我々は不便な生活を受け入れられるのか [生活]
2017.3.2
忘れないうちにもう一つ書いておきたい。
人間が便利さをとればとるほど、地球が疲弊する、その論理はかなりの確率で確かだ。
今朝は寒い。日中といえども、今日のように曇天ならば寒い。そういう私の部屋もストーブを焚いて暖をとっている。日本中が暖をとっている。わが町ですら4万世帯ぐらいだから、ストーブは4万個稼働していることになる。トランプ大統領なら、「出かけている家庭もあるからそんなわけはない」と言われそうだから、3万個にしておこう。しかし、3万個のストーブ(エアコン)が稼働している。地球規模なら北半球は冬だから、それはものすごい数になる。
それだけ地球は温められている。
人間は皆食事をする。肉を食べ、天ぷらを食べる。そして汚れた食器を洗う。ヌルヌルは嫌だから、きれいに洗う。クックッというまで洗う。油は排水口に流れ、下水をとおり、浄水場をとおり、河川に流れていく。昔より高度な技術でかなりろ過され河川はきれいになっているが、富栄養の水が河川に流れ、海に落ちていく。富栄養の物質混入は自然界のバランスを大きく崩す。
それだけ地球のバランスは崩されている。
ペットボトルが普及され始めてかなりの時間が経った。
若い皆さんはご存じないかもしれないが、ペットボトルの前は瓶入りとか、紙パックが主流であった。容器は皆再生された。廃棄されてもガラスであり、紙であり、さほど自然界に問題を起こすものはなかった。コーラもファンタも牛乳も皆、瓶であり、紙パックだった。
ところが今は違う。
ペットボトルの再生率は幾つなのか。100%なされているなら問題はないが、50%もいかないのが現実。
再生がお金にならないならやらないのが人間だ。だから再生率は上がらない。ペットボトルが出た当時、ペットボトルを使うことに躊躇した人は多かったはず。これは自然にいいのだろうかと。
今はそれが当たり前。時流に乗ったファッションのように感じて使っている方もいるようで、燃えないごみとして、最終ごみ処分場にうず高く積まれていくペットボトルを想像している方は少ないのかもしれない。
企業の会議でも、国の会議でも、町会の集まりでも、子供会の集まりでも、なんでもかんでもペットボトルだ。それは私たちが楽だからね。便利だからね。
我々が便利を追求すればするほど、地球は痛んでいく。これはかなりの確率で当たっている。
コメント 0