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総理の所作と矜持 [新聞記事]

2020.3.1

こんばんは。

学校の休校。やはり非常にまずい施策を正々堂々と言い放ってしまった。

今までの経過を見ていると「あのときは英断だったね」と言われる可能性は極めて低い・・・・・・・・・ような気がするね。


これから書く話は自慢話では全くない。ただ、あのときの安倍さんを知っているものだから、「やはりね」と思ってしまっていることを紹介したい。

時は小泉内閣が退陣し、安倍内閣に代わったときのこと。彼は体調が悪かったらしいが、それを差し引いても、彼が内閣総理大臣になってからというもの、小泉さん、竹中さん(諮問会議で決めたこと)の言っていたことを、その先に駒を進めなければいけない人間であったはずだし、小泉純一郎さんも、そうなってほしいと願って彼にバトンを委ねたんだと思う。しかし、彼はなぜか沈黙を通していた。私は愚鈍だから詳細は忘れたが、たしかあの発言は尾辻(厚労大臣) さんだったと思う。彼がある問題(小泉内閣のときに出されていた宿題だったと思う)をいとも簡単に反故にした。彼はきっぱりこんなニュアンスでこう言った。「私はできません」と。「しません」だったかもしれない。そのとき一瞬の沈黙が部屋に流れた。私は「えっ」と思い尾辻さんと安倍さんの顔を見比べた。尾辻さんは手元の資料に目を落としながら、安倍さんはテーブル越しに見える目の前の壁をじっと見ているように見えた。その直後の発言は安倍さんであるべきであり、あのテーブルに座っていた者は、誰もがそう思って彼の発言を待っていた。しかし、彼の唇からは何も声が発せられることはなかった。尾辻さんの要求は通った。また、小泉内閣の指針が一つ崩れてなくなっていった。そのように、すべての省庁が安倍さんに対して刃を向け、そしてすべてが許容され、小泉内閣の決定事項がすべて反故されていったと言っても決して言い過ぎではないと思っている。

これ以上のことは、新聞での仄聞であり、一国の総理の人となりは、やはり、顔と顔を突き合わせていなければ、わかり得ないものだから言うつもりはないが、彼は私たち国民となんら変わりはないということだと思う。つまり、強い者には弱く、弱い者には強く、そんな喧嘩下手な、卑屈な人間なんだということ。最近は総理としての職位での振る舞いが多くなり、大いに迷わされる方も多くいるようだが、決して、それに迷わされてはいけない。今回の端緒は、その最もいい材料になると思う。各々がた、よ~~くこの後の総理としての矜持と所作を観察していっていただきたいと思う。

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