大川小学校訴訟上告 [新聞記事]
2018.5.8
最近は暗い内容が多いブログになってしまっているが、暗いニュースが多い世の中だから仕方がないと言えば仕方がないかも。
我が母親は何とか生きてはいるものの、ここ1週間はポカリを飲む量が不安定。今日の夕飯のポカリの量は10㏄ぐらいは飲んだだろうか。昼間は200㏄を飲んだけれど、やはり飲まないと心が折れそうになる。ケアマネとも終末の話が話題に出てきてしまった。
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大川小学校の訴訟問題。市が上告の決定をした。
どんな理由にせよ、これはいかん。話にならぬ。
この問題は小学生の犠牲者ということで、情に流されそうになり、それを忌み嫌い向きもあることもあり、ここからは客観的な事実のみを書くことにする。
1)河口から5キロの地点に学校があった。
2)裏山は斜度9度であり、低学年児童でも登れ、授業でも登っていた。
3)地震発生から津波到達まで50分あった。
4)最高責任者の校長は不在であった。
5)地震発生後、校庭に全員を集め、座らせ、先生方は避難場所を議論し、決めかねていた。
6)川沿いのほか4校の犠牲者はゼロではないが、皆、高台、建物内に逃げ、犠牲者は少なかった。
7)大川小は、河口から4番目の奥に位置しており、より海に近い吉浜小は49名中、7名の犠牲のみ。
8)最終決定として、より海に近い「三角地帯」に移動中、津波に巻き込まれた。
9)移動中の最後の列の何名かが、眼前に迫る津波に踵を返し、裏山に上り、命を取り留めた。
「津波の被害を受ける危険性を十分予測することができた」として学校の事前の防災対策に不備があったことを認めた--このことに対して、市は上告した。理由は一審と二審の違いからというが、なぜそんな馬鹿げたことを7年も経ってから言うのかがわからない。
所詮、人間は時間とともに痛みを忘れ、他人事のように振る舞い、経済第一優先的な考えが中心となっていくことなのかと思うとつくづく心が痛み、折れそうになる。
あのときのあの教訓が生かされなければ、84名の尊い命は遥か彼方にも浮かばれまい。
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