年頭所感 [生活]
2019.1.14
こんにちは。天気は快晴。雲一つない。
「時」と同じで「空」も平等に広がっている。どう時を過ごし、どう生きていくのか。
自由過ぎることはよいことなのか?悪いことなのか?
生まれた国が独裁国、生まれた家も貧しく、水汲みが自分の生活の始まりだったら「自由過ぎる・・・」なんてことは言っていられなくなる。バケツ1杯の水汲みで⇒顔を洗い⇒口をすすぎ⇒芋を洗い⇒野菜を洗う。マッチ1本10円は当たり前。真っ黒になった水は自分の排泄物を処理するために使う。そんな使い方を現代人は知らない。もちろん、その水は濾過されているわけもなく、池の水の上澄みだから白濁している。震災にでも遭遇しない限り、水のありがたさはわからないし、不遇の国に生まれない限り、自分の自由さを苦痛だと思うことすらないだろう。
確かに生きていくことは大変だ。人それぞれに努力し、社会に交わろうとしても、それがうまくいかなかったら気持ちは腐り、外に出るのも嫌になっていくかもしれない。
しかし、部屋はエアコンが適温を保ち、蛇口を開けば、そのまま飲める水が出て、トイレに行けば肛門を暖かく・きれいな水が洗ってくれる環境にいる人の努力の濃さ-----暖房もなく、お湯も出ず、車も携帯も持てず、アルバイト代のほとんどは家賃と食費で消えていく人間が、やっとのこと社会の入り口にたどり着いた努力の濃さ。
どちら粘り強く、エネルギーがあるのかは誰の目にも明らかだろう。
自分が緩い環境にいるなら、きつい環境に身を置いてから自分を試してみる。そういうことも必要かもしれない。厳しい環境が容易に想像がつくのなら、そんな必要もないかもしれないが、想像すらできない、しようとしない人間が自分だったら、厳しい環境に身を置くことも自分の役に立つのではないか。それが人生の最終の正解であるはずもないが、少しだけ、自分の進むべき道が開けてくるのではないかと思う。
誰に言うわけでもないが、自分の今後の生き方を問うことも含め、ここに書き記しておこう。
今年も短く、あっという間の365日が始まってしまった。
いや、実質あと351日だ。若者に負けずに時を大事にして過ごそう。
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