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田中委員長と柏崎刈羽原子力発電所 [新聞記事]

2017.9.9


今日は快晴でいい天気だった。束の間の秋晴れだろうか。しばらく空を見上げていたら、ミサイルらしきものが飛んでいった、ということにならないことを切に願う。


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原子力規制委員会の田中委員長の第一印象は決してよいものではなかった。その彼は今月で退任する。2012年9月に就任した。任期は5年らしい。

 

彼は原子力委員会所属のいわゆる「原子力ムラ」の出身だ。

色眼鏡で人を見てはいけないというが、出身母体は原子力委員会だ。つまり、自分がつくった組織、自分が精通している組織ということ。つまり、その組織の一番の長所を知っており、一番の短所を知っているということだ。かわいがった部下もいただろうし、頭の上がらない上司もいたはずそんな組織への糾弾が果たして、公明正大にできるのであろうか


彼が規制委員会の委員長になった当初、彼のやる気のない発言にびっくりしたことを覚えている。当時、仕事でその会議の末席にいたので、何となくというか、素人ながらちょっと違和感をもったのを覚えている。果たして、この委員会の役割はなんなんであろうか。その目的はアリバイづくり?


しかし、その後、彼はまたまたびっくりするほどの発言を繰り返す。再稼働不認可。断層直下は不許可。・・・不許可、・・・不許可。と次々に再稼働延期に追い込んでいった。


すごい! ほんものかも・・・。



と思った・・・・思っていた。


離任2週間前に彼はとんでもないことを言い放った


柏崎刈羽再稼働認可


ちなみに柏崎刈羽原発は新潟の海際にある。それも7基もある。福島は6基だ。

詳細はお調べいただきたいが、簡単に言ってしまうと、何の説得力ある説明は何もなかったということ。ただただ、最後は実績を残したいという気持ちが出てしまったのか。福島の原因究明は何も行われていないし、事故の検証も全くもってなされていない。それに対して、福島の二の舞を防ぐためにの方法はあまりにも拙速で稚拙。それに東電のトップが代わってしまっていることもある。彼(田中氏)は散々、後任の東電社長をこき下ろしているが、事実、現社長にとっては、「当時、私は責任者ではありませんでして・・・」という逃げ口上が常套手段になっている様子。



唯一、彼の救いなことは福島市出身ということか。

少しは被災された方々の気持ちがわかったはず。兄弟、親類、知人、学友等々大勢の方が、その関係者だったことは想像に固くない。


しかし、最後、やはり古巣に恩義を感じてしまったのか。何か裏取引のようなものがあったのかもしれない。そんな汚い世界であることは間違いはない


凍土壁、汚染水対策、燃料デブリ等々の費用はすべて消費者である私たちに負担させればいいとハナから思っているわけで、全く加害者の一員であることの自覚がない。


使用済みの核燃料の処理方法も未定。汚染水対策も未定、汚染物質の保管場所も未定、決定されたものは唯一、実行可能性の高い電気料金の値上げだけ

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