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吐く [母のこと]

2018.12.16


こんにちは。寒いですね。


雲は雪雲。小雨が降ってきているが、いずれ雪になりそうな寒さだ。

相変わらず、母の介護と家の整理と移動に明け暮れる。

昨日、家人が実家の叔母が具合が悪く、これが最期かもしれないということで帰省した。

途中、ゴミの集積場に見たことがある人が道路上に立ってipadをいじっていた。

家人を送った後、ゴミ出しのため集積場に寄ったところ、その彼はまだそこにいた。

よくよく見ると拙宅の外溝を担当している方だった。これは奇遇とばかり、挨拶を交わす。

彼は現場写真を撮り、測量をしていた。

私「おはようございます。何ですか、こんなところで・・・」

彼「これはまだオフレコなんですが、ここに家が建つです。まだ未確定ですが・・・」

と言って、彼はそこの図面を見せてくれた。合計5~6軒だろうか。そのごみ集積場の空き地に家が建つこととなったようだ。

恐らく、これは決定事項だろう。


ゴミ集積場は道路脇にあるが、その真ん前に家が建つこととなる。当然ながら、ゴミ集積場は邪魔になるし、移動しなければならなくなる。果たしてどこに移動させるべきなのか。

前回の町内会でも、ゴミの集積場の前の土地に家が建てられることとなったため移動することとなったが、みんな自分の家の前にそれを置くことは快くは思っておらず、なかなか決まらなかったことがあった。そんな思いを引越先でも経験しそうな状況になりつつあるようだ。


少々うんざりだ。


今、ゴミ集積場までは距離が結構ある。重いゴミのときは、何回か持ち替え、地面に下ろし運ばなければ耐えられないぐらいの距離であった。新しいゴミ集積場がそれよりも短くなれば助かるが、周りを見渡しても、それを受け入れてくれそうな家と空き地は全くと言っていいほどない・・・・・・・と思う。


この件は、まだ誰も知らないらしい。昨日、我々が話をしていたときに、道路を挟んで一人の男性がじっとこっちを見ていたので、自ずとだんだんとわかってくるとは思うが、町内全員が集まって話し合いをし、場所を決定するということになることは間違いない。そんな小さな民主主義がこの街にもある。民主主義は時として決められない民主主義と言われる。強者が「ここだ」と言われるままに決定されることは今はない。それがいい場合もあるし、悪い場合もある。ここは恐らく悪い方向に行く可能性が高い。


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昨日、ベット上で母の介護していたときのこと。スティックパンを半分とクリームチーズ、ポカリを飲み、大方食事が終わったときのこと。母が突然、顔を震わせ、眉間にシワを寄せ、苦しそうな顔をし始めた。

私「どうした?」

母「・・・・」

じっと彼女の顔を見て、一体何がしたいのかは直ぐにわかった。


私「いいよ、ここに吐きな」

口前にタオルを出した。洗面器を持ってくるにはちょっと時間がなかった。

私「気にしなくていいから、そのまま吐いて、吐いて・・・・・」

認知も入っているだろうし、寝たきりである母親。しかし、布団を汚してはいけないという思いと吐くことへの恐怖心はあるのだと思った。

何にもわからないわけではない。


今食べたものが全てタオルと掛け布団、毛布に散乱した。

母は元の顔に戻った。苦しみと恐怖は、もう彼女にはないようだった。

熱もないし、具合の悪そうな表情は見てとれない。


よかった。

いつもどおり、横に寝かしつけ、その変化に気がつかずに退室していたら、きっと母は器官に、その嘔吐物を詰まらせ次の世界に行っていたに違いなかったと思う。


先程、昼食介護に行ってきたが、母はいつもどおり、低位安定ながら食事をおいしそうに食べ、何事もなかったように生活を続けていた。


介護はいつも綱渡りだ。

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