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境界線 [生活]

2021.3.3

こんばんは。

3月3日桃の節句。今年も昨年に続けて地味になりそうな気配がありあり。さっき菅さんが緊急事態宣言の延長を2週間程度にするかもしれないと言っていた。まあ、今となっては2週間に何の意味もないことが国民誰もが分かっていて、きっと2週間後も何も変わらないまま、なし崩し的に解除してしまうんだろうと考えている人は多いんだろうと思う。つまり、経済はこれ以上止められないぜ、とばかりに政策放棄に等しい政策?を堂々とおやりになりそうだ。これで五輪はアウト!興行収入はゼロ!設備投資の回収は長いスパンをかけて行うこととなる。ここに来て頼りのワクチンも頼りにならず、政府の政策は「気持ちを緩めず頑張る」「慎重に対処」「冷静を行動を」「自粛をお願いする」と気持ちの問題を強調するばかりで、一向に科学的見地での判断をしない。今の場合だとPCR検査の体制整備を一向にやろうとしない。外国から見ても日本の検査体制、医療体制は、そんなに誇れるものではないと見透かされているようで、先日テニスの国際大会をやったオーストラリアでも、日本の検査体制、医療整備体制には大きな甘い点があると言っていたし、それは当たらずといえども遠からずであろう。

今となっては、我々国民はじっと罹患しないで時を過ぎるのを待つしかない。

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10年前。

・・・・・その境界線は目に見えるものではなかった。白い白線が道路を横切って引かれているわけでもないし、バリケードが張られているわけでもない。ガードマンが検問をしているわけでもないし、鉄条網が張られているわけでもない。ただ、風が流れているだけだった。100メートルほど離れた家の窓には白いレースのカーテンがその風で舞っていた。人の影はなく、少しかしいだその家の窓が開いているのがわかるだけだった。

片側一車線のその道は、ずっとまっすぐ海に向かっていた。家はだんだんと少なくなっていった。初めは家々が連なっていたけれど、それは10メートル、30メートル、100メートルと間隔は開いていった。そういえば、さっきのレースの家あたりから音が途絶えていたことに気がついた。音と言えば、私たちの車のエンジン音だけ。目の前の光景はまるでスローモーションのようにゆっくりと見えていた。初めは私たちの車がゆっくりと動いているからなのかと思ったが、助手席にいた息子も同様にゆっくりと動いているのか、止まっているように見えた。よく見ると彼もその光景に体が釘付けにされていた。

私たちのカーナビは市役所をを目指していた。市役所はあと3キロ先だと記されていた。あと2.5キロ、あと2キロ、あと1.5キロ、あと1キロ・・・500メートル、400メートル、200メートル・・・・「目的地周辺に到着しました」とカーナビは叫んでいた。

ここに市役所があったんだ・・・・。

「何もないよ」彼は無愛想に叫んだ。

私たちは車を下りた。そこは道路以外、何もなかった。残っているのは、玄関だと思しきコンクリートで固めた2畳ほど場所が道路に接し、あちらにもこちらにも点在してあった。

11年3.11、私たちの脳裏に残る東日本大震災の記憶だ。町が丸ごとなくなっていた。あの衝撃は、今も鮮明に残っている。

あれから10年、まだ何も終わってはいない。私たち日本人にやるべきことはあまりに多く残ったままだ。


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