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皆皆土に帰るのはわかっているけれど・・・・ [母のこと]

2018.11.12


こんばんは。


あっという間に一日が終わってしまった。

毎週月曜日は介護に明け暮れる。こういう日が1週間に一度ぐらいないと母親には申し訳ない。午前中は看護師さんが来、午後は訪問入浴が来る日。朝食を終え、看護師さんには排便、体のケアをしてもらい。昼食、午後からは入浴となる。そして夕食を食べてもらい一日が終わる。


既に100%寝たきりの母親の唯一生き延びていられる術は、むせずに食べられること。

じょくそうにもならず、2年半を経過。私もよく褥瘡にならないものだと思っている。

しかし、最近、食べる量が減ってきた。元々食パンで一日1枚も食べきることは少なく。菓子パンですら1個を1年ぐらい前は食べきったが、最近は4分の1も食べきれない。そんな母親を見ていると気も滅入る。


老いて久しい母は、元気に元の状態に戻るわけもなく、医者も看護師も介護の人々も「穏やかに過ごされているから・・・」と私に対して少しの慰めにもならない慰めを言って帰っていく。

「親孝行をしていれば、きっといいことがある」とも言ってくれるが、その効果は未だに私の目の前にはあらわれてくれない。


生あるものはいずれ死んで土に帰っていく。わかっているが、それが自分の身に降りかかってくるとそう簡単に納得できるものではない。それが人間の欲であり、性であろうか。

突然でない死は、その心構えを伴侶に、子どもに、家族に、そして縁者に与えているのだと言った方がいたが、確かにその心構えをしろと母は言っているんだろうと思う。しかし、その介護の期間が長くなればなるほど、その心構えは揺らいで、それよりも大きな愛情というか、憐憫というか、何とも奇妙な情に包まれてしまうことも確かなこと。その情は、そんじょそこらのナタでは切れない厚く、太い絆となって母と私を包んでいく。

情を多く移すと引っ張られることがあるとよく言う。生気を引っ張る。


今日も帰りしな、母親にそっと耳元でつぶやいた。「僕を引っ張らないでね。いずれ、直ぐに行くから」

11月の暖かな一日が終わる。

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