SSブログ

藤井聡太君と自分の人生を語ってみた [新卒・転職]

2020.9.22

こんにちは・・・・ではなく、こんばんはになりつつある時間帯となった。

愚息二家族は、昼頃キャンプ地を後にしたようだ。ラインで孫5人の楽しそうなコメントが流れてきた。ニュースでは同じキャンプ地ではなかったが1000張近いテントが張られ、トイレは長蛇の列になっているとあった。あんなに並んでいるのは大体女性陣。男性は速いが、女性は時間がかかるからね。どういうわけなんだか、私にはよくわからない。コンサートのときも大体同じ現象があった。私が女性だったら、とうにお漏らしをしているところだ。そういう意味では女性でなくてよかったとつくづく思う。「小」ならまだいいが、「大」ならどうするんだろう???絶対我慢できない。

----・----・----

そんな下っ腹が痛くような話はともかくとして、藤井二冠のすごさはどこにあるのかと同業者、師匠、ライバル、解説者がインタビューを受けていて大変興味深くおもしろかった。

詳細は省くとして、簡単に言うと研究熱心、探究心が旺盛、一日のうち3時間ぐらい考えているところを、このコロナ禍で、その考察の時間は7時間以上となったとあった。

下世話の話で申し訳ないが、私の仕事の場合、パソコンに向かって一日7時間なんぞは何回かはあったが、一つのことで何万通り? 何億通りある盤上の行方を考え続けることは私のような凡人にはできるはずもなく、普通プロの棋士は25手先まで読むけれど、彼の場合は、その先の27手か28手まで読むとあった。数字は正確ではないが、つまりライバルよりも先を読んでいたことが勝利へと結びついたということのようだった。

しかし、それほど一つのことに集中できることがすばらしい。

「集中」、自分の人生の中に、その「集中」はどのくらいあったんだろうか。アリを見ても、ウシガエルを見ても、すべてその一瞬で事は終わっていた。それ以上、異常とも思える興味でもって集中力が続いた試しはなかった。学校に入り、部活に入り部活動をしても、それほどのめり込むこともなかった。趣味のギターもそこそこは弾け、大学の文化祭では500人も入ったであろう講堂で、ソロで歌なんぞを歌ったりしたこと(今、考えるとゾッとするね)もあったが、それ以上のめり込むことはなかった。

唯一、社会に出て稼ぐためにアイテムなるものを取得しようと学校に通って、生まれて初めて四六時中、その資格取得に向けて勉強はした。卒業式も出られなかった。しかし、前にも後にも、それだけだ。

客観的に見て、今自分がこうして生きていられるのも、そのときの資格取得と実践域到達が可能だったから。

自慢話に聞こえたら、それは申し訳ないが全く自慢話ではない。しかしながら、その唯一無二のアイテム取得が、結果、自分の人生においては大きな武器となった。もちろん、時代的なラッキーも多々あったが、そのアイテムの取得がなければ、家のローンも支払えなくなり、愚息の大学の費用なんぞは全く出せなくなっており、彼らはキャンプどころの騒ぎではないことだけは確かだ。

nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

Facebook コメント