忘れていた恐怖 [生活]
2017.2.4
先程、新聞に目を通したとき、一瞬自分の目を疑った。
柏での放射線量が高い。体育館、排水口、側溝などらしい。新聞では、それ以上書かれていなかったが・・・。
あのときは2011年3月。今は2017年2月だ。
つまり、6年の経過とともに、重い悲しみと述懐、後悔、責任、償い、慈しみ、協働、再起、いろんな思いが交差し、そして忘却されてしまった。
いけないと思ってもエアコンをつけ、贅沢だなと思っても電気をつける、テレビの待機電力もあったっけ・・・。夏の暑い日、冷蔵庫の開閉も気にしていたよね。
そんな思いから6年も経ってしまった。全部とは言わないけど、我々は正しい これでいいんだ 忘れてもいいんだ 復興も進んでいるようだし これって風化と言うのかな・・・・きっとね。
そんな思いを誰もが心の底に蓋をして、そっと歩み出した。日本人の悪い癖だ。忘れれば皆救われる。
念仏を唱えれば皆救われる?
ところがそうではなかった。
6年も間、放射線量がそこにとどまっていたのか?あれは雨に流されて、流されて、下に下に海に行くはず。
6年もの間、雨樋に、側溝に、とどまっているのか。少しはとどまっているだろうが、6年もの間、風も吹くし、雨も降る。大半は海に流されていったはず。それなのに、放射線量が高いとは、どういうことなのか。
その線量って、5~6年前のものなのかな?
今の放射能、あの福島第一の出来立ての、新品の放射能じゃないのか。
つまり、今でも放射能は放出され続けていた。いや、いるということ・・・・ですよね。
我々日本人がやるべきことは何なのか。それを忘れてはいけない。日本人の、いや地球人のやるべきことを粛々と進めなければいけない。トランプごときではない。
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