SSブログ

若き日の過ち [新卒・転職]

2022.10.7

こんにちは。

「大さむ、子さむ。山から小僧が飛んで~~」というぐらいに寒い。おもわず、床暖、ガスストーブを点火してしまった。年を追うごとに過酷な環境になっていく。この環境に順応し、耐えていく術を人間は知っている。知っているからこそ、地球にとっては艱難辛苦が続く。すみません・・・という言葉しか出ない自分が情けない。いい子ぶるつもりはサラサラないけど、結果はすべてブーメランのように我々に戻ってくる。自分の責任だと思わなくては・・・。

----・----・----

若い時は誰でも目標が定まらないが、定まっている人は少数だけどいる。それは幼い時ほどしっかりしていて、その執着は驚くほど固い。幼いときには周りの騒音に邪魔されないほど集中できるという家庭内役得があるのかもしれない。その「集中」が人生の大半を決定する・・・・なんて断定してはいけないかもしれないけど、特化し続け、集中できた人は、その道のプロ、専門家になっていることは確かだろう。例えば、さかな君とか、昆虫博士とか・・・。

しかし大方というか、大多数の人は、それが見つからない。ただただ、ぼんやりと過ごしてしまったり、興味をもっても長続きしない。その結果、「集中力」という武器を手に入れることができないことになる。幼少期を過ぎ、中・高・大・社会人になっても見つからなくなった人はダメかというと、そんなことはない。その時、その時に興味をそそられたことで、自分の生活の中にうまく組み入れられれば、期間・時間は多少かかっても、生きていくアイテムの一つになり得るわけで、それはあきらめずに、貪欲にアンテナを張り続けるべきだろう。

自分のやりたいことは何なのか。どんなに厳しい状況に置かれていてもやり続けられることは何なのかを見つける。これは言葉では簡単だが、結構難しいことだ。それは大人になればなるほど難しい。いろんな制約がある中で、それを見つけ、到達点まで自分を引き上げなければならないわけで、まさに「言うはやすし、行うは難し」。特に、それが生業として成立しなければいけないわけで、仙人のように雲を食べて生きてはいけない。

じゃ、どうすればいいの?ということになる。その道を見つけ、究めるための方策は?

現代は情報過多だ。いい情報もあれば、悪い情報も簡単に見つけられる。身につける術として、簡単に習得できるものは簡単に忘れるという原則は古今東西変わらない大原則ではないだろうか。知識はインターネットを開いていると、項目は簡単に教えてくれるけれど、内容を深くは教えてはくれないし、自分のバックボーンを刺激するものはなかなか見つけられないだろう。知識は、他人が学んだものを自分が自分なりに吸収し続けることだ。他人が経験した多くの知恵は、所詮他人のもので自分のものではない。自分で咀嚼し、自分で吸収しない限り自分の中にしみ込んではいかない。多くの体験を自分のものにする。自分の中で疑似体験することで、少しでも自分のものとして咀嚼し続ける。それの一番の近道は読書かもしれない。読書なら、多くの作者の感覚を疑似体験できる可能性は高い。そして、自分を磨く。磨き続けることで少しでも自分の見聞が広くなる可能性は高い。自我が確立していないときには、その吸収力は強烈だ。若い感覚は鋭く、時には恐ろしいほど前衛的だ。

「若者を大志を抱け」って、クラーク先生が言っていた。若者のエネルギーは日本の大いなる財産だ。

nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

Facebook コメント