時は誰にでも平等に与えられる [生活]
2017.12.23
さっきK・Oのクリ約の過去分を幾つか見た。吉田拓郎とのセッションが聞きたくなったから。
しかし、なかなか見つからず、やっとのこと2013年にやったことがわかった。もう4年も経ってしまった。
つい2~3年前だと思っていたのに。
時は待ってはくれない。今日、ランニングでセレモニー前を通った。お一人の方の通夜があったようだ。
自分の葬式のときには、形式的にはやってほしくないと思っている。焼き場でそのまま済ませてほしいと思う。
自分は世の中にために何を成し得るのだろうか。いつ次のステージに行くのはわからない。明日かもしれないし、20年後かもしれない。そんな不確かな自分の未来を、自分は、世の人は黙々と営みを続ける。
自分は何も成し得てはいない。自分がこの世からいなくなったとしても、誰も気がつかないだろう。
この思いを持っている自分は、何のために生きていくのか。自分の存在を無駄にすべきではない。せっかく平和で秩序ある日本に生まれてきたのだから。まだ遅くはない。きっと生きて生まれた意味があるはず。
自分の年を考えると甚だ図々しいが、 きっとあるはずだと思う。
いつも考えていないから見つからないのか。はたまた努力が足りないのか。そんな馬鹿をことをふとK・Oの顔を見ていたら思ってしまった。
またまた、詰まらん話を書いた。
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