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ほっと一息している違いない [新卒・転職]

2019.9.21

こんばんは。

今日は久々に本業の仕事を朝からやった。大体、グウタラな私のエネルギーは午前中には切れる。

午後は大体眠くなる。パソコンで打ち込みをやっていると結構「舟をこぐ」ことが多い。一応、言っておくが、これは若いころからだ。年をとったという訳ではない・・・・・・・・・・・・・・・と思っている。


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普通、サービス業以外の方々は今日から三連休のはず。この三連休に呼び出しを食らって出社しなければならない御仁はよほど重要なポストなのか、自分しかこのポストにはいないのか、自分が社長兼掃除婦なのか。まあ、事情はどうあれ、出勤しなければならない方は日曜も平日もない。

自分も現役のころはこの手の人間であった。だから育休などしたこともないし、イクメンなどという言葉も意味もよくわからない。しかし、家庭内の仕事に対する理解は十二分にあったつもりだ。そこは昭和一桁の人間とは違い、家事は女、仕事を男などとは露ほども思っていない。つまり、現役のころは家事がする暇がなかっただけだ。

人は他人に認められてナンボの人生を歩むわけで、認められないことは自分の存在がないに等しいということになる。それは男として、社会人として、人間として自分をも許せないし、認めてくれない上司も許せない?というか、なぜ?なんで?という気持ちが沸いてくる。

何が自分に足りないのか。自分は嫌われているのだろうか。どこをどう変えればほかの人間と同等の扱いを受け、同等の評価をいただけるのだろうかと考える。それはまともに仕事をしていればしているだけ大きくなって自分に帰ってくる。真面目な人間ほど倍になって帰ってくる。

新人さんは大方、そのような思考回路で仕事をしているわけで、その疑問を上司に、研修担当者に聞ける環境があるならば、それは十分に対処できるし、吸収・消化していくことはできる。しかしながら、そういうことをしたがらない上司、研修担当者が時としている。つまり、新人嫌いの上司・研修担当者だ。そういう上司は大体愛想が悪い。自分が挨拶をしても大概その挨拶は、その上司を通り抜け、部屋の壁に虚しく響いていく。しかし、その上司は同僚、上司には頗る機嫌よく挨拶をする。自分に見せつけているがのごとく愛嬌よくだ。

しかし、仕事は覚えなければいけない。自分がその仕事がわからないとき、ほかの上司に「えっ、これ知らないの?」と言われる。私「はい。教えていただければ助かります」、上司「これはね、こうして、ああして、そうするとこうなるわけで、本当に教えられていないの?」とくる。私「はあ、多分」。私も新人とは言え、教わっていないと言うことは、自分の担当上司・研修担当者の立場が悪くなる?というのは何となくわかるので、そこははっきり答えられないので、しどろもどろになる。

真面目な人間であれば、ノートをとったり、今だったらICで録音を録ったりして復習をしながら仕事を覚える。それは常識の範疇だ。しかし、担当上司・研修担当者も人間。抜けもあれば、記憶違いもある。しかし、そこをはっきりさせなければならない必要は一向にないわけで、裁判でもないわけだから、それの判断によって一生涯、自分が不利益を被るわけでもない。

大切なことは、担当上司・研修担当者に教えを請うているときも、別の部署で自分が仕事をするときも、知っていることは近くにいる上司に確認をしてからやる。知らないことは近くにいる上司にちょっとわからないのだけれどと一言言って教えを請う。それを続けると、最初は笑われたり、馬鹿にされたり、不審がられたりするけれど、馬耳東風でやり続けることで、自分に対する信認がだんだんと生まれてくるものだ。もし、あなたが一を知って百を知るような逸材であれば、何ら問題はないのだが、平々凡々たる私のような鈍臭い人間であったらば、そこは平身低頭教えを請い続けなければいけない。

職場において信認をいただけない人間は、大体知らないことを知っていると言い、間違ったやり方を平気でやってしまい、そしてそれを謝らないことだ。そういう人種はたまにいる。出会うことも多々あったことを思い出す。そういう方は大体直ぐに退出(退社)してしまう方たちだ。

「実るほど頭を垂れる稲穂かな」という諺があるけれど、実ってもいない自分なら、それは益々頭を垂れて人に聞くしかないだろう。

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