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物のない時代に生まれた功罪 [我が家]

2017.11.2
毎日、古屋の整理をしていると気持ちは全然前に進まない。24時間のうちの1~時間が関の山。それ以上は体がもちそうもないので、やらないようにしている。自分でも情けない、前向きのコメントでもしておきたいのだが、いかんせん、この件に関しては明るい話にはならない
【子どもが行う断舎離】
親が長生きだったものだから、その私物たるや膨大な量となっている。戦前結婚、終戦後4~6年に私たちが生まれた。まさに物のない時代真っ最中。今であっては捨ててしまうような古新聞、木屑でも、当時はそれを火にくべてお湯を沸かしたり、お米を炊いていたりしたので、何でも大事にとって、後で役立てようという思想は、かなり徹底していた。
父母と同年代の兄弟は、同じ時代を生きてきたわけだが、貧困の時代が終わり、平和な時代となり、物資不足もだんだんとなくなり、豊かさを享受できる時代となった。大半の人たちはその波に遅れることなく乗っていったわけであったが、母は全くその波には乗れず、当時のまま、戦後の物不足のまま昭和に入り、平成を生きてきた。
当時、私の父は世話人的なことをしていたものだから、同じ町内から、これを食べろ、あれを食べろといろいろと物を持ってきてくれていた。物不足の反動からか、それは徹底していて、多くの人たちから物が届いた。それは家族4人で消費するには、余りにも多く、使われないものは家の中に積まれていくだけであった。新聞、木屑ならいざ知らず、砂糖、醤油、酒の類は、余ったからといって捨てるわけにもいかず、そのまま放置され、腐っていくばかりであった。
元来、たくさんの料理をしたり、生活をより豊かにしようとする母ではなかったため、その消費量はほかの家庭よりは少なく、微々たるものであったし、父は仕事柄、朝早く、夜は遅く、家庭を顧みるような人間ではなく、私は父と顔を合わせて食事をすることなど、年に10日もあったかどうか。久々、父を食卓を囲むことがあっても、何も話すこともなく、テレビをつけて時をやり過ごすことしか考えが及ばなかったのを覚えている。
そういう両親であっても、時は容赦なく過ぎていき、父は他界、母も寝たきりとなった今、当時のままの物だけが残っていることと相成った。
お恥ずかしい限りと文才のなさで、それ以上のことはうまく書けないが、今日も薄暗い、床がへこみそうな家に入って、段ボールを5~6個、処分、分類してきた。
少しずつ、少しずつ、私たちの目的達成のために事を動かしていくしかない。

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