桜を見ていたら、ふっと思い出した [父の話]
2018.3.29
崎陽軒の弁当は結構好きだ。
経木の香りが白米に付いていて、とても食欲をそそられる。
今日は二人とも仕事で出ていたので、夕食は崎陽軒を買って帰ってきた。
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その道すがら、2キロ近く桜並木が続く。
いつもこの時期は、少しだけ遠回りしてその桜街道を通ることにしている。
例年、仕事でしか通ることのない道路で、桜の開花と仕事の日がピッタリ合うことは滅多にない。早過ぎることはないが、遅過ぎることのほうが多かった。
しかし、今年はピッタリだ。まさに満開、明日、明後日になればチラホラと散り始めるであろうか。
そんな桜街道を走った。
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最後の花見をしよう。急に思い立った。
風もなく、穏やかで、日の光もまぶしく輝いている午後であった。
我が家から歩いて5分ほどで、その立派な桜の木がある公園にたどり着く。
桜の木は4本。公園横の小さな土手沿いとブランコの後ろにあった。
樹齢はもう50年は過ぎているであろうか。
当時、私は大学1年。やっと自分の家(部屋)が持てるうれしさで、この辺鄙な田舎町に住むこととなった。
その当時、この界隈はほとんど家がなく、この分譲地もほとんどが整地されてはいたが、家は建っていなかった。
宅地開発と同時に公園もつくられ、そこに桜の苗木が植えられたいたのだと思う。当時は、桜が植えてあることすらわからず、ただ寒々しい風があたり一面吹きさらされているだけであった。
それが大木となって目の前に意識され始めたのは、15年ぐらい前からであろうか。いつもきれいに咲いてくれ、周りの人たちの憩いの場となっていた。
彼は少し照れているのか。恥ずかしそうにして家を出た。
ゆっくりと車椅子を押して歩く。
きっとこれが最後の桜だろうという予感をもって、私と彼は静かに公園に向かっていった。お互い、何もしゃべらなかった。
公園の桜は満開で、少しばかりの強い風とともに、少しばかりの桜の花びらが彼の髪の毛にとまった。
彼は眩しそうに空を見上げた。
「きれいだね・・・、スゴイね・・・」
そのとき、自分にできることといったら、車椅子を押すこと、そのぐらいが精一杯であった。
私たちの予感は残念ながら的中した。その年の秋、桜の花びらのように、彼は私の指の間からこぼれ落ちていった。
介護生活20年のうち、見守り10年、半身付随7年、寝たきり3年、93歳の長い人生だった。
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