界では少し注目されたことかもしれない。

店舗の社員数を削ることは、単純に利益を増大させること。社員1人50万かかるとしたら(もちろん、社会保険を含めた一人当たりの人件費の意味)、3人削ることで150万円/月の利益が増える計算。
その利益をどうするか。他店舗展開をするための設備投資に回し、当時、千葉県内で100店舗に迫る勢い。
その間、社員教育はどうだったのだろうか。3人体制だと1人公休、2人でフロアーとキッチンを見る。二人が重なるときもあれば、4時間ずつずれて勤務することもあった。いずれにせよ、大体の時間において社員の目が届いていたことになる。したがって、アルバイトのモラルも大きな変化は見られなかったと思う。もちろん、6人いたときよりはレベルダウンは当然のこと。
それが今はどうなっているのか。現場にいない私には知るよしもないが、外食産業を離れるとき、「社員一人体制」が公然と叫ばれ始めており、それをやる社員は出世するか、高い評価を得、高収入を獲得していたことは事実であった。社内で頗る鈍という評価を得ていた私でも、「そうか、一人体制をやれば給料が上がるんだ。やってみるか」と密かに思ったことも事実。
会社は一人体制を目指していたわけだが、当然リスクも大きい。社員の負担もかなりのものになるのは目に見えていた。そこで会社は二人体制を目論見実行した。月・火の2日間、一人の社員が働き、もう一人は休む。水・木はそれを交代。金・土・日は二人一緒に出勤。実際、そんな単純ではないが、一応、それで月の休みは8日はとれることになる。当時、社員待遇の改善ということで、年間107日の休みを確保したい外食産業界にとっては、一応はその条件はクリアされた。ほかに有給が何日かはあったし、規定数の休みがとれないときは、会社が買い取りをしていたことも事実。そんなことをして無理繰り公休を取得していた。
しかし、人間は生身だから風邪も引くし、怪我もする。そんな場合、二人体制の店は、一瞬にして一人体制になるわけで、そのとき、どういう救済処理を会社がとっていたかを私は知らないが・・・・・他店からヘルプと称して社員を送り込んだか、よりアルバイトのハードルを上げ、社員に準ずる資格を付与し、社員同等のスキルとモラルを植えつけようとしたであろうことは容易に想像ができることだ。
社員に準ずる者としてユニットリーダーをつくり、そのユニットをまとめていく。スケジュールの管理をする。そして、最終的には評価をも任せる。つまり、運営上、完全なる社員の代行をするリーダー像を求めていったわけだ。
その後、転職を余儀なくした私は、それ以降のことはよくは知らないが、風聞を聞くと、会社はその方針を貫き通したようであった。つまり、社員に準ずる準社員の育成を図った----そう。社員にとっては恐怖の一人体制ということだ。
その後、バブル崩壊、リーマン・ショックで時代は一変していくわけだが、外食にとって、それは厳しい向かい風となり、一人体制を見直し、店舗を建て直す余裕と余力は、とうに失せていたに違いない。つまり、逆戻りはできなかったんだと思う。
今回の事件を見るにつけ、モラルを維持する、目付どころはいないに等しく、仮にいたとしても、その力関係は大きく変わっていることは十分にあり得ることであり、アルバイトのやりたい放題という結果を招いていくことになる。
どんな会社にいても、あなた自身がアルバイトであろうが、社員であろうが、モラルハザートの効かない体質、体制の組織はあり、運悪く、その中に身を置かざるを得なくなった場合、どう処するべきか、自分の長くも短い人生において、一介の後悔もなく生きていくことを望むなら、それは考える価値は十分にあると思ってしまう出来事だと思った。

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うそでしょう・・冗談でしょう・・・安倍さん [新聞記事]

2019.2.19


こんばんは。


今、ラッシュです。

亡くなる方が多く、母の葬儀はまだ終わっていない。明後日、ようやく葬儀が執り行われる。

自宅に1週間もいることになる。エンバーミングという保存処理をしていただき、腐敗防止をしないと寒い時期とはいえ、一週間はもたせられないそうだ。


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昨日、テレビでの報道が耳を疑った。

日本の安倍首相がトランプ大統領をノーベル平和賞に推薦。しかも、ノーベル財団に推薦状を送ったとの報道があった。


これって本当の話?

