追悼式中止の意味 [新聞記事]
2020.1.22
こんにちは。
今日こんな記事を皆さんも読んだと思う。
「東日本大震災追悼式中止」官房長官が言った言葉だ。
「えっ?」と思ってしまう方もいたのではないか。
それは・・・・・。
お金の問題ですか。
場所の問題ですか。
10年経ったからもういいんじゃないの・・ということですか。
人間の記憶はただですら時間とともに消えていくもの。心の傷は時間が一番の良薬であることは認めます。しかし、消し去ってはいけない記憶も多くあるはず。それは自分に不都合なことでも、体制に不都合なことでも決して消え去ってはいけない。消え去っては人間の進歩は露程もなくなってしまう。
やはり原子力行政が絡みますか。
原子力発電は国を挙げて行ってきた事業だからですか。
炉心溶融の恐怖は忘れてしまったのですか。
福島の核燃料棒はどうなっているんですか。
六ヶ所村の再稼働は断念なすったんではないですか。
燃料棒は地底深くに埋めておしまいになるつもりですか。
その場所はどこにあるのですか。
そうそう、汚染水の問題は? タンクはいつまでもつんですか。
プールでおしっこをするみたいに汚染水を海に流して希釈ですか。
火力発電はCO2の発生が高いからですか。
あのとき、なぜ自然エネルギー発電に舵をお切りにならなったのですか。
追悼式をおやりにならないことは、そんな記憶を後世の若者に、これから生まれてくる若者に伝えないようにしようという姿勢にほかならないのではないですか。
臭いものに蓋ですか。
このとんでもない決定を国民は黙視、軽視、無視してはいけない。とんでもない決定を、官房長官の無表情の中から読み解き、できることなら撤回させなければいけない・・・・そう私は思います。
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