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年賀状と親友のことについて考える [生活]

2018.1.3


2」「0」「1」「8」と打つことに少し緊張する。慣れないこともあるけれど、それ以上に新年になったんだなと感じてしまうからかもしれない。


私は元来、友達が少ない。よくしゃべり、よく食べ、仲間づくりはそんな事欠くことはなかったが、

心底、真面目な話とか、自分の心骨をしゃべる相手は限られていた


それは誰もがそうかもしれない。その結果、親友というか、心置きなくしゃべれる人間は1人だけとなった。


親友は一人


その相手に「俺はおまえの親友かい?」と聞いたことはないが、万難を排し、理屈抜きに会ってくれるから、多分、よき友なんだろう。私の一方的な思いで、そう思っても何ら差し障ることではないので、そう思っている。


年賀状を書いた。年末に書いた。最低限を書いた。


書いたと言ってもプリントアウトするだけだ。しかし、設定とか、何と書くかは考えなければいけないから、やはり一日仕事になる。しかし、その達成感はない。だんだん、年を重ねると面倒くささが先に立ってしまう。これだけ、メールが発達している時代、メールとか、lineでやり取りをすることはいけないことではないと思うけど、なかなかそうはならない。


儀礼的に賀状を出し、それを相手は5秒、10秒眺めて終わる。


確かに、「この人元気なんだ」とか、その懐かしい人の顔を思い浮かべなくもないが、何か達成感がない。それに書く量も限られているし・・・・。


あの年末の忙しい時期、大掃除、料理、障子の張り替え等々、暇な人間でも忙しい年の瀬。

それに合わせて賀状を書くことは結構辛さを感じる。


以前、勤めていた職場の上司からいつも賀状をいただく。正直な気持ちを書くと、会ってはいけない、会うのを少しだけためらう相手だ。職場でのことを思い出すこともその理由かもしれないが、お互い年をとった姿を見せるのも、なかなか至難の技になる。


しかし、今から考えると、彼も唯一、よき理解者でだったという証が22枚の賀状、つまり22年間のメモリーとなって残っている。


残念ながら、私が退職をしなければならないときに、その上司は近くにはいなかったものだから、相談することは叶わなかった。自分の心の中では、社内でそんなことを相談しようものなら、噂が脱兎の如く流れてしまうので、突如辞表を提出した。


そんな、希薄で不信感いっぱいの会社であったため、退社の相談などは誰一人しなかった


数少ない賀状の中に、今年も彼の賀状があった。私が出さない年もあったりするが、彼は必ず送ってくる。失礼千万な私だ。


69歳とある。お互い年をとってしまった。


私も急ぎその返礼を書く。賀状の余白には書き切れない想いを書く。


今年もまた書き切れない想いがそこにあった。


 

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