壊れてしまった携帯電話 [生活]
2017.11.12
2カ月ほど前に2階から携帯を落とした。ズボンの腰ポケットの入れているのを忘れ、いつもはやらないズボンを窓から叩いていたときに、まんまと落っことした。「グシャ」、あの鈍い音は今でも記憶に残る。
「何とかサポート」月々410円、盗難、故障、破損等に対応してくれるサービスに入っていたので、ラッキーだったと言えばラッキー。交換代金は無料ではないが、オーバー分はポイントで精算できたので、出費はなしということになった。
auショップへ車で行って、聞いたところ、
店員「auに電話して送ってもらったほうが安いですよ」
私・・・グッ、ここで無駄足か・・「で、幾ら安いの?」
店員「7000円ぐらいです。」
納得。家に戻る価値あり。
その直後にauサポートセンターに電話。翌々日送られたきた。(これはハヤイ!)
しかし、説明書は全く同じ機種のものではないので、ちょっとやり方がわからない。
電話でいろいろ聞いたが、最終的には「ショップに行ってください。遠隔操作に至るところまでいけないので、これ以上は無理」だということになった。彼女の説明力がないのと、現在使われている機種なのに電話対応ができないのは、どうだろうかと思いつつも、了解した。
昨日、土曜日ということもあって、15分前にショップに到着。一番で見てもらった。見事開通。一応、アドレス、写真、受信、送信は取り込めましたということになった。
しかし、自分で操作をしてみると・・・・
同じ機種なのにグーグルの検索画面にいけない、ラインは直ぐには使えない云々とやり方を探している間に、旧携帯電話にラインが入ってきたりして、もちろん、SIMは抜いてあるけど、ラインは入ってくることがわかったのはよかったが、旧携帯ではラインは送れないので、また、新携帯から旧携帯にSIMを移動、ライン返信などをやっていると、手間が手間を呼び込んでしまって、今は旧携帯にSIMは納まったまま、受信送信をしている。(このSIMの取り出しが小さいから面倒)
メールとライン、そう多くは入ってくるわけではないが、返事をしなければいけないものもあるので、そのまま旧携帯を使っている。
なぜそんなに急ぐかというと、新携帯が届いてから旧携帯を返さなければいけないのだが、その期間は2週間と決められていて、それをオーバーすると4万ナニガシの料金がとられる。
データ移動と行っても、カレンダーは移動されていなかったり(予定を結構携帯に頼っているので、なくなると大変)いろいろと確認作業はありそうだ。
技術は日進月歩で、同じ機種なのに、はや別機種みたいで、どうも使い勝手がわからない。
またまた、携帯に時間をとられそうだ。
山尾政策顧問 [生活]
2017.11.10
「禊ぎは選挙で済んだわ。当選したんだがら問題はないでしょ。テレビ、文春が何と言おうと無所属だし、誰にとやかく言われる筋合いはないと思うの」
「違法性のあることをやっているのではないので、問題はないですヨ。」
「じゃ、引き続き政策顧問をやってくれない?」
「えっ、いいんですか?」
「あなた、別に問題ないって言ったじゃない。」
「まあ、そうですが・・・」
「政策会議と言って、また逢えるし、あなたがやめてしまうとわざわざ会わなきゃならないし、写真撮られて問題視されちゃうし、それは面倒だわ。だから、続けない?」
「そりゃ、名案ですね。下衆の言うことは問題外ですね。法的には何ら問題はない。正々堂々政策会議をやりましょう。」
と言ったがどうかはわからないけど、今日は下世話な話を書いてしまった。こんなことに関わるのは時間の無駄なんだけど、食事中、ついつい目に止まったものだから。
禁断の恋は盲目だね。
でも、彼女は公人、税金で生業っているわけだからね。言われて当然と思うよ。
彼女に1年間で何千万円も支払われる。
その金で・・・・と思うと、確かに虫唾が走る。
また、政治に失望し、棄権する人たちが出てくる。
その行為は違法そのものでしょう。
夢でよかった [生活]
2017.11.10
おはようございます。
突然ですが・・・・・。
ふと彼女はあらわれた。
多分、私は長い間留守にしていたようだった。しばらく、私と彼女は会話をしなかったように思う。同じ家の中にいるのに、そんな気がしていた。
静かな時が流れていた。お互い、同じ部屋にいるのか、いないのかよくわからないまま、自分は自分の片づけをしていた。
長い静寂が流れた。
