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セミも同じだ [生活]

2019.8.8


こんばんは。

今日は平日なのに近くで花火大会があった。この年になるとまず花火大会の会場まで行くことはない。

以前、母が健在だったころ、花火大会に連れ出していたことを思い出す。自分の出無精のことを考えると、本人は喜んでいたのだろうかとふと思う。行き帰りは当然かなりの人だかり、車も通行止めになるし、車で近くまで行けるわけもない。結構歩かせてしまったことを思い出した。本人は久々の外出で喜んでいたように見えたが、子どもに対する遠慮ということもあるしね。最後まで、その気持ちはわからずじまいに終わった。

花火は思いがけず始まり、あっけなく終わる。どこか人間の生きざまと似たところがある。似たところがあるからこそ、楽しいのに何か悲しい。吉田拓郎の歌に「祭りの後の寂しさは・・・」というフレーズがあったが、花火が終わったときは、その歌が口を突く。1年365日、そのフレーズが出たためしがないのに、花火の夜には不思議と思い出す。その歌のタイトルは「祭りの後」???だったような、タイトルさえ思い出さないのに。


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そうそうセミの話をしようと思っていたんだ。

朝方、今日はランニングをしてきた。いつもの公園の水道でうがいをし、タオルに水を染み込ませ、頭に水をかけ、顔を洗い・・・・といういつもの手順でやっていると、ふと地面の穴が目に入った。

DSC_2004.JPG

これはまだ小さいけど、

我が家の庭にも幾つも穴が開いている。


一昔前の我々は、それが何であるかは当然のごとく知っているが、果たして今の子どもは知っているのだろうか。








DSC_2006.JPGそうですね。その正体は誰あろう、セミがサナギから成虫になって、飛び立っていった後の穴ですね。

ここいら界隈は油蝉ばかりだろうか。

油蝉はジィージィージィー?

ミーン・ミン・ミン・ミン・ミン・ミーンは何と言う--そうそう、ヒグラシだ。あのもの悲しい鳴き方は好きだ。外務省の前の植え込みあたりは今ごろはすごい数が鳴いているに違いない。

それから、頭はブルーで、羽は透明は何と言っただろうか。

そんなことを考えていたら、セミはたしか地中で6年ぐらいを過ごし、そして1週間ぐらい世の中に出てきて、あっという間に死んでしまうとか。ここ二、三日、この辺はアチコチにセミの死骸が落ちいている。きっと夏の第一陣に違いない。

人間と同じで、お互い、時を無駄にしてはいけないね。

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