自分を見失わない [生活]
2017.3.8
明日は、あの日から6年、絶対的な価値観が総崩れになった日だ。自分を見つめるいい機会だ。だから、今日は超ハードコアな話です。
生きていく上で大切なことは、自分を見失わないことだ。
今の自分の立ち位置はどこにあるのか。また、どこにあるべきなのか。
それは組織の中にあろうと組織の外にいようと全く同じだ。
しかし、若輩の自分には、それがわからない。わからないから怒られる。「何で?」「意味わかんな~い」とかつぶやいてしまう。幾らつぶやいても解決にはならないのにね。
例え話で恐縮だが、朝礼で社長と部長と自分が並んで立っていたとする。そのとき、自分の立ち位置に気がつくかどうかだ。
そんな些細な、ちっぽけなことだけれども・・・。
一歩下がる。
それって何の意味があるの?----------と言われるかもしれないが。
たった一歩、その「たった一歩」が大きな違いとなってくることに気がつかなければいけない。
相手をオモンバカル心ということだ。
慮る(おもんばかる)とは・・・・・・・「周囲の状況などをよくよく考える。思いめぐらす」とある。
こういう気持ちがあるかないかで自分の立ち位置が決まってしまう。上司の指示をよく考え、思いをめぐらす。取引先の要望をよく聞き、考え、思いをめぐらす。部下の報告をよく聞き、考え、思いをめぐらす、妻(パートナー)の話をよく聞き、考え、想いをめぐらす。
慮ることによって、自分の立ち位置を確かめれば、自ずと自分を見失わない。
さっき、駅前のコンビニの店員と明らかにそこで買い物をしたであろう老婆とのやり取り。
彼は店を出て、その老婆を見守るようにロータリーへ。手をつかむでもなく、引くでもなく。
どういう関係なのか。
彼はタクシーを呼び、ドアを開けさせ、老婆をタクシーへ。腰の曲がったその老婆はやっとこさタクシーに乗り込む。
彼は急いでコンビニの店内へ。二人には親しげなやり取りもなかった。赤の他人・・・なのに・・・タクシーに連れていって上げた?
彼は、老婆の状態をよく見、考え、思いをめぐらし、そして行動した。
それ以上でも、それ以下でもない。久方ぶりにすがすがしい光景に出会った。
コメント 0