いつの間にか自分はクローゼットの中に、「あっ、いたんだ」と感じた。ようやく、彼女が自分の前にあらわれた。現れたというのは確かではない。ずっと前からそこに立っていたのかもしれない。
何もかもが「かもしれない」状態であった。
クローゼットの衣類の中に顔が埋もれて彼女の胸から下が見える状態だった。暖簾を分けるように、ハンガーを分けて、分けて、ようやく彼女の顔にたどり着いた。
彼女の顔を見た瞬間、自分の気力が萎えていく衝撃を覚えた。
なぜなら、彼女の目は全く、その精気を失っていたから。ちょうど漫画の主人公が目を回しているような、そんな目をしていた。
黒目は白濁色に染まり、どこを見ているのか、全くわからない状態だった。
何があったのか、よくわからなかった。しかし、彼女にとってすごくショッキングなことが、恐怖を伴う事件が起こったことは確かだった。
「ごめん!一人にしてごめん」と私は叫んだ。
そこで目が覚めた。夢でよかった。
昨日は疲れた [生活]
2017.11.9
おはようございます。
昨日は愚息の孫の検査日だったので世田谷の成育病院まで行ってきた。トータルで200キロ近くを走ったが、さすが最後は睡魔に襲われた。危ない、危ない。
成育病院にはいろいろな患者さんが来ている・・・・・・
・・・・・・が、皆子どもたちだ。
親御さんの気持ちを考えると本当に大変な人生を歩むことになる。客観的に見ても、自分が子どもより先には死ねないという気持ちをずっと持ち続けることになるわけで、それはかなりのプレッシャーだと思う。時間の使い方も大切になってくるし、人の痛みも理解でき、子どものおかげと言っては大変不遜だが、人間的に成長できるかもしれない。
前にも書いたが、うちの孫は彼らの病には足元にも及ばないわけで、申し訳ない気持ちになってしまうが、街中では見られない一つの社会を垣間見ることで、孫自身も、我々自身にも考えさせられる時間となった。
今回も背広姿の若いお父さんとおぼしき人が、少しうつむき加減に私の横を足早に通り過ぎて、横玄関で面接カードに名前を記入していた。そこは孫が入院をしていたとき、私たちも記入し、入館証をいただいたところだ。
彼のお子さんが、どのような病状かは知るよしもないが、思わず心の中で叫ばずにいられなくなった。
頑張れ、お父さん!
学生村(29)--山田君のその後(5) [学生村]
2017.11.9
しばらくすると加奈子が学校から帰ってきた。彼女は色黒で健康的な日焼けをしている子どもであった。まだ小学生の低学年だった。しかし、背は高く、学校でも大きいほうだと聞いた。当時、私は余り幼い子どもに興味もなく、季節の挨拶程度に彼女のことを聞いていたので、気にもとめなかったが、今にして思えば、4年生ぐらいの年にしてはおませさんだったかもしれない。それは宿に来る人たちは当然ながら皆年上のお客さんが多く、いろんな人たちの中で話をしたり、遊んでもらったり、また宿の女将の手伝いもしなければいけないということが、彼女の感覚を大人にしていっているのかもしれなかった。
女将に言われたことはテキパキこなす子どもであった。その日、彼女が下校してきたので、そのことを彼女に伝えた。「山田くんが待っているらしいから、少し待っていてとお母さんが言っていたよ。」
「うん」と言葉にならないくらいの小さな声で彼女はうなづいた。
どこかに行く約束をしたんだろうと私は思い。女将からの伝言を彼女に伝えたことで、そのことは忘れていた。
私はいつも日常をスケジュールどおりに過ごした。当時、学校も卒業し、私の学友は皆就職したということは風の便りに聞いていた。友人がどうあれ、自分は自分の道をはっきりと見定めているつもりだったので、「内定が決まった」とか、「就職した」と聞いても別に焦りを感じることはなかった。
朝6時起床、着替え・洗顔、1時間の勉強、8時食事、9時~12時まで勉強、12時昼食、13~15時余暇、15~17時勉強、17時夕食、18時~21時勉強・入浴。23時就寝。
こんな一日の予定を自分で組み、過ごしていた日々であった。
学生村(28)--山田君のその後(4) [学生村]
2017.11.8
おはようございます。
今日もゴミ出しをしてきた。相変わらず量は多い。約30袋だ。こんな早起きをしているのは俺ぐらいかと思ったら、結構多くの人たちが早起きをしている。夏と違い5時前はまだ暗いのに、公園で犬とはしゃいでいる夫婦? 新聞屋さんは当然としても、くわえタバコで家の前にたたずんでいる人もいる。
5時になると皆さん家の電気がつくところが増えてくる。はやりベッドタウンだからか、6時には家を出る人が多いからか、とにかく、皆さん早起きだ。
