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冷静に判断すれば・・・すっぱりあきらめきれるかも [新聞記事]

2020.8.11

こんばんは。

今日、愚息が来た。嫁は実家に子どもと一緒に帰省していて、2泊して我が家に寄った。孫がいるとできないこともあり、今日は単身で来てほしいと頼んでおいた。少々片づけを頼もうと思ったが、この猛暑では日中は動けず、墓参りとうまいそば屋で終了となった。

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私は愚息と話をするときは、結構真面目な話--特に政治とか、企業のコンプライアンスの話をする。彼らにとっては七面倒くさい親だと思うが、下らぬ話を長々としていても、そこに残像がないような気がして、年齢的に二周りも違う若者(愚息)に強いて堅苦しい話をするようにしている。

今回はやはり、今、旬?であるところのコロナに対する政府(政治)の無作為の話になった。

一通り話が進んだところで、いつものごとく結論が出るわけではないのだが、私は無意識にこの若者に絶望を味わうことのないように、できるだけ希望のある話にもっていくことにしている。今回も同じように話をしていたのだが、ふとこんな考えが芽生えてしまった。

有史以来、地球上で誕生した生物たちは、その時々の環境に適合しつつ、その環境に対応できたものだけが、この地球上に残ってきた。それは何十万、何百万という種の数だった?かもしれないが、地球上での種の選別はいつも起こっていたはずだ。人間の歴史は、人間が決めた時間という尺度からいうと確かに遠大な話であって、目まいを覚えるくらい長い時間の連続だ。多くの生物は弱肉強食の生存競争より、気候変動によるトリアージにより、残れるものと消えゆくものとに選別されてきた歴史がある。

人間の不遜なところは、いつもそのトリアージに勝つと考えているところだ。しかし、それは人間の尺度であって、宇宙、地球の尺度からすれば、多分、瞬き一つなんだろう。高名な学者もそれは理解しているとおっしゃるが、ひょっとしたらという気持ちがある。ひょっとしたら人間の知識が、工夫がこの難局を乗り切るに違いないと考え続ける。今までもそうであったとおっしゃる。果たして、そうなのだろうか。ひょっとしたら、今まで一度も乗り越えてきていなかった?????のではないかと思うことが多い。

きっと地球は周期的にトリアージをしているのだと思うことが多々ある。その時代を謳歌してきた「種」は、いつも自分たちを抑制できなかった。それは知恵があろうとなかろうと同じだ。謳歌し過ぎたところで必ずしっぺ返しをする。リセットという言葉が適当かどうかはわからないが大変動が起こる。その変動により生物は消え、地球は残る。

今日は気温が40度近くに迫り、40度超えをしたところもあった。クーラーがクーラーの役目を果たせるのは、果たしていつまでなんだろうか。その役目を果たせなくなったとき、人類の多くが、そのトリアージの洗礼を受けることになるという筋書き。不正解であってほしいけど、見通しは甘くない。

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