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議事録の話 [新聞記事]

2020.6.10

こんばんは。

先ほど、愚息の家から帰ってきた。非常宣言が解除され、どこもかしこも全開になりつつある。そこここに感染者がいるのであろうが、もう元に戻る可能性は少ない----と言ってもはばからないほど感染者の数が少なければいい。体制整備をしようとしているらしいが、いつ完全にウイルスに迎え撃つことができるようになるのか。ただ祈るのみ。

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専門家委員会の議事録をつくっていない。概要はあるが個人名を出す予定はない。速記録はあるが、議事録はつくらない。大体、専門家委員会を取り仕切っている側の言い分だ。

国家を揺るがすような内容であっても、それは10年・・20年・・40年・・・100年を経過すれば、当事者も他界をしていたり、ご存命であっても既に現役を退いているとか、責任を伴う組織の座には就いていない場合が多いので、既にその影響力はない。今、我々の前に天皇とマッカーサーが密約を交わしていたという文書が出たとしても、「それはけしからん」とか、「訴えてやる」と言う人はいない。大方の方々は「そういうこともあったんだろうね」とか、「予想どおりだね」とか、「みんな苦渋の選択だったんだ」と思う方々が多いはず。

【議事録をつくる意味】

週刊誌のようなゴシップ的に事件を扱うことではなく、議事録を残す本当の意味というのは、再び同じようなことが起こった場合、100年前のあのときは、どういう判断で、どういう施策を施し、幾らの規模で、誰がどのように陣頭指揮を執り行っていたのかという政策のバイブルというか、同じ過ちを起こさないがための道しるべを示すために残すものだ。

これはアメリカの例だが、アメリカは何十年と期限を決めて、それが過ぎたら、その公文書を黒塗りなしで公開すると決められている。だから、その予防策、防波堤をつくる準備ができるわけだ。今回のコロナであっても、アメリカは膨大な資料を記述し、管理し続けていることだろう。それは、この先の何年後かに同じようなことが起こったとき、その対策を前々から学習し、同じ轍を踏まないようにしようと考えているからにほかならない。

このままでいくと、今回のコロナ騒動でも、日本はどのような政策をし、法律をつくり、防疫をし、感染者数を減らすことに成功(失敗)したのかがわかる資料は乏しいものとなる。その資料をしっかりと留めておけば、どのような防疫センターをつくればいいのか、病床はどういう工夫をすればいいのかがわかるはず。時が過ぎ、時間が経ち、人間が変われば、当然、その必要性に鈍感となる。なんで1000床もこんなところに予備を置いておく必要があるのか。無駄だと将来の我々の子孫は思うかもしれない。その必要性は、こういう理由で必要であったということを今、ここに示しておかないと、また喉元過ぎれば的な馬鹿な政権の誕生の繰り返しとなる。

ちなみに、速記録とは、発言者の言い方をそのままに記載する。だから、ダラダラ発言する方は、ダラダラとした発言となるし、簡潔明瞭に言う方は、簡潔明瞭な発言となる。訛りのある発言の方は標準語に直す(ことが多い)。それはあくまでも発言内容が明瞭化するためだ。そこには何の斟酌も忖度も働かない。全くの第三者が生業として受託しているからだ。

事務局がそれぞれの発言者に速記録を回覧し、加筆訂正を委ね最終稿となる。それでも、国の意に沿わない場合は、事務局が手を入れるということもあるかもしれない(そこは介入できる範囲ではないので不透明)。しかし、それは少なかったはず。

テレビで会議の様子が映し出される映像をご覧になった方もあるかと思うが、床に黒いコードが何本も走っていれば、速記録は必ずとられている。それがなければ、まず速記録は取られていない。そう思っていただければ間違いはない。

会議の真実は速記録にあると思って間違いない。

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