最後の床屋さん? [生活]
2018.6.9
おはようございます。
今日は早起きをして、一つ仕事を終わらせた。
梅雨突入前の最後の晴れ間になるのか。今のところ今日もいい天気だ。
幸いにして、今日は地鎮祭をするので好都合。
11時からということなので、その前に仕事を仕上げておいた。
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昨日、頭髪は完全消滅寸前だけれど、一応、床屋に行ってきた。
頭部の周りは、どういうわけか伸びるから、行くのは面倒なのだけれど、月一で行っている。
家人にいつも言われるのだけれど、若い時分と違って、老人はとかく汚く見えるから、いつもきれいにしていろと言う。
確かに、若者が簾のようなジーパンを履けば、それはそれで恰好がいい。
老人がそれを履いたら、どうなるのか。
それは浮浪者だ。
これはどうあがいても逆らうことはできない「時の重み」というものか。
嫌な重みだ。
最近、肩がこるのはその重みかと妙に納得!
朝からしょうもないことを書いている。
ということで、今日は床屋さんの話。
いつも行きつけの床屋に行っている。大体、多くの方がそうだと思う。お気に入りのところに行く。
これは男も女も皆同じだ。お金も結構かかるしね。
若いころは美容院に行っていた。若干安かったということもあるが、髭をそられるのが嫌だったので、美容院にしたような気がする。時間も短くて済む。
ここ20年はずっと同じ床屋。転勤で間が空いたので、通算すると30年になる。
床屋の御大は私と同じ年だ。ちょっと強面だが、礼儀も正しい。それよりももっといいのが、その技だ。
とにかく気持ちがいいし、正確なハサミ使いだ。その技に乗せられて、ついつい居眠りをしてしまう。眠らないことは今までで1~2回。気がつくと「はい、お待たせしました」と椅子を起こされる。
そんな彼も来月、白内障の手術だと言う。しかも両目だ。左はもう霞んでしまっていて、右目だけでやっている。昔取った杵柄でハサミ使いは問題ないとか。
ちょうど1か月後に手術だそうだ。
その前にもう一度、彼の技に酔いしれに行こう。
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