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おしっこの話 [生活]

2017.5.26


大変恥ずかしい話だが、大昔の話になるので、今は平気で話すことができるようになった。

当時は恥ずかしくて、恥ずかしくて、「どうか自分だとわからないでほしい。どうかお願い」と念仏でも唱えるように過ごしていたことをふっと思い出した。


今日は治験に参加してきた。これで2回目。もともとおしっこが近い自分は、年になったからというわけではなく、若いころ---幼稚園とか、小学生のころからおしっこが近かった。おねしょも長い期間漏らし続けた


母親はいろいろと試みてくれたが、何をやってもだめ、布団の世界地図は既に壊滅状態と課し、すべてが陸に変わり果てていた。


ということで、「おしっこが近い」という感覚は、それが常態化している自分にとってはよくわからないというのが正直な感想だ。


しかし、新薬開発のためということで、これは自分も参加できると思い、おしっこの近いのを和らげる?いっぱい貯められる?新薬開発のための治験に参加している。いや「参加していた」。


今日はその2回目だったのだが、その治験は3日間、薬と排尿回数を排尿量を計測し続けるというものだ。昼も計測、夜も計測するのだ。たった3日間とは言え、夜中に電気をつけ、ビーカーにおしっこを入れ、計り、用紙に記入する。ざすがに、夜2回起きたときには、次の日は頭がガンガン痛くて、治験参加をちょっとだけ後悔していた。


3日間のうち、気温が高くなったせいもあり、2日間は夜中に1回ずつしか便所には行かなかった。

すると

治験担当者「夜1回しか行っていないんですね。」

私「はい、暖かくなったので。でも、1日は2回も起きてしまいました。」

治験担当者「そうですか。これだとちょっと少ないですね。せっかくですけど・・・」

私「いえいえ、全然気にしませんから。それより新薬が早くできるといいな。」

治験担当者「そう言っていただけると・・・。」


私はむしろ、あの夜の検尿が、この先ずっと続くことのほうが恐ろしかったので、大きく胸を撫で下ろした。もし、今日合格していたら、あと7回、合計21日も検尿を断続的に続けなければならないわけで、それを思ったら不合格がこんなにも楽しく、楽な気分にさせるのかと思ったのが本音であった。





その日、雨模様だったので、講堂で朝礼があった。いつも通り、組ごとに整列をし、校長の話を聞いていた。

少し連絡事項等が長かったんだろうか。


我慢できなくなってしまった。自分なりに我慢はしていたのだが、もう限界だった。トイレに行きたいとも言えない小心者の子どもだった私は、そこで立ちションと相成ってしまった。


我慢に我慢を重ねたわけで、ソビエト連邦と中国大陸を講堂の床に鮮やかに書き出してしまった。

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