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山田君とはそんなに話をするわけではなかったが、後で聞いた話だと私より1~2歳年上だと聞いた。
今思えばシャイだったんだろう。お互い気にもとめることもなく「あっ、来ているだ」程度の間柄であった。そんな彼も宿の子どもとはよく遊んでいたようで、宿の女将も感謝の気持ちをよく口にしていた。
「助かるんよ。私も仕事が多いし、さったが、とうちゃんもよういないことがあるから目が届かんよぉ。だから、よくしてもらってんさ、感謝せにぁならんさ。」とよくわからない方言でしゃべっていた。実際はもっとわからない。彼女の言葉を文字に書きあらわすのはかなりの無理がある。地方地方の方言はあるけれど、津軽弁よりわからないかもしれない。
東北の訛りは口が大きく開けない分、声も小さいし、ゆっくりに聞こえる。しかし、長野のその言葉は、松本駅前のおみやげ屋のおばさんが発するその訛りとは、かなり違って聞こえた。それは独特で、松本市内の方々もよくわからないという話を聞いたことがあった。つまり、この地方独特の方言、昔は交通での行き来もままならぬことが多く、11月から5月ぐらいまでは雪深く、市内の人たちとのやり取りもほとんどしない時間が多かったせいかもしれない。早口で声が高く、丸で機関銃の如くだ。
しかし、何回も何日も、その言葉を聞いていると自然とニュアンスはわかってくるから不思議だ。
「加奈子がきたらんば、どうしゃこするかってことを山田さんがいおうんかことになっとるけ、そんな早ようせんがって待っていてもほしいがってさ」と私に言ってきた。相変わらず早口で、多分、初めて言われたりすれば、英語を聞いているような、イタリア語を聞いているようなチンプンカンプンだったろう。
しかし、今は違った。大体の意味はこうだ。「加奈子が帰ってきたら、山田さんが一緒に行こうと言っていたけど、早く帰ってきても待っていてほしい」ということらしい。まあ、大体わかれば、いい。伝言はざっくりといつも聞くしかないと思い、いつもその体でいた。
今日も気持ちよく走れた [ランニング]
2017.11.7
今日もいつものとおり、古屋の整理。家人は余り変わらないねと言うが、私はなるべく、そう思わないようにしている。今日もゴミ袋は20個を突破した。昔はヒートテックなどなかったので、冬はセーターと相場が決まっていた。茶箱の中からたくさんのセーターが出てきた。もちろん、着られるのだが、今はセーターなんかはあんまり着ない。第一重い。昔は重いセーターに重いコートだった。今は軽いヒートテックに軽いダウンジャケット。時代は大きく変わった。
重いコート、重いセーターはゴミ袋に直行となる。
最近は小まめにランニングをしている。今日も7キロを走って来た。
昼、外食で炭水化物ばかりを腹に詰め込んだので、その分、しっかりと走らなければいけない。
この時期になると松の葉が落ちる。銀杏が落ちる。街路樹(名前はわからない)の葉が多く落ちる。道の端っこにうず高く積まれていて、それをわざわざ踏みしめて走ることにしている。本当は、表参道の絵画館通りのようにたくさんの銀杏並木があれば、どんなにか風情があるのになと思いつつ、ほんの少しの落ち葉を踏みしめて今日もランニングをしてきた。
悩んでいる [生活]
2017.11.7
おはようございます。
今日は珍しく書くことを迷った。自分の頭の中に整理されている意見、考えはスラスラ書ける(いや、打てる)。しかし、無理にない知恵を絞って書くときは、思いの外時間がかかる。
昨日もいつもどおり、古屋の整理をした。家人も同伴してくれて、捨てられないものを箱から出し、要るものと要らないものに分けてもらった。私達にとっては不要なものでも、他人様には必要なものもあるに違いないだろうが、メルカリ、ヤフオクという手もあるが、発送の手間とかに時間を割くこと自体、もったいないという気になってしまって、やろうとは思えない。
先日、百均に行って思ったことだが、男の方が店員さんに「どこにあるか?」と品物を場所を聞いていた。
ごく普通の風景だ。
しばらくすると、その男性が私の前を通り過ぎた。手にはガラス製の灰皿を持っていた。
灰皿を買いに来たんだ。
そう言えば、古屋の整理に灰皿が随分と出てきた。もちろん、未使用のもの。何かの記念品なのか、もらいものなのか。記憶にあるだけで5~6個は処分した。
