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お荷物にならない生き方と死に方 [生活]

2020.2.18

こんばんは。今、運悪く以前住んでいた家と母親が住んでいる家の鍵が壊れた。

ほぼ同時に壊れるというのも変な気がするけど壊れた。何か意味がありそうだけれど壊れたことは確かだ。両方とも突然ではなく、徐々に徐々に不具合があったがKURE555とか、そんな類の油を使ったり、分解掃除をしたりしてお茶を濁していたがとうとう壊れた。1つは鍵を差し込み回すタイプ。もう一つはキーレスドアだ。最終的にはシリンダーそのものを取り替えることになるのだと思うが、素人にはやはり専門外でわからない。もう少し勉強すればいいのだろうが、そんな時間もなかなかとれないし、それでより壊すのがいつもパターンであることはわかっているので、それ以上は追求しないことにした。やはり玄関だからね。事の始まりはいつも玄関から。運も不運もすべて玄関から始まるというわけで、ここでヘマをやったら、お後はよろしくないことになるから専門家にお任せすることにした。

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年をとると人生を考える時間が多くなる・・・・・ような気がする。吉田卓郎の「人生を語らず~」という歌があったが、人生を語りたくなったということは、やはり年をとったということか。

「生き方」と「死に方」という言葉。今初めて気がついたが「生き方」は字のバランスもいいし、前向きでいい。それに比べて「死に方」という言葉は見た目、字のバランスがよろしくないね。「死」と「に」と「方」が言葉であって言葉でない気がする。「生」と「き」と「方」は立派な言葉だ。馬鹿でアリンス。こんなことを言って(打って)いること自体異常だね。

年をとると自分でやれることが少なくなる。車の運転もしかり、自転車もしかり、歩くこともしかり、話すこともしかり、笑うこともしかり、食べることもしかり、泣くこともしかり、そして排泄もだ。そこで他人の力を借りる。借りたくない力を借りることになる。当然、何でできないかなどと理解できない自分よりも肉体的に若い若者に介護される。不自由な動作が理解を生めばいいが、不自由な動作は理解を生まないときが多い。そこは辛い葛藤が続く。そんな自分が自分でなくなるような段階に入ることは、多分100人中100人が望んでいることではない。しかし現実問題、その望んでいない状況に置かれている高齢者は多い。果たして、自分はどちらになるのか。これはあなたも、あなたも、そうして一番若いあなたも決して逃れられない道なのだ・・・・と言っても若い皆さんには誰一人として他人事なのだけれど、決してそれは悪いことではない。だからこそ、今を生きていける。傍若無人に生きていける。


その最期の一歩手前で一人冬山登山がしたい。一歩手前で誰も知らない家で過ごしていたい。それがお荷物にならない生き方の術。安楽死が認められていない社会においては、そういう選択肢もあっても一向に罪はない。


人生を語らずにね。

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