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#プーチン 手紙 [新聞記事]

2022.4.22

こんばんは。

あれから多くの時間が過ぎ去った。非日常であるはずの今が、今や日常になりつつある。その日常が受け入れやすい現実ならば何も問題はないかもしれないが、受け入れ難い非日常である現実は、当事者としてはとても受け入れるわけにはいかない。況んや、自分に非があるのならば納得もするが、全く身に覚えのない事象に対し、力によって屈伏させようとするその姿勢は、誰もが否定的にならざるを得ない。

地球は動いている。数多の惑星がある中で奇跡とも言える事柄の連続で今のこの地球がある。これは地球上にいる人間の誰の力によるものでもない。しかし、地球上に住む我々は日々そんなことは忘れ去り、あたかも自分がこの地球を支配しているがごとく、無意識に、無遠慮に、判断能力のない幼児のように傍若無人に振る舞い続けてきた。どうあがいても、地球があと10年で60年前に戻るとはとても思えない。確かに当時は、地球の不安定さを嘆く御仁も誰一人としていなかったし、当時から見ての今の未来が、愚かな地球人の振る舞いの蓄積によるもの--俺一人がやったって変わらねえよ--という無鉄砲な考えの蓄積が50年経っての結果であることに、ようやく何人かの地球人か気がつき、それじゃいけないよって唱え始めたのはご存じのとおり。

地球には多くの国が存在する。その数は195カ国。国として承認するかしないか、いろいろな基準があることはおぼろげながら分かるが、およそ190何カ国ということらしい。

195も国があれば、姿も、言葉も、習慣も、宗教も皆皆違うことは十分に理解できる。もっと小さい範囲で考えても、その違いに気がつかされる。それは隣家と自分の家とでは、言語こそ同じであっても、好みも、主義主張も、職種も、家族構成も、収入だって違うわけで、同じ民族であっても、お互い分かりあえるかというと、それは難しい。お隣はたった一、二m、せいぜい離れていても10m隔てられているだけでもお互いに分かり合えるかというと、それはなかなか難しい。

地球が病んでしまった以上、どこの国の人?ナニジン?なんていう隔たりは意味がなく、地球人としての振る舞いができるかできないかで、ようやくそのスタートに立てる気がする。つまり、今現在、我々はそのスタート地点にすら立っていない。

そんな病み始めた地球で全世界の人間を震撼させる出来事を日々構築している御仁がいる。彼をどのように説き伏せればいいのか。あいにく私は拳銃を持ったこともないし、打ったこともない。徴兵に駆り出されたこともないから、そちらのほうはからっきし素人だ。

彼は殺しのプロなんだろうから、その手のことに少しの躊躇もないのだろう。毒物をもって政敵者の殺害などは朝飯前と聞く。

そんな彼の方針を転換させる方法はないものか。英雄はプライドが高く、孤独、我欲、豪腕、即断、自信家・・・。奥さんに止めてもらう手もあったが、たしか奥さんとは離婚したはず。我等日本人としてできることは何なのか。

そうだ。手紙を書こう。今どきはSNSだろうからして、SNSで発信すればいい。宛て名はウラジミール・プーチン。https://www.mofa.go.jp/mofaj/area/russia/cv/r_putin.html

生年月日を見たら、私と1つしか違わない。翻訳機能もgoogleにはある。明日から1通ずつ書こう。ひょっとして、何千通のうちの1通ぐらいは目に触れるかもしれない。怒らせる手紙は逆効果だろうから、褒めそやす、英雄の引き際なんぞを解けばいいかもしれない。振り上げた拳の下ろし方を教えればいいのかもしれない。我々日本人は、これならばできる、これシカできないではなく、これだからこそ、できる・・・・と思いたい。

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