死刑廃止の是非 [新聞記事]
2018.7.27
こんばんは。
台風が近づいている。そのおかげで今日も涼しい。とは言っても室温は30℃を下らないのに、クーラーはつけないで過ごしている。別に我慢比べをしているわけでもない。しかし、じっとしていると暑さは感じない。
環境とは恐ろしいものだ。体が完全に順応してしまっていて、30度でも過ごしやすくなっている。
台風は運の悪いことに、願いとは違って西に向かっているようだ。雨量4ミリなら恵みの雨かもしれないが400ミリでは恵みを遥か彼方に追いやってしまう。
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オウム死刑囚の死刑が執行された。当然と言えば当然の結末なのだけれど、新聞には死刑制度があるのは日本と・・・・、ワールドカップのベスト16では日本だけだとか、いろいろと廃止論が目につく。
確かに人間が人間を裁くことはできるのかというと、それは不遜そのものかもしれない。
死刑制度を存続させても凶悪犯罪はなくならないのも確かだ。
しかし、彼らのやったことを考えると、死刑制度がなければ無期懲役となるわけで、果たして、そんなことは許されるのか。多くの犠牲者が出て、現にサリンの後遺症に侵されて苦しんでいる人もいるわけで、楽しいはずの社会生活を完全に破壊されてしまった人がいることも確かだ。
事件当日より3日も開けず霞が関通勤で使っていた我等にとっては、決して他人事ではなかった。
無期求刑をすることで、彼ら被告が被害者を完全救済できるはずはないわけで、被害者のご家族、ご本人の立場に立てば、ぬくぬくと刑務所で一生を過ごさせることをウェルカムですとは到底言えない。
残念なことに、人間は忘れ去っていくのが常、オウム真理教の事件を全く知らない人たちが、「あれは野蛮だった」、「なんと言う愚行だ」と叫び始めることが、いずれ起こってくることも事実だろう。
事件を解明し、真相を、真実をそのまま後世に残していくことで、その是非を問うべきではないかと思うし、世界の潮流で判断するのは余りにも日和見的で、日本人の精神論を揺るがすことになる。
時間をかけて、しっかりと向き合うべきだと思う。