確かにもったいない。しかし、他人さんに「はいよ」と差し上げるわけも、そんな状況が間近に起こるわけもなく、難しい、確かに難しい。
ひっそりと消えていく想い [生活]
2017.11.6
おはうよございます。
私の実家までは車では5分。自転車では10分。ゆっくり歩いて15分、ランニングで10分だ。ほどよい距離はどんなものかはわからないが、「ほどよい」距離感は、親の年齢によって変わってくることを思い知るようになった。
元気なうちは電車で1駅でもいいけれど、不自由になると車で5分も難渋になる。
2週間も前であろう昼過ぎ。桜の葉っぱがサラサラと舞い、キンモクセイがどこからともなく香りを放つ公園を通っていたときのこと。以前はよくお見かけをしたそこの住人の方をしばらく見ないことをふと思い出した---思い出したというよりも、そこには滅多に見ないスーツ姿の人が一人家の前にいたからだ。実家からの帰り道、今度はその家の前に3台ほどの車が止まっていた。
ナンバープレートはすべて他府県ナンバーであった。
次の日であったろうか。今度は二人のスーツ姿の男性が、その家の前にたたずまいを正して立っていた。
家の主の顔はわからない。もちろん、挨拶を交わすでもない。表札の名前だけしか知らない。
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ある日の午後、別の公園の前の家で「〇×ケア」と書いてある車が止まっていた。ちょうどストレッチャーを車から出しているところだった。二人のスーツ姿の方がテキパキした動作が事を進めていた。
ほんの一瞬、日常の中に突然非日常が舞い降りる。
水面に小さい波紋を起こすが如く、それは瞬く間に消えていく。
どんな人生を過ごし、どんな想いをお持ちだったんだろうか。
そんな気配をふっと感じる年になった。
横暴---その1 [新聞記事]
2017.11.5
横暴は彼らだけではないが、国民にとってはないほうがいい結果になるはず。だから、これは忘れずに記憶の隅にとどめて置かなければいけないことだ。
それは質問時間のこと。
??・・・・・・・そうです。選挙のときだけ民主主義を叫んでいて、この前の衆議院選が終わったと同時に、そんなこと「あっという間」に忘れてしまった我々国民にとって大切な、国会議員の質問時間配分のこと---くどくて、長いね。
また、自民党が自分たちの有利なように規定を変更しようとしている。質問時間は議席数に応じて配分しようというもの。つまり、8割自民党の国会議員ガいれば、8割時間を寄こせというもの。
いやいや、自民党もそこまでは図々しくはないと思うが、しかし、本音はその辺かもしれない。
このままいけば、今より野党の質問時間は短くなる。
つまり、自分たちに不都合な質問は時間を短くすれば、さらされる時間は短くなるから自民党には好都合だ。表向きは、議席数に応じて、質問をすることは公平の理にかなっているというご説。一見ごもっともらしいお話だが、外国ではそんなことをしている国はない。与党(自民党)の暴走を抑えるためにも、議席数には関係なく、野党に質問時間を与えることにしているのは、どこの民主主義国家でもやっていること。それが民主主義の根幹。
それをもっともらしく通そうとする与党が怖いね。表向きはソフトだけど、共産主義の中国や北朝鮮とやっていることは変わりはしない。自民党の中枢は、そのことに気づいていない。自分たちのやりやすいように変えていく。
公明党さん、そんなときこそ、「それは違うんじゃないの、自民党さん」と言わなきゃね。政教分離もままならないのなら、そのくらいはやって政党の存在事由を持たなきゃいけない。
ここは公明党さんに頑張っていただくしかない。そうしたら少しだけ見直してもいいよ。
クリスマスの約束2017 [生活]
2017.11.5
おはようございます。連休も最終日。今日は少し冷える。しかし、快晴。洗濯物もよく乾きそう。
30年も古屋に眠っていた家人の皮のコートと皮のツーピースが出てきた。ここ3~4日干しているがカビ臭さは頑固ながら、少しずつとれてきている。ひょっとしたら、着られるかもと期待。
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日々アンテナを張っているつもりでも、ついつい忘れていたことがあった。それは私たちにとっては、かなり重要なこと。あと1日気がつくの遅れていたら大々後悔ものだったに違いない。
それは夕食時、彼女のこんな言葉から始まった。
「ねえ、もうそろそろクリ約やるんじゃない?」
