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水窪ダムのバスは素直だ(12)-バスボートの快感 [生活]

2017.11.30


さっき、家の図面、提案ナンバー2をファックスで送った。家内との折衷案だが、そのほうが彼女は納得してくれるので、そのようになりそうだ。



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初めて彼のバスボートに乗った。私は今まで船といっても手漕ぎボートぐらいなので、ちょっと緊張気味に乗った。船は6畳ぐらいの広さであろうか。畳2枚を縦に三段並べた感じで、二人でキャストしてもお互いお祭り(糸が絡まない)しないぐらい十分に広い面積があった。


彼は器用にトレーラーをバックさせ、湖水にバスボートのスクリュー部分から徐々に水没させていった。バスボートのエンジンをかけ、船をトレーラーから離し、湖面に浮かべた。そしてまた、車に戻り、トレーラー付きの車を駐車場に持っていった。


その間、私は何もすることがなく(車を駐車場に入れることぐらいはできたが、何となく遠慮しておいた)、ぼーっと、その所作を見守っていた。


ボートが動き出した。それは見る見るスピードを上げ、水しぶきを上げ滑走を始めた。決してきれいな湖水ではないが、多くの水しぶきが顔にかかってきた。しかし、船が低く、滑走していく様は、まさに自分が飛行体になったようで、爽快以外の何者でもなく、湖水の汚さなどついぞ忘れてしまった。息はというと、ほとんどできない状態で、何とか、顔を横に向けることでようやく息継ぎができるほどであった。


釣り場のポイントに着いた。一挙に追いかけてくる波は、エンジン音が停止されるのと同じく押し寄せ、その後を追うように静寂が追いかけてきた。今までの轟音と強風と激しい波の飛沫がうそのようであった。また目線が低いためか、その臨場感たるや、その想像よりも、かなり上位に属してしまうほどの感覚であった。


これはぜひ、バスボートを所有して、思いっきり釣りをし、ボートを闊歩をさせることができたなら、楽しいに違いないと思ったが、ついぞ、その夢は「夢」という現実となって、私に現れるのみであった。

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水窪ダムのバスは素直だ(11)--バスボートの快感 [生活]

2017.11.31


今日は少し寒い。今日のノルマは終了した。母は安定しているが、歩けるわけではない。唯一、気が休まるのは食べてくれることか。


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今もバスボートを持っている方は多いと思う。バスボートを持つということは、もちろん、バス釣りが人一倍好きだということ。それに人一倍お金が自由になる方ということだろう。


私がよくバス釣りに行っていたころ、景気もよかったこともあり、駐艇場はいつもいっぱいとまっていて、垂涎の面持ちでそれらのバスボートを見ていた。私は最後までバスボートは買えずにいた


当時、職場の仲間が釣り好きの友人がいて、休みの合った日には、よく彼と連れ立って釣りに行った。当時は丘っぱりと言って、岸からキャストすることが主で、歩いて釣り場を転々としながら釣り歩いていた。だから体力勝負。もちろん、バスボート釣りも体力勝負で、キャストをし続けるということは、かなり重労働であって、日にも当たるわけで、外野から見るとそうは見えないけれど、一日やると疲労困ぱいとなる。それにも増して、丘っぱりは自分の足で歩き続けるので、ダントツに疲労を伴っていた。


歩いて動ける範囲は、一日やり続けてもある程度決まってしまうがバスボードの行動範囲は、かなり広く、あっちがダメならこっちがいい。こっちがダメならあっちというように、動き回れるのがよかった


その私の友人はバスボートを買った。私は当時、失業中というか、彼と同じ会社を辞めたばかりだったので、そんなお高いものを買えるわけもなく、お誘いのあるときには「待ってました!」とばかりに、それに便乗することにしていた


車にバスボートを付けて駐艇場から一般道を走り、釣り場に向かうわけだが、トレーラー状態なわけでハンドル操作が難しい


説明も難しいのだが、普通車をバックで右に寄せたいときはハンドルは右に切ればいい。

しかし、バスボートの場合は、その逆になるのだ。ボートを右に寄せたい場合は、左に切らないと右に寄らない。つまり、今までの感覚とは全く逆になる。


公道を走るわけだから免許が必要駐艇場が必要。車検と同意の船検が必要となってくる。


それにバスボートは安くはない。2~3百万円は下らなかったように思う。彼は中古で買ったと言っていたが、それを維持するのも、かなり大変だったと思う


その後、彼も転職をした。当時は、リストラの流行りの時期というか、バブルが弾けたためか、世の中的には景気はだんだんと下降線をたどり始めたわけで、その後、私も忙しくなってしまったので、彼とも連絡をとれずに音信不通となってしまったが、彼は今もボートを所持しているのだろうか。




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見ざる・言わざる・聞かざる [新聞記事]

2017.11.31


おはようございます。


今日で11月も終わりだ。昨日のメールは誤字が2つもあった。これを読んでいる方々には申し訳ないと思う。ついつい時間がないものだから、急ぎ打っていて、なまじ見直しなどをしないからいけない。お許しあれ。


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3日ほど前の新聞記事だ。写真も載っていて、思わず「ぎょっ」と思った。


本当にひどいね


先生もここまで来れば、本当に信頼はできない。いい加減というか、表題どおり「見ざる・言わざる・聞かざる」でいこうと思っているのだろう。


特に、この「いじめ」に関しては、これだけ新聞でも、テレビでも取り上げられ、ましてや若い子どもが命を絶つことが多くあるわけで、それでも知らんぷりをしていることがよくわからない。人間としての感性を疑うね


今回の朝日新聞(今月は朝日新聞です)に掲載された写真は、机いっぱいに紙切れが貼られていて、糊付けしたのか、ただ乗せてあるだけなのか、その紙には何か書いてあるが、それは悪口ではなく、ただの印刷物をちぎったものなのか、残念ながら詳細は不明だか、机と椅子に山盛りに紙切れをほかの周りの生徒が積み上げたわけで、勉強とは全然関係なく、「おまえなんか死ねとか、あっちにいけ、学校に来るな、ブス」と言われ続けていたらしい。


言った、言わないは、その場にいないからわからないという弁解は百歩譲って受け入れるとしても、教室のその子の机の上に、山盛りの紙切れがあれば、「これはなんなんだ、誰がやったんだ、その理由を説明しろ」ぐらいの注意を教師はしていただきたかったと思う。


先生曰く「悪ふざけのつもりかと思った」と、その場をやり過ごしていたそうだ


全く言語道断! 


子どもは日本の財産だと思う。よい子も悪い子も、頭のいい子も悪い子も、皆機会は平等であるべきで、社会に出たら、もっと辛く苦しいことが否が応でもたくさん待っていて、こんな詰まらないことでつまずくべきではない


我々大の大人は「そんな詰まらないこと」と言って片づけられるが、ご当人は「そんな簡単なもんじゃないんだ。命をかけて火の粉を追い払っている」ということを学校の先生は理解しなければいけない。(普通は理解できるだろう、現場にいれば・・・)


そんなことを思うにつけ、うちの孫も心配になってきた。空手でも習うしかないな。

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