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夢も「大は小を兼ねる」 [生活]

2017.11.20


こんばんは。

昨日の疲れもあり、今日は寝坊をしてはいけない月曜日であったが7時にやっと目覚めた。子どもは容赦はないので、拙宅に来たときは目一杯遊んで帰る。彼らは一向に疲れないのだろうか。私は疲れる。遊べば遊ぶほど疲れる。しかし、子どものあの顔を見るとその疲れは一瞬にとれてしまうのが怖い。すごい力だ。あの妙薬が我が肩に効いてくれれば言うことはないのだが、それは一向に効いてくれない。無慈悲なものだ。台風一過のように、それはすさまじい勢いで来て、去っていく。昨日のそれもまたいつもと同様に台風一過の様相を呈していた。


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昔から「大は小を兼ねる」という諺がある。今日は大風呂敷の話。大風呂敷というと聞こえは悪いが、希望・望みは特に、この大風呂敷が必要だと思う。


大体、世間は厳しい。夢も希望もないことが多いから、だんだん現実味をもって萎んでしまうのが常道だ。だから、自分の希望・夢は大きいほうが無難だ。大きければ、大きいだけ小さくなって萎んでしまっても、その量は少ないはずだ。その夢が最初から小さければ、思ったよりももっと小さくなってしまう。夢や希望は現実ではないのだから、その率も現実味を帯びてくるわけがない。だから、きっと夢や希望は限りなく大きく語ったほうがいい


砕かれて、打ちのめされてしまうのが現実なら、その残存率を大きくするのが、より現実的ではないか。つまり、夢と希望は限りなく大きく、そしてそれはより繊細で、より具体的に、夢や希望を語る誰よりも正確でなければいけない


妥当な夢・希望は、誰にも非難されない変わりに、自分の中での達成の度合いもそう大して気になることもない。程度の差も気にもならないほどの小さいものが残るだけということに気がつかなければいけない。


夢・希望は、誰に迷惑をかけるわけでもなく、自分の中に存在するものだから、きっとそれはより現実化しやすく思うものだから、将来の自分の中に基礎となって残っていくに違いないもの。自分の中のバックボーンになるためにも、それは誰に攻められても、揺るぎない想いと揺るぎない手法によって達成されるものだということを心に伏しておけばいい。


だから、夢は多く、希望は達成限界を突破するものでなければいけない。


という訳のわからない想い、禅問答にもならぬ想いを書きながら、今日は終わろう。

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