「・・・・・?」と私。
自身のブログを取りやめ、急ぎTBSをリサーチ。
あった!「クリスマスの約束2017、応募締め切り11月6日必着」。
まずい! 急ぎ葉書を探したが12円不足。それはコンビニで買うとして、とにかく葉書を書こう。
志望動機が大切だとは前々から言われているが、当たったためしがないから半信半疑。
今まで10回出してすべて外れの私としては、丁寧な字体、丁寧な物言い、丁寧な志望動機を認め、夜の雨の中、イソイソとコンビニへ。そこで不足分の切手を買って、ポストへ。
ここもポイント。ポストは郵便局のポストが一番確率が高い。夕刻も17時を周り、回収時間が問題。土曜日に回収されるか、日曜日に回収されるか。それは死活問題。
月曜日が必着だから、どうしても今日(土曜日)に回収していただきたいと思っていた。
恐る恐る郵便局のポストを見る。回収予定時刻・土曜日18:00が最終とあった。
今は17時46分。
ヤッタ~!間に合ったゼ。
もうこれだけで当たったような気になっているからお気楽なもんですが、これから抽選があって、選ばれるわけもないんだけど、選ばれたらどうしようと、当日のスケジュールをチェック。
11月16日、場所は千葉。
スケジュールは家人が病院。しかし、「幕張だから、そのまま行けばいいよ」と家人。
彼女も既に行く気満々。
というお気楽夫婦の週末の一席。お後がよろしいようで・・・・・・・。
晩婚化・一人っ子は悲劇的な結末を生むかもしれない(6) [医療・介護]
2017.11.4
おはようございます----いつもこのフレーズで始められればいいんだけど、なかなかパターン化ができない。
世の中は3連休だ。
今回、我が家は関係はなさそうだ。愚息ファミリーも来ないので、自分の仕事が進められる。家人とも近くに出かけたいが、家づくりの前段階の古屋の整理が落ち着くまではできそうもない。
朝方、ゴミを20袋出してきた。普通、各家庭が出すゴミは1袋ぐらいだろうが、毎回20袋ずつ出しても「焼け石に水」は当分続く。
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選挙は終わった。国会議員はきっと選挙公約をきれいさっぱり忘れているだろう。
まずは自分の収入源が確保されたことで安堵している方が残念ながら多いことは事実。
消費税が上がる。これは確実に上がるだろう、いや、上げなければおかしい、と誰もが思う。
安倍さんは子ども支援?に目的を絞って税金の使い道を決めるとおっしゃったような(ここは定かではない)。
子ども支援と、この題目にある「晩婚化、一人っ子」がどう関係するのか。
これは大いに関係する。だから、少しだけ期待(いつも裏切られるけど)をしてみたい。
子ども支援に段階的に、少しずつでもいいからより多く配分され続ければ、必然的に出生率が上がる。出生率が上がるということは、当然、晩婚化・一人っ子は少なくなっていくはず。
子どもが増えることは国が豊かになる。それは財政的にも、国の力としてもだ。
(もっと卑近な話をすれば、いずれ現役の社会保険料も下がり、生活が楽になる。それは経済が活発化するということ)
しかし、彼は近視眼的に選挙公約のためだけに子ども支援、税金の使い道を分けると言っているだけではないのか。
我々国民は、彼の政府の今後の政策、とりわけ、子ども支援の諸政策には、十分に気をつけて見ていかなければいけない。
彼が達成できなかった待機児童解消もお金がないと言う。
そんなことはない。47都道府県にいる議員政務活動費を削減し、議員定数の削減を行えば、十分に捻出できる。
お坊っちゃま育ちの人間には、そんな大ブーイング的な不人気政策はできない・・・・と朝っぱらから斜に構えてしまいそうだ。
物欲 [生活]
2017.11.3
今日も一日が終わる。ノルマは終了。母は元気(低位安定)で古屋のゴミの整理も少しずつやってきた。
人間は欲の固まりだ。特に物欲は多くの人にある。古屋の整理をしていて思ったことは、30年もカビ臭い部屋の中に押し込まれていたものでも、それを見た瞬間に「これいいな~、使えるかもしれない」と思うことだ。30年もお蔵に入っていたものが、今使おうと思うこと自体がおかしい。人間は皆そう思うだろう。
私も凡人であるが故に、同じように思うことが数多くある。しかし、今回の整理に関しては後ろのスケジュールも詰まっているし、いちいち出てくるものに対して吟味をしている時間的余裕はない。だから、ほとんどチラッとチェックのみでゴミ袋に入れるようにしている。
