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もはや信じるに足る相手ではない [新聞記事]

2019.11.11

こんばんは。

風邪が今一つよくなっていない。大方は治りつつあるが、若干微熱が出ている。咳も出始めた。喉もヒリヒリする。でも、何とか薬で抑えて完治したい。

今日も余り動きはしなかったのだが、日中調子がよかったのでバラの枝を裁いていたのだが、元気な体はいいなとつくづく思った。たかが風邪なんだけれど、思うように動く体のどんなにか心地よいことか。久々に健康の体のありがたさがわかった気がした。時間を大切に使おう。


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いじめの問題が後を絶たない。いじめの発見の遅れ、隠蔽は一体どこに原因があるのだろうか。原因は簡単であった。褒章制度だ。

一定の期間、教育者として勤めた校長に対しては褒章が授与される。褒章の対象者の学校において「いじめ」があった場合、当然褒章は取り消されるらしい。「らしい」と書いたのは、私にはその真偽はわからないから「らしい」と書いた。まあ、一般常識下において、「いじめ」があり、自殺者なり、何なり問題が出た校長のところに勲章はあげられないだろうと誰もが思う。以前は、それに恩給が付いたが、今は多分、恩給はない。(恩給は年金と同じ。厚生年金のほかに恩給が付く)

人情として、学校で「いじめ」があったとしても、校長=褒章という慣例が先生方に認識されていれば、当然、それを申し出る際に、校長の顔色を見ることが必然になる。


教頭「3年生でいじめがあったらしいね。君知ってる?」

B「はい。僕の隣のクラスですから、山田先生から相談をうけています。」

教頭「山田君はどうするって言っているの」

B「早めに手を打ちたいと言っていました」

教頭「手を打って、どうしたいんだろう」

B「詳しくはわかりませんが、生徒は登校拒否になって引きこもっているし、家庭訪問して話を聞いているみたいです」

教頭「本人の問題じゃないの。学校嫌いの自閉症とか、その・・・・人格的に問題があるとか」

B「いや、それは違います。僕もよく知っている生徒で、2年生のときは数学、学年でトップ3に入っていまして、サッカーもやって文武両道です」

教頭「じゃ、家庭に問題があったんじゃないの。例えば、片親だとか、家庭暴力とか・・・」

B「そんな話は聞いていませんし、あいつ快活でいい子ですよ」

教頭「ところで、校長幾つか知ってる?」

B「えっ? 知りませんが、もうそろそろ定年かとは思いますが・・・」

教頭「そうなんだよ。先生、わかるだろう。あと1年で定年退職。ここで問題を起こしちゃ、校長に申し訳が立たない。君、そうは思わない?」

B「はぁ~。でも、生徒のことを考えるともう時間がないという気がします」

教頭「生徒も時間がないかもしれないが、校長だって時間がないんだ。その後は、自分が・・・・・ね。大人の事情っていうことだよ、わかってよ」

こんな会話が交わされているとは思いたくはないが、何十年もの間の「いじめ」の歯がゆさを見ると、まんざら、私だけの戯れ言ではない。褒章制度は政だ。教職員への褒章制度をやめない限り、保護者が唖然とするような、学校の先生に不信感を抱くような「いじめ」は決してなくならない。「不登校の定義が年間30日以上欠席しないと、その定義から外れるから、その生徒は不登校には該当しない」という馬鹿げたことを平然と言う教職員(文科省)がなくならない限り、決して「いじめ」はなくならない。生き馬の目を抜くような、心地よい政治家の奮闘をただただ願うばかりだ。

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