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家づくりは一回では成功しない。(3) [我が家]

2017.5.4


今日はバラの手入れと母の昼食と買い物で終了になりそう。ゴールデンウィーク、今年は我々には関係がなさそうだ。孫が来ないから五月人形はパスしようと家人と今日決定をした。


そんなわけで第一回目の私の家には18歳から30歳ぐらいまで過ごしたことになる。当時はお世辞にも便利なシステムを使っていたわけではなく、不便だなと思いつつも、それで我慢をして過ごしていたことになるわけで、いろんな情報も当時はインターネットもなく、「検索」という言葉すらもないような時代であったわけで、私たちの前に、最先端の情報が来ることは滅多になかった。


時代は昭和から平成に移っていった。平成7年に2つ目の家を建てることになり、そのときは所帯を持っていたし、子ども二人いて、一世一代の大仕事であったわけで、ローン審査もどうか通りますようにと願ったりしていたことを思い出す。当時はバブルが弾けてしまったんだけど、我々庶民にはまだそれを実感として感ずることもあまりなく、バブルが弾けたことは、何か別世界のことのように思ったりしていた。だから、平気で家を建てたりしたのかもしれない。


もちろん、建て売りの注文建築ということで、予算の上限は決まっているから、あとは予算内でのやりくりをする。図面も玄関を畳み1枚出すと予算がオーバーするから断念、床材はむく材を使うとオーバーするからグレーの床材しか使えないとか、決して予算的に潤沢ではなかったので、ギリギリの状態で予算も間取りも決めることとなった。


一応、自由設計であったので、キッチンとカウンター越しにダイニングテーブルを入れるとか、トイレは玄関から直ぐはやめようとか、風呂は二階にしようとか、いろいろと考えた間取りとなった。


一軒目の家のときはすべてもらいものというか、今まで使っていたものを贅沢をせずに使っていたので、家具らしい家具はなかった。つまり、新婚当初、新婚だからといって、特段家具類を買わなかった。我々の中では、暗黙の了解のもと、新しく家を建てたときにいろいろと揃えようと。一軒目の家は自分の家ではあるのだけれど、お金を出しているのは親であったので、設計はしたけれど、自分の家ではないという感覚であった。


ダイニングテーブルも、カーテンも、食器入れも、ソファーも自分たちで買いに出かけた。最初で最後であったが大塚家具で揃えた。自分たちのお金で、自分たちの設計で、自分たちが選んだ家具で、とすべてマイセルフオーダーであった。とてもうれしかった。


しかし、後になってみると様々な問題が起こってきた。それは24時間で一番工夫をしなければならないところ、それは台所であるということだった。


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