これは男女の違いはあるのだろうか。きっと女性のほうが物欲が強いと勝手に思っている私にとっては、極力、女性は近づけないようにしている。嫁いでしまった姉がいるが、彼女の立ち会いは極力ご遠慮願っている。
1年ぐらい前だったと思う。姉が見たい写真があると言ってきたので、古屋に入り、それらしき写真を持ち出してきたときのこと。「そうそう、これこれ」と言ったので、その辺を差し上げて、さっさと処分してしようとしたところ、「えっ、それ、捨てちゃうの、せっかくの記念なんだから」ときた。
「これ全部捨てるよ」と言ったらば、そうはさせじと「とっておきなさいよ、いい思い出になるから」ということになって、該当の4~5枚を出し、残りの段ボール一杯の写真を処分しようと思っていたが出来ず終い、未だに母親の寝室に残っている。
そんなこともあり、以降、絶対に彼女には立ち会いはさせまいと思っている。今日も、「姉」と書いてある段ボールを4つほど処分した。もちろん、金目のものは入っていないし、30年以上お蔵だから、本人も何が入っていたかもわからないものばかりだ。
これが人間の物欲だ。人生はあっという間だ。物欲はさっさと絶ってしまうのが得策だ。
ターニングポイントを意識する [生活]
2017.11.3
おはようございます。
今は天気が悪い。これから晴れるという予報が昨日あったが、雲は切れ始めているから当たりそうだ。
今日は、ゴミ出し作業はないから少しゆっくりできる。
朝から人生の話もなんだけれど、これしか今は思いつかないから書いておく。
自分の野心、野望と書くと汚い人間のようだけれど、人は皆、それを持っているが故に生きていける。
目標を持って生きていくことが一番楽しく、充実し、達成感が持てる。
整備士になりたい、医者になりたい、警官になりたい、看護士になりたい、保育士になりたい、サラリーマンになりたい、弁護士になりたい、政治家になりたい、大工、会計士、漫画家、作家、プロデューサー、サッカー、野球、芸能人・・・・・・・。
職業はたくさんある。思いつかない仕事だってたくさんある。
多くの方々が、その目標に向かい、達成し、成功者となる。
更に多くの方々が、その目標に向かい、挫折し、妥協、断念をし、目標を少しだけ曲げて生きていく。
どちらの人生も貴重で、味わい深い人間に育てていく。
どちらがより味わい深くなるかは、次回にしておくとして・・・・。
今日は、その目標に届かなかったときをどう生きていくか考えてみる。
人は日々の目標も持つ。
「俺は、そんなの持ってないよ」
・・・・・・・・・・・・・と思っている人も、それは無意識のうちに持っているものだ。それはあまりに小さすぎて見落としているだけのこと。
例えば、「彼女に電話をかけよう。」、「昼、あそこのラーメン屋のラーメンを食べよう。」、「帰ったら一週間分の洗濯をしよう。」、これだって立派な目標だ。そんな小さなことの積み重ねで一日一日が積み重なっていく。それは金持ちも貧乏も、弁護士さんもニッカボッカさんもおしなべて皆同じだ。
人間は馬鹿じゃないから、それをもう少し遠くを見ようとする。
1カ月先、3カ月先、半年先、1年先とね。
1年先の目標がラーメン食べに行こうじゃ、ちょっと寂しい。誰もがもっと大きな目標を自然に持っている。それは「結婚する」かもしれないし、「車を買う」かもしれない。「今年こそ〇×試験に受かる」かもしれない。
みんな今より、よりよい生活をしようと頑張る。それが車であり、結婚であり、資格試験だ。
しかし、人生はままならない。すべての人が思いどおりに事が進めば、何も悩みはしない。それが思いどおりにいかないから人生となる。
その山に登り切れないとき、どこであきらめるか。あきらめるべきか。それが山そのものであれば、降りればいいだけかもしれないが、自分の人生のターニングポイントなら、そう簡単に結論は出せないはず。
きれいさっぱり、今までの苦労を捨てる潔さも大切だけど、そう簡単に割り切れないのが人生。
しかし、問題はもっと深いところにある。それは、自分がそのターニングポイントに今いるということを気がつかないことだ。気がつく人はまだ救われる。
「そうか、ここがターニングポイントなんだ。ゆっくり慎重に気をつけて判断しよう」と思えるから。それに気がつかない我等凡人は、それを易々、何の考えもなく通りすぎてしまう。それを逃すときっと元には戻れない。
その時を逃すと誰もが戻れない。
だから、自分の人生のターニングポイントは意識する必要がある。