恥の上塗りもいい加減にしてほしい。


そんな馬鹿をことをするから、韓国のしかも、国会の議長ごときに馬鹿にされることになる。(報道の順番はこっちが先だけどね・・・) 

今の世界の中で、誰が本気でトランプをノーベル賞に推挙する人物はいようか。これでは世界の笑い物になるばかりだ。


安倍首相曰く「日本はアメリカの安全保障で守られている。だから・・・・・」というような主旨で発言していたようだ。安全が保たれているなら、何でもかんでも追随か? 昔、アメリカの浮沈空母発言があったけど、それとどっこいドッコイ。


そろそろ我々国民が真剣に日本の立ち位置を考えなければいけない時期に来ているんだと思う。

これだけの美しい国土を、これだけの勤勉な人々を、これだけ平和を愛する国民をそう易々と他国に預けてはいけない。

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心の臓が止まる意味 [母のこと]

2019.2.15


こんにちは。かなり疲労困憊です。ランニングをしているわけでもないのに妙な疲労感がいっぱいです。

心の臓器がこれほどまでに影響を及ぼすものかとホトホト感心をいたしました。

肝臓も、腎臓も、胃も、大腸も、小腸も、膵臓も、胆嚢だって異常はない。96歳を過ぎた人間の血液検査でどこも異常がないことは今のご時世奇跡かもしれない。毎年の人間ドックで異常値を出す私にとっては、異常のない彼女のほうが異常に映る。


そんな健康人である彼女が、ようやくその歩みを止めた。

あと1週間、あと3日、あと1日、あと1時間・・・・そんな希望もあっという間に費えた。

心の臓が止まるとすべてが終わる。

今日の早朝、そのことを思い知らされた。


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・・・・・と15日にやっとの思いで書いたが、流石にそんなことしていられなくなり、今日まで書けずに過ごしてしまった。


肉親が息を引き取るまで見守り続けることは、口で言うほどたやすくはない。苦しまないと言ったけれど、本人は苦しいのかもしれない。それは母の表情から伺い知ることしかできないので、想像の世界でしかない。

我が母の場合、まず食べることができなくなった。これは生きる上での活力の源であるわけで、それができなくなった時点で、いつが最終地点になるのかを考えなければならなくなった。

飲み込むことができなくなった⇒唾を飲み込むことができなくなる⇒痰が喉に絡みつくようになるが咳払いで自力回復⇒痰が喉に絡みつき始める⇒それを排除することもできなくなる・・・咳払いをする力もないと言ったほうが当たっているかもしれない。

アンパン1個のカロリーが266キロカロリーとある。彼女の場合食べなくなって3日目。

1日の摂取カロリーは、アンパン1個がやっとこ。

高齢者の必要カロリー/日摂取量は2000キロカロリーとして、母の場合、多分必要摂取量は1000キロカロリーぐらいだろうか。

荒っぽく言ってしまえば、3.5個/日食べなければいけないところ、母は1個しか食べないわけで、食べられる状態であっても、刻々と弱っていっていたことになる。

そこから発熱による体調不良、嚥下機能低下・・・・・。


食べなくなって5日目。思い余って点滴をお願いした。500㎖を1本。4時間ほどかけて皮下に注入。

少しだけ元気が出たような、目も我々を追ってくれていた。(そのころ、目は既にウツロとなり、どこか怖い目になっていたことも事実)

6日目。再び一縷の望みをかけ、もう一本お願いした。このとき2時間ほどで注入された。妙に速い?

しかし、その後、容体は最悪となり、目は完全に遠くを見つめ我々を見ることはなく、血圧も低下、下は40を切りそうになった。看護師さんも今日が山場かもと帰っていった。その夜、鼻水、若干の嘔吐。すべて水分ばかり。すべて点滴の水分過剰?肺にも回ってしまったかも?

7日目。何とか生きている。しかし、筋力もなくなったのか、いつもは強張って伸びなくなった足がダラリと垂れ、伸び切った。

8日目。夜、普段人間は目をつぶって眠るものだが、ここ2~3日、母は全く目を塞ぐことがない。寝ているのだろうが、目をしっかりと見開き、瞬きもしない。目が乾いてしまいそうなので目薬を指す。

9日目~10日目。ただ息をし続け、痰を絡ませ、その音に呼応し、痰の吸引をする繰り返しが続く。痰を吸引しないと窒息死してしまうのだ。

うめくことも、しゃべることも、笑うことも、泣くこともなく、母は少しずつ少しずつ鼓動を弱め、そして息を引き取った。朝方4時。完全に息が止まった。


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訪問医に電話、看護師さんに電話。死亡を確認してもらう。死亡届には、6時死亡、「老衰」と記載された。


すべからく「時」は平等であり、「時」は無常だ。与えられた「時」を大切にしたい。


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