3.11の爪痕 [生活]
2017.9.5
今、ブログの下書きのストックを見ていたら5~6個の題名が見つかった。自分は書きたいことが浮かんだとき、携帯にメモるのだが、メモる内容は表題だけが多い。内容を書くことは滅多にない。表題を書いておくと、後で見たときも大体内容が追いかけてくる。まだまだ、書き残したいことはあるので、さぼらずに書くことにする。
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【本題】
いつもこの通りを通ると思い出すことがある。
6年前のあの事件、いや出来事だ。
当時、幾つもの家庭が避難してきた。10世帯以上はいただろうか。私はあの大きな出来事に気を取られていて、そこの企業が彼らの避難先として提供していることを知ることもなく、もちろん、その企業がそれを公にすることもなかったから、周りの住民もそこが彼らのための提供されていることなど露ほども知らなかったと思うし、今も知らないだろう。
そして6年が経った。6年の間、幾度となくそこを通った。通る度に窓の明かりを数えるのが私の習慣となった。当然のことながら、その明かり数は少なくなっていくであろうことは想像していたが、残り5つごろから妙に寂しさを感じるようになった。
ここを出ていった人たちは、福島に帰ったのだろうか。無事に新しい生活の基盤がつくられたのだろうか。なくなったのは家だけで済んだのだろうか。ご兄弟は、親戚は・・・・・。
福島ナンバーの駐車場の車も明らかに少なくなっていった。そこの住人の方々に出会うことも全くなかった。
8月に入り、3つの部屋の明かりだけが灯っていた。
「そうか、3つだけか・・・」
そして、9月に入り4日ほど経過した昨日、1つの部屋の明かりが灯っていた。9月1日も2日も3日も、そして4日も1つの部屋の明かりしか灯らなくった。
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