この1年があなたの人生のターニングポイントかもしれないし、それはもう過ぎてしまったのかもしれない。
若い方は特に、過去と現在と未来を見比べて、自分はどっちに行くべきか、いつも考えて生きていかないととんでもないことになる。
大切なあなたの人生だ、詰まらぬことに足を取られそうになっても、自分のターニングポイントを意識しなければいけない。ひょっとしたら、今この時、あなたのその足元が大切なターニングポイントかもしれない。
学生村(27)--山田君のその後(3) [学生村]
2017.11.2
環境とはおもしろいもの。人間はないものから新しい遊びを生み出す。彼もまた遊びの天才として、いろいろな遊びを作り出していた。
山田君は、なぜ学生村に来たのか。その目的はよくわからない。
彼とは余り話したことはない。たしか自分より2つほど下だったろうか。彼の出身の高校は、都立の名門であった。その名前を聞いたとき、私は、えっ?と声を上げてしまったほどだ。普通、ここの高校を出た者は、人生において大多数の者が成功という名をほしいままにしていたからだ。
「こいつ、頭いいんだ。」私は心でそう叫んでいた。あんまり馬鹿を言ってはいられないな。そう思ったためか、私は彼とは必要なこと以外はあまり話さなくなった。彼もまた、年の割には大人っぽく、年上の弁護士の卵とか、高校の先生とかと話をすることが多かった。そういうことも彼と疎遠になった理由かもしれない。
彼はたばこもよく吸っていた。学生村に滞在している人間は、大方が貧乏学生であった。それぞれの目標に向かっているとはいえ、それぞれの家庭の事情は当然異なっているわけで、それは持ち物、買うもの、着ているもの、それから漂ってくる雰囲気で何となく理解できた。
彼はいつもふいを突いて来るようであった。私が初めて学生村に来るときは、学生村の協会のようなところに予約の電話を入れ、学生村の一軒の宿を紹介され、そこを通して、何日ぐらいでお願いしますと予約をすることがパターンであったので、宿の女将が「山田さん、今日来るって言っておるが。なんでも突然来るというとるから、断れんよなこともあったりしての、こっちは来るって思ってんば、何というか・・・・」と、よくわからない方言で言っているのを聞いて、彼とは知り合いなんだ。突然、来るといっても、それが通る相手なんだと思った。
その日の午後、彼はまさにぬくっと突然あらわれた。サラサラな髪の毛、紺色のTシャツ、着慣れたGパン、ビーサン、サングラス、たばこを燻らしていた。庭で卓球をしている俺たちには目もくれず、黙って玄関に腰を下ろし、軽そうなバックを一つ持っていた。
私達長期滞在者は、チッキ--今でいうところ宅急便の鉄道便バージョンしかなかったので、東京の近くの駅にそれを持ち込んで、到着駅まで一緒に運んでもらって、残り宿までの間は、自分が運ぶという、そんなシステム(チッキ)を利用していた。決してバッグ1つで済むような量ではなかった。
物のない時代に生まれた功罪 [我が家]
2017.11.2
毎日、古屋の整理をしていると気持ちは全然前に進まない。24時間のうちの1~時間が関の山。それ以上は体がもちそうもないので、やらないようにしている。自分でも情けない、前向きのコメントでもしておきたいのだが、いかんせん、この件に関しては明るい話にはならない。
【子どもが行う断舎離】
親が長生きだったものだから、その私物たるや膨大な量となっている。戦前結婚、終戦後4~6年に私たちが生まれた。まさに物のない時代真っ最中。今であっては捨ててしまうような古新聞、木屑でも、当時はそれを火にくべてお湯を沸かしたり、お米を炊いていたりしたので、何でも大事にとって、後で役立てようという思想は、かなり徹底していた。
父母と同年代の兄弟は、同じ時代を生きてきたわけだが、貧困の時代が終わり、平和な時代となり、物資不足もだんだんとなくなり、豊かさを享受できる時代となった。大半の人たちはその波に遅れることなく乗っていったわけであったが、母は全くその波には乗れず、当時のまま、戦後の物不足のまま昭和に入り、平成を生きてきた。
当時、私の父は世話人的なことをしていたものだから、同じ町内から、これを食べろ、あれを食べろといろいろと物を持ってきてくれていた。物不足の反動からか、それは徹底していて、多くの人たちから物が届いた。それは家族4人で消費するには、余りにも多く、使われないものは家の中に積まれていくだけであった。新聞、木屑ならいざ知らず、砂糖、醤油、酒の類は、余ったからといって捨てるわけにもいかず、そのまま放置され、腐っていくばかりであった。
