父の話(1) [父の話]
お墓参りに行くといつもふと思うことがある。
我が家の墓は父だけが入っている。父が初代だ。
もちろん、私の父が突如としてこの世に生まれ出たわけでない。つまり「先祖代々の墓」ではないのだ。
父は貰い子です。
生前、彼は詳しい経緯を話してくれなかったので思ってもみなかったのですが、戸籍謄本を取り寄せるにつれて、いろいろとわかってきたんです。
彼の父と母となる二人は、彼を産んだのだけれども、大人の事情によって結婚はできなかった。
私から見て祖父に当たるその人は髪結い(床屋)をやっていたが、祖母は不明。
その後、祖父か祖母の「知り合いの女性」に引き取ってもらって、彼は見ず知らずの家庭に同居させてもらったことになる。この知り合いの女性というのは、どういう知り合いなのか、多分、近い親戚に当たるのであろうが、父にとっては赤の他人になるわけで、余り居心地のいい場所ではなかったはず。
父から聞いたことでよく思い出すことがある。
風呂を沸かしながら、地べたに木の枝で漢字の練習をしたという。紙(ノート)も光(ランプかろうそく)も自由に使えない立場で、昼間は小学校に通いながら、家に戻ってからは身を寄せていたそこの家の手伝いをやっていたらしい。
明かりはないので、風呂釜のわずかな光だけ。(時代は1910年代後半です)
今のようにスイッチ一つで給湯されるわけではなく、家の外にカマドがあり、そこに紙とか、枯れ枝をクベて火を起こし、風呂を炊くという、今の人にとっては信じられないような状況だったとか。冬の季節は極寒だろう。
時代がたった100年ぐらい前だけれども、上の2行の中にも「くべる」とか、「かまど」とか、「炊く」とか、今では死語と笑われるような言葉が出てくる。
まだまだ続きそうなので、今日はこのぐらいで終了。
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