ご報告 [生活]
2018.9.7
おはようございます。
昨日、大工はお休みをしていた。お茶出しの時間が余ったので30分ほど実家の整理をし、母の昼食の介護をし、愚息家に出発した。
実家の以前住んでいた家の整理は昨年終了したものの、現在住んでいる(20年居住)母の荷物整理、大した量ではないが、昔の人間だから、それなりにはある。例えば、布団は5組、和裁用の切れ端とか、毛糸とか・・・。昔はなんでもかんでもよくとっているから「切れ端」と簡単に言ってしまえば、それまでだが、ごみ袋にすれば2~3個は出てくるし、毛糸もごみ袋1つは十分にある。6畳いっぱいの荷物の整理は、それなりにやりがいがある。
クリーンセンターに運び込めば事足りるが、諸般の事情で家庭ごみとして出しているから、手間はそれなりにかかる。お恥ずかしい話だが布団は切り刻んで可燃ごみで出している次第だ。
お金か欲しいぜ。
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昨日はまたいろいろとあって、生きていくことは大変だし、目標を見失い、大きくブレてしまいそうな自分を見ていると再び焦りを感じるのみ。
諸事発生
1)孫がいじめられている現場を目撃。
これはちょっとセンセーショナルだった。昔もいじめはあったが、今の子どもは残酷だ。頭をたたきながら、それが段々と激しくなっていく。詳細はこうだ。
毎週木曜日、愚息の家の手伝いにいく。そのときは必ず孫の下校を見守ることにしている。学校から愚息家まで2キロ弱。道路一つ隔てて見守っていたり、反対側から見ていたり、孫も嫌がるのではないかと思い、極力、私の存在がわからないよう見守っている。昨日は植え込みに隠れ、彼らをやり過ごして見ていた。運悪くというか、運良くというか、通り過ぎたその先で連れの同級生が孫の黄色帽を上からげんこつで叩き始めた。
小学生の下校時は、みんなふざけながら歩いていることはよくあるのは承知しているし、逃げ回ったり、走り回ったり、ランドセルを放り投げたり、いろいろある。それは遊びのうちだ。
昨日はちょっと違っていた。
私は5メートルぐらい先で起こっていることをじっと見ていた。同級生は孫の頭をたたいていた。10回ほど叩いただろうか。孫は少しさがりながら、右側のフェンスにつかまった。
彼は叩くのをやめなかった。孫はじっと下を向いたまま叩かれていた。
タイムアップ!
私「お帰り!」
大きな声で孫に声をかけた。二人は離れた。二人の間に入り、私は孫の手をしっかりと握った。
私「さあ、帰ろう」
孫「今日、来るの忘れていたよ」
私「そうかい。さっき来たんだよ」
孫は何事もなかったように振る舞っていたが、いつも私に向けてくれる、はち切れんばかりの笑顔はなかった。
私は彼の目の前にしゃがみ込んだ。
私「嫌なことがあったら、嫌だとはっきり言うんだよ。黙っていちゃだめだ」
孫「・・・・」
私は気の毒に感じ、それ以上言うのはやめた。
すべてを了解した。
理由もなく嫌なことをされる。これが「いじめの発端」だと、このとき感じた。
私は自分がいじめられそうになったこともあり、学校帰りの子どもの様子を見るのが習慣となっている。ジャンケンでランドセルを持たされている子どもと出会っても、その子の顔を見ることにしている。それが楽しそうに持たされているのか、嫌そうな顔をして持たされているのか。
子どもは素直だ。高校生までは、どんな大人染みていても、いじめをされる側の顔は素直だ。
顔を見れば、すべてがわかる・・・・・・・とまでは言い切ってしまうのも不遜だが、かなり、その子どもたちの力関係はわかる。別にこれは特殊能力でもなく、大人はすべからくわかることだ。ただ、それを見ないだけだ。
行為を見るのではなく、顔を見続けることだ。
2)愚息の腰痛(これは、どうでもいい話だが・・・・)
鈍い痛みがあるらしい。ぎっくり腰的な痛みではない気がするという。うつ病が終わったと思ったら、今度は腰痛だ。「またか」という思いとともに会社にも申し訳ない気がする。まだ、結果が判明したわけではないが、同僚に迷惑がかからないようにと思うばかりだ。
しかし、嫁が手回しよく言ってきたから、それなりに重傷かもしれない。
そんな中でも自分は、どう生きるか。ブレずに生きていかなければならない。人生はいろいろな意味で過酷だ。
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