元来、たくさんの料理をしたり、生活をより豊かにしようとする母ではなかったため、その消費量はほかの家庭よりは少なく、微々たるものであったし、父は仕事柄、朝早く、夜は遅く、家庭を顧みるような人間ではなく、私は父と顔を合わせて食事をすることなど、年に10日もあったかどうか。久々、父を食卓を囲むことがあっても、何も話すこともなく、テレビをつけて時をやり過ごすことしか考えが及ばなかったのを覚えている。
そういう両親であっても、時は容赦なく過ぎていき、父は他界、母も寝たきりとなった今、当時のままの物だけが残っていることと相成った。
お恥ずかしい限りと文才のなさで、それ以上のことはうまく書けないが、今日も薄暗い、床がへこみそうな家に入って、段ボールを5~6個、処分、分類してきた。
少しずつ、少しずつ、私たちの目的達成のために事を動かしていくしかない。
家づくりは1回では成功しない。(20) [我が家]
2017.11.1
今日も比較的天気はいい。こういう日は仕事が進む。仕事と言っても目下のところ、古屋の分別整理・廃棄だ。
親の断舎離不実行を息子がやるわけだが、我が家は母親の力が強かったので、2~3年前まではしっかり、はっきりしていたので、こちらの好き勝手に処分はできないこともあり、少しずつわからないようにやってはいたものの、それは総量からすると微々たるものだったので、まさに「焼け石に水」状態であった。
やっとここにきて、寝たきりとなり、視覚はしっかりしているものの、認識力・意識力・判断力はほとんど欠如してきたので、息子としては正々堂々と親の私物を処分することができるようになった。
古屋を解体して新しい家をつくるわけだが、その解体費用はおおよそ200万前後だ。
しかし、それは家財道具類が全くない場合の話で、それが整理できていない場合は、その量に合わせて加算されていく。トラック1杯で幾らの計算だと前回のリフォームのときに聞いたことがあるが、多分、今回もそんな計算がされるのであろう。
もともとF林業は、その解体費用は無料にしましょうということをうたっているので、ついついお願いしたいという気になってしまった。
古屋は全部で5部屋あり、そのうち2つは大体終了。あと3つを整理するわけだが、これはかなり強者で、日本の古屋でも上位に食らいつくほど、多くの物にあふれている家であろう。
今までの市のごみ出しに出した量は、燃えるゴミ特大袋で80袋以上、缶200個以上、瓶100個以上を出しているが、まだ2つの部屋が何となく片づいた程度。これの倍ぐらいはゴミ出しが続くわけだ。無心にやらないと心が折れそうになる。
ゴミとして缶を出すわけだが、もともと物持ちがいい人だったので、缶があると必ずとっておくと聞いていたが、どうでもいい缶もこんなにもとってあるのを見ると、つくづくがっかりさせられる。
空き缶ならそのまま出せば済むが、中には中身の入ったままのものが多くあり、その場合は、いちいち中身を燃えるゴミに入れ、缶は別にビン缶回収日に出すという分別作業が必要なのだ。
すべてお金で済ますことは簡単ではあるが、ただでやってくれるわけではない。これから家を新築をするということもあり、出るお金は極力抑えたいというのが正直なところ。もう少し頑張ろうと思う。
30年間の日々のゴミ出しをギュギュッと圧縮して今やっているわけで、恨み節の一節でも歌いたくなるのが本音だ。
早くできるといいな [新聞記事]
2017.11.1
今年もあと2カ月となってしまって、当然と言えば当然ながら、多少焦ってしまうというか、何も成し得なかった1年となりそうな自分を省みて、今年もか・・・と思っている。
9人も殺しちゃっても平気な人間が隣人にいたりする時代。暗い事件が続く昨今、ちょっとだけいい話を目にした。それは血液を2~3滴で人間ドックが終了するという話。もちろん、今はまだ発見段階だそうで、一応、メドは2020年あたりという。
もうすぐじゃん!
あの下剤2リットルを飲まなくていい。それだけでもう極楽極楽。
それに前日絶食もしなくていいんだからね。
頼んマス。あと3年で何とか実用化してください。私が生きているうちに何とかね。
異常が見つかってから、胃カメラ、大腸内視鏡という段取りはいい。うれしい。それだけでうれしい。
もうガンにも登る気持ちです。
でも、血液2~3滴で「ガンです」と名医に言われるのならいいけど、ヤブ医者に、そう言われても結構迷惑な話でもあり、ちょっと複雑な気分。人間に欲は尽きない。