家づくりは1回では成功しない-古屋の解体(2) [我が家]
2019.1.21
こんばんは。
あっという間に夜になり、また朝になる。当然のことと言えば当然のことだが、1日、1時間を大切に使っている人間にとっても、そうではない人間にとっても、それは同じ長さだ。
昨日、宅配の車が荷物を持ってきた。宅配の車まで荷物を取りにいってびっくりした。
軽乗用車の中には荷物が所狭しと積まれていて、昔を思い出した。学生時代、三越の荷物配達のアルバイトを短期間やった。たしか1個運ぶごと80円もらえたと思う。100個配達して8,000円だ。今でもそう遜色ない金額であることから、当時はもっと価値があったアルバイトだった。車は残念ながら持ち込みだったが・・・・。
話を戻そう---一体何にびっくりしたのか。それは「Amazon」の箱の多さだ。9割方「Amazon」と書いてある箱であった。Amazonはご存じのように、USB1つ注文してもダンボールに入ってくる。マッチ箱と同じような大きさのUSBであっても、単行本が優に10冊は入りそうなダンボールに入ってくる。きっとあの箱の山も、ほとんどが空洞なんだろうと思うと、ちょっと空恐ろしくなる--今世紀は無駄を無駄と思わせなくなった時代なのか。
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家の解体が始まったのは5月半ばだ。幸いにして天候にも恵まれ
た。
この重機と向こう側に見える家との間には道路があり、敷地内には2階まで届く大木が植えてあった。その大木があったときは日当たりもさほどではなかったであろうが、その木を切ったことで、あの家は東からの太陽光を十分に受けるようになったと思う。
いろいろとご迷惑もかけたが、少しだけいいこともあったように思う。
重機の向こう側に綱が左から右に斜めに張ってあるのだが、この綱の先は隣家との間に立てた養生シートのパイプを引っ張っている綱で、これ一本でパイプを立たせているような、そんな危うい解体作業であった。解体業者にとっては、これが日常なのだろうが、素人の私にとっては、オイオイ大丈夫なの?と思ってしまうやり方であった。
今度こそ、仕方ないと思うことは負けを認めること? [新聞記事]
2019.1.21
こんにちは。いい天気過ぎて一級河川が干上がったとテレビで言っていた。
そうすると鮎が遡上できず、産卵できないことになる。生態系が少しずつ歪められ、鮎も絶滅危惧種を出たり、入ったり。気がつくと絶命危惧種もだんだんと増えていき、いつの間にか我々の目の前からいなくなる種類も増えてくる。それが自然の摂理というものだが、よくよく俯瞰して見ていくと、それはきっと「自然の摂理」ではなく、「人間の横暴」だと気がつく。
しかし、人間は経済を最優先とする。経済基盤がしっかり運営できる政権は強固な支持を得、少しだけ本音をいい、経済優先を後回しにする政権は弱体化していく。これは古今東西どこの国を見ても同じだ。少しだけ、本音をいい、経済最優先しない政権が人気を博する国があってもいいような気がするが、そんな地球的な賢い人間はいそうもない。
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人は誰も同じ感覚でものを思うものだ。営業であれ、製造であれ、ITであれ、大工であれ、サービスであれ、皆同じ感覚で仕事をする。材料がないから「仕方ない」、部長が言っているから「仕方ない」、課長が言うから「仕方ない」、時間がないから「仕方ない」、残業だから「仕方ない」、派遣だから「仕方ない」、部品がないから「仕方ない」・・・・・・。皆皆ほかのせいだし、他人のせいにする。
これはすべからく楽だ。自分の間違いだったり、足りない努力を棚に上げ、すべてをほかのことのせいにする。一見、自分の中では、すべて物事が動くような気がするが、果たしてそうなのだろうか。そう思ったことで自分のプラスになるんだろうか?
そういう自分はどうなんだ??
すべてが、すべてを自分のせいにはしたことはないと思うが、「仕方ない」と頭の中で考え、納得させようとしたことは多々ある。その結果、自分のためになったことは一度もない。この場合の「自分のため」とは、自分の知力にプラスになったかという意味だ。
人間負けを認めたくはないが、認めない以上は正真正銘、体の中心で受け止めなければ、きっと自分のものにできない。それが生きていく上でいつになるのかはわからないが、生きている以上、一度や二度、正面で受け止めなければならないときがある。それを意識するか、しないかで人生は変わる。そんなことをきっと昨日のブログに書きたかった・・・・